納得と安心

悪意も他愛もない世間話に出てくる言葉で自分の形を侵食・歪まされてきたからこそ、気付かないうちに自分も同じことをしてるのではと他人に過剰に踏み込まない癖みたいなものが多分ある。

自分が被害者の時はすぐ気付くけど、加害者に成ってるとは思いもしてないように見えるから不思議だ。割り切っているのか、生きている以上自身が他者を傷付けることは避けられない確かなことだろうから。
割り切れないのは弱いのか、自身が誰かを傷付けたことに傷付くのは滑稽なのか。そういうことを考えても未だに納得できる考えは知らないし、知っても私では言葉に表せられないのかもしれない。


私は「私が納得したい」と言ってきたけれど、いざ納得ってなんだろうと考えると「自分にとって良いもの」の次に「良い落とし所」「仕方がないこと」と自分を丸め込む言葉が浮かぶから妥協ありき。
そんな言葉で自分を肯定して安心したいだけなのかもしれない。

私の納得の先にあったのは妥協と肯定と安心か。