「喫茶店」のなにか

どうも、学生です。
独り暮らしする時、最初に購入したい物はエスプレッソマシンの学生です。
オシャレとか関係なしに欲しいだけです。
さて、今回は「『喫茶店』のなにか」です。

子どもの頃は別に興味を示さなかった。
ドラマや情報番組でも喫茶店が映ることはほとんどなかったように思う。
コーヒーを飲み始めた時も、どちらかというとカフェに行きたいとか
そういう感じだったと思う。
「カフェ」という言葉が
人を大人にさせてくれる魔法の言葉のように聞こえていた。
ただ、実際には「カフェ」と呼ばれる場所のほとんどは、
「オシャレ」という文言がタグ付け必須にされており、
私を近寄らせないようにしていた。
そしてそれは今もそうである。
行けるカフェと言えば、ドトールくらいである。
ドトールに行っては、豆乳ラテのMとミルクレープを頼み、
何も考えず、何も感じずに、ただ時間を過ごす。
その時間がたまらなく好きである。
安心安全のドトール。
ありがとう。ドトール。
…あれ、あそこはコーヒーショップだったんだっけか?

ドトール愛はさておき。
喫茶店の話に戻ろう。
喫茶店に憧れた時期も理由も忘れてしまった。
とにかく「喫茶店」という言葉も
「カフェ」と同じく自分を大人に誘う言葉に聞こえていたのは確かである。
ただ、同じような商品を売っているにもかかわらず、
「喫茶店」はなぜか自分を受け入れてくれそうな
そんな感じがしている。
同じように「オシャレ」がタグ付けされていたとしても
それは「御洒落」であって、「オシャレ」ではない雰囲気。
それが私を拒まないでいてくれているのではないかと
ぼんやり感じている。
薄暗い照明、木目調の壁面や床、
店員さんの落ち着きがあるも、どこか陽の光を感じる明るさ
そんな感じが自分を受け入れてくれていると感じさせてくれる。
ゆっくり抱きしめられている。そんな感じ。

ただ、私は最近喫茶店に行けていない。
いや、今も昔も行けていない。
年に1、2回行く感じ。
自分の中では喫茶店に行くことに若干のイベント性を孕んでいる。

なぜ喫茶店に行けていないのか。
まぁ、一言で言うなら
「まだ大人になりきれていないから」
というべきだろうか。

別に喫茶店は私を拒んではいない。
先ほども書いたように
一足入れば自分を包み込んでくれる温かさがある。
扉を開けるだけ。
たったそれだけの行為。
それでも、自分にはあまりにも気力のいる行為である。
全て自分の内側にある自分への嫌悪感が引き起こしているものだが、
その嫌悪感が乗り移ったかのごとく、
喫茶店の扉には黒いオーラが纏っており、
触ってもいないのに扉に入るためのドアノブがとても重く感じられる。
そして、結局引き返すことがほとんどである。
まだまだ「大人」への道は長いようである。

いつか喫茶店の雰囲気に溶け込めるように
そんな日を待ちわびながら
私は、またドトールに向かうのだろう。
今度は練習がてらアメリカンを頼んでみよう。
そんな気にさせてくれる。
これも喫茶店の持つ力なのだろうか。

今回は以上。次回も何卒。


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