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うっせえな

こんにちは!ナンカです😗

二重人格

ここ数日、二重人格症がひどくなっている。頭では思ってもないことを口が勝手に言い出すのだ。行きたくもないのに超行きたいと言ったり、好きでもない人に大好きと言ったりする。

こんな自分、他人に信じてもらえなくなるどころか自分にも信頼されない。

なぜこんな行動をとるのかというと、争いを避けたいという過度な思いと、相手への行き過ぎた思いやりと、協調性の暴走である。

私は自分の意見に対して、それに被せて相手から否定的な意見を言われるのがすごく嫌だ。例えば「首席とりたいの」と話すと「いいね。でも俺は首席なんて堅苦しいもの目指す意味ないと思うけどね」とか言われるのすごくうざい。

うっせぇなほっとけよ となる。

私はそう思う。だから私は相手の意見に対して、主張や思いに対して、たとえ私はそれと真逆の考えを思っていたとしても特にコメントしないようにしている。

ここまではいいと思う。私はそこから、自分と反対の意見を持ってる相手に対して過剰に共感を示し、頷き、「私もそう思うよ!」とまで言い出すのである。しかもその事実に自分は気づかない。自分の考えをねじまげて相手に同調することに対してなんの違和感もない。

けれど今は違和感がある。「あれ、私あの時真逆の考え方を持っていたのになんであれほど同調したんだろう」とあとから気づく。気づけたらもう大丈夫、気づいたときには二重人格症から抜けている。

今回は気づくまでに1ヶ月くらいかかった。

嫌いなこと

私が嫌なことを書こうと思う。高校生までの私には「嫌い」という感情がなかった。正確には「嫌だ」「苦手だ」「つまらない」という感情をないものにしていた。他人に対してネガティブな感情を持つことは悪だと思っていたのだ。

だからどんなに酷いことを言われてもなんとか相手のいい所を見つけ出したり、自分の欠点をあぶりだして「相手は悪くない、私が悪いんだ」と思い直していた。なんとも自己犠牲の精神である。

とにかく全人類に対して好意的だった。正確には好意的でいなければならないと思っていたけど、そんな「べき思考」で過ごしていたことにさえ気づいていなかった。それが当たり前だった。

大学生になってオンライン授業を1年間体験し、いざ大学という集団生活に戻ったら、嫌いなものや人やつまらないと思う事柄が増えていた。反対に以前嫌いだったものが大好きになっていた。それは例えば勉強とか、年上の人とか。

前は年下が好きで年上が苦手だった。無条件で。年上は怖い、、、
けど今は年下年上関係なく、合わない人は合わない。傾向としては年上の人の方が話が合うし楽しいし面白いなと感じることが多い。ただの傾向だけど。

同級生はどうなのかと言うとこれも様々。ただ、以前は出会う人全てを愛していた、正確には愛そうとしていた。

たとえば、私は高校時代、男性全員が恋愛対象だった。つまり、誰とでも付き合えた。超絶不潔な人は無理だったけど、そうではなくて話したことがあれば誰が彼氏でも良かった。

今思うと恐ろしいことである。好き嫌いがなかった。正確には好き嫌いの「嫌い」という感情を絶対悪とし、排除していた。その結果みんなのことを好きになれた。

話を戻すと、「嫌い」「苦手」「つまらない」をないことにしていたが、その感覚を取り戻そうと思う。

その1、妹が苦手。

理由は思春期でトゲトゲしくてめんどくさいからだ。突然わたしよ悪口を言ってきて攻撃してくるし、機嫌のいい時は媚びてくる。朝はとにかく機嫌が悪いし基本私の話を聞かない。

そう、上記の点は思春期ならしょうがないことだ。ずっと前から妹はこんなだし、こんなだった。だけど私は姉だから、姉だから、それに妹は思春期だし、何よりも姉だから我慢しないといけないと思ってる。

それで何されても優しく接していたら、向こうが膨張してきた。攻撃が悪化しているしどんどん可愛くなくなっている。それに比例して私もイライラしてきた。ということで妹とは戦闘期間に入ることにした。

こっちから攻撃はしないけれど、黙っていても妹が攻撃してくるので、それを黙って我慢せず適切な対処をする。今までは優しく笑っておいたが、その役割は両親に任せることにする。

私は家庭の雰囲気なんて気にせず、妹が思春期だからとか考慮せず、嫌なことを言われたらそれなりの制裁をする。口論は勝ち負けではないのは分かっているが、相手がしかけてきた戦いには負けたくないと思う。

私は妹に口論で負ける気がしない。論破できる自信しかない。だって妹より賢いから。自分の中から「大人気ない」という声が聞こえてくるけど、ひとまずはそれでいいと思う。自分を守るためだから。

その2、私の領域に踏み込んでくる人が苦手

建設的なアドバイスと称してディスってくる人はなんなのだろう。今までは「そういう人なんだな」と交通事故にあったもんだとおもって流していたが、限界が近づいている。

最近私はよくけなされる。対面でもそうだしオンラインでも。私はつけいられやすいのか。私が防御せずに黙って受け入れてしまうから相手も調子に乗っているのだと思う。

攻撃されたなら、「いや違います。私はこうです」とせめて言おう。じゃないと私が可哀想だ。あまりにもどうしようもない批判がたまにあるがそれは本当どうでもいいので即座に立ち去ろう。

私は意地悪を言ってくる相手にまで優しくしようとしてきたが、もうやめようと思う。そんなん自分が辛すぎるし訳が分からない。自分のことは自分で守らなきゃ。

その3、つまらない人が苦手

一緒にいてつまらなすぎる人がいる。話が合わない、考え方の次元が違う、しょーもない、生産性がないし、非生産性もない、なんでもない。だからといってリラックス効果がある訳でもない。はっきり言って不快な会話というのが存在する。

私はそういう人に対して合わせてきた。話を合わせ共感し笑っていた。みんなに優しくしなきゃと思って。つまらない、苦手、と思ってはいけないと考えていた。

うん、つまらないものはつまらない。つまらないものは詰まってるのだ。何か詰まってるのだ。

話のレベルが合わない。私は同世代の人はみんな私と同じくらいの志を持って何かを頑張っているもんだと思っていた。大変大きな思い違いだった。私は同世代の人はみんな素晴らしくて面白くていい人だと思っていた。大変大きな思い込みだった。

みんな一緒なわけない。色んな人がいる。そりゃそうだ、本当に色んな人がいる。いい人も悪い人も。私の中の神話は終わった。みんな素晴らしい人だと思ってたけど違うみたい。みんなに期待するのはやめた。

面白い、楽しい、この人と一緒にいたいと思う人と一緒にいる。結局はこれ。

どうでもいい、まじでどうでもいい。この感情を大事にしていい。そう気づけて嬉しい。

🙂

今日は感情を吐き出す論調になりました。というのも私はいい人だからです。なんで自分は「いい人」から抜け出せないのか、どこに違和感があるのか深く考えた結果、今日のnoteになりました。

私の「いい人度」は下がりつつあります。少しずつ自分のやりたいように生きられるようになっています。けれどたまに出会う高圧的な人や自分の話しかしない人に会うと、「わたしが間違ってるのかな」と思いがちです。


考え方にはバランスが必要だと思います。この均衡を保つのはとても難しいです。ただ、1つ言えるのは迷い始めたり苦しくなった時に「なぜ辛いのか」を深堀りして、原因が判明したらそれと真反対の価値観を投入すると事態が好転するということです。

例えば私は、「人間に対してネガティブな感情を持ってはいけない」と考えていることに気づきました。この偏りを是正するために「嫌なこと」を列挙しました。

て感じです。

読んでくださりありがとうございました!

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