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実録!演劇は映像化できるのか?!ここまで赤裸々ええんかい!

演劇を映像にしようとした時に、

まず第一に考えるのは「観客」の存在です。

音楽でも演劇でも「ライブ」というものは、「観る」側と「観られる側」が絶対に必要だということ。私は特に、ここ数年は落語をずっと定期的に続けていました。落語は1対大人数の観客の目があります。この対する間には、目に見えない「緊張感」があるわけです。相手との緊張と緩和をどれだけ引っ張ったり緩めたりすることで「笑い」や「感動」につながるものだと思っています。

今回、演劇を映像化にあたり、観客を入れる入れないということが一番悩みました。本当にギリギリまで。やはり、誰かが観ているということは、少なからず緊張感がもたらすので、全く違う作品ができたのではないかと思ってしまうのです。改めて観にきてくださるお客様には本当に感謝しかないと思っています。

ただ、今回演劇版『留守』は2日間の撮影時間を設け、リハも含めて4回の撮影を行いました。役者として感じたことは今までにない役柄との対話ができたのではないかと思います。観客に観せたいという気持ちから、その場の雰囲気でノリでしてしまうことがあるのですが、今回はキャラクター的にもそうゆう形で役者として考えている自分がいなかったように思います。
役者と自分のキャラクターとの対話が、鮮明に向き合えた瞬間がいくつかありました。

一番そう感じたのは、おしまとのぶつかり合うシーン。
怒りの気持ちって、実は悲しみからくるものなんだっていうことをどこかの記事で読んだことがあって、まさにその感情になりました。
でも、その感情はもともと用意されたものでもなく、今までの悲しかった経験を思い出して絞りだしたものでもない。
ただ、おしまさんという大好きな友達にぶつけた感情そのものでした。
この感情は、純粋な「ナマモノ」の感情でした。

これは、お客様がもし観ていたら、お伝えすることができない「ナマモノ」だったのかもしれないなぁと思いました。

役者同士が創り上げてきた「うそもの」の世界ですが
「うそもの」の中に「ナマモノ」の気持ちや生きたキャラクターが今回は覗くことができます。しかも今回は、いつもだと絶対見れない「役者のオイシイ」シーンも盛りだくさんに撮影しています。

少しでも物語の世界に入り込んでいただければとっても嬉しいです。
またドキュメンタリーブログ書いていこうと思いますので、また観てくださいね。

よろしくお願いいたします。

お富

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