見出し画像

「小説の書き方」という本には絶対に乗っていない「小説の書き方」

さて、私が最後に小説を書き上げてから1か月が経過した。
スランプである。(いつもだけど……)
全然かけない。マジで書けない。
だけど、私は何とかして文字を書かなければならい。
ということで、今までいくつも「小説の書き方」の本や記事を読んできた私だけど、今度は私自身が「小説の書き方」について書いてみようと思う。

どこの馬の骨が書いたかわからない「小説の書き方」は信用するに値しない。私も自身もどこかの馬の骨である。
なのでこの記事は、話半分、面白半分で聞いて欲しい。


1.小説の書き方の真理

小説はどうやって書くか?
この質問に、世の中の9割の教本は答えてくれていない。
プロットだとか、キャラクターの作り方だとか、ごちゃごちゃと細かいことを喚き散らす。この点に関しては、世に存在する教本は役立たずである。
ではどうやって書くのか?答えは簡単である。

集中して。
1文字1文字。
苦労して。書くのである。

これを8000回ほど繰り返すと短編小説、10万回ほど繰り返すと長編小説が出来上がる。シンプルだね。
小説の書き方は以上である。この動作が「小説を書く」という動作の99%である。
日本語を使う。パソコンを使う。キーボードを使う。ペンと紙を使う。文字が連なると文になる。文が繋がるとお話になる。

道具は色々あるが、今はPCで書くのが主流だろう。(手書き原稿は、今ではほとんどの出版社が受け付けてくれない)もちろんメモやプロットは手書きで書くことは多々ある。

2.物理的な小説の書き方

パソコンの前に座って。(スマホで書いている人はスマホかな)集中を乱すものは全部シャットアウトする。ネットは閉じる。ツイッターも閉じろ。ホロライブの生放送もとじろ。
テレビもない方が良いんじゃないだろうか。私は家にテレビがないのでよくわからない。
BGMに音楽をかける人も多いようだが、私は文を書くときは基本的に無音だ。私にとって、音楽は言語のひとつなので(音楽作ったりするので)、聞いていると集中できない。

おーけー、ツイッターは閉じた。テレビも消した。ホロライブはあとでアーカイブを見る。
さて、目の前には白紙の原稿。何を書こうか?

火を見るより明らかなことがある。
読まなければ書けない、ということだ。
人間は食べたもので出来ている。同じように、人間が作るお話というのは、人間が摂取した物語から成り立っている。
小説を書くには小説を読むしかない。
漫画でもアニメでもゲームでも演劇でも、そこからでも栄養を摂取はできるが、やはり主食は文だろう。
まれに、何も読まないで小説を書けると思っている人がいるが、愚かである。愚か愚か愚か。読まなければ書けない。ご飯を食べなければうんこはでてこない。

読む時間と書く時間は無理やり作る。プライベートというのは無理やり奪い取る(L.privare)ものである。

3.何を書けばいいのか

三上という言葉ある。
枕の上、馬の上、厠の上。文章を考えるのに良い場所のことである。
現代風に訳すなら、それぞれ「布団の上」「移動中」「トイレの中」だろうか。
そこには「机上」という文字はない。

アイディアというのは、机から離れているときに沸く。
少なくとも、今の私みたいに、白紙のワードファイルを出勤前に1時間見つめていてもアイディアは降ってこないのである。

アイディアが沸くのが一瞬だが、それを書き落とすのには時間がかかる。
そこでお勧めしたいのが「毎日PCの前でワードを開く」という習慣だ。
この習慣の威力は絶大だ。
お勧めしたい。

ええと、何の話だったっけ。そう、小説の書き方だ。
次に大切なポイントがある。
書きたいものを書く、ということだ。
書きたいものがないなら、無理して書かなくていいような気がする。
無理に書く必要はない。なんたって我々はアマチュアだし。
「書きたい」のと「書きたいものがある」というのは、似ているようで根本的に違う。
(読書感想文とかレポートの文章は別問題なので、機会があったら別記事に書く)

私が最近考えているのは、「書きたいものをどう作るか」である。
書き続けるには、というか小説家になるには、書きたいものを常に作り続けなくてはならない。自然に沸く欲望には限りがある。なんとかして欲望を作り出さなければならない。

先ほど、読まなければ書けない、という話はした。
たとえ話をしよう。
本を読んで書きたくなった場合、そこには2種類のパターンがある。

その1.読んだ本が素晴らしい本で、めっちゃくちゃワクワクして、「私もこういうの書きたい!!!」となるパターン。

その2.読んだ本が滅茶苦茶につまらなくて、「このレベルだったら私にも書ける」「私ならもっと面白いものを書ける」となるパターン。
何を隠そう、私がフリゲを作り始めたのは後者のパターンである。(ここを読んでいる奇特なフリゲ作者は、どうかご内密に。)

素晴らしい本は私達にいろんなことを教えてくれる。いいプロットだとか、キャラクター造形だとか、文章術だとか。
ダメな本は、それ以上にいろんなことを教えてくれる。やっちゃダメなこととか、どうするとつまらなくなるとか、読みにくい文章とは何なのか、とか。

私はあんまりプロットが好きではない。もちろんプロットは大事だが、プロットに頼り切った本は読んでいて面白くないのだ。だって先が読めちゃうんだもん。(プロットを勉強したから、という面もあるだろうが)

そーゆー理論に頼り切ったお話は、多分AIが書くようになるだろう。
正直いうと、日本の出版社が出している小説の書き方の本はプロットに頼りすぎだと思う。それならお前(編集者)が書けばいいんじゃない???って思いながら読んでいる。

書くこととは何か? 人に伝えることである。
小説を書けると幸せになるし、楽しい。人生が豊かになる。それを読む人も、それを書く人も。
あなたは書けるし、書くべきである。(スティーヴン・キング)

ここで私は、小説の書き方についての99%の話をした。
あとの1%は、プロが書いた教本を読むと良い。


それでは。


---

以下、最近私がどうしてかけないのか考察

・マジで本が読めなくなった(本を開くと嫌になって閉じてしまう)
・ゲームができなくなった(10分ぐらいやると嫌になってしまう)
・何をするにも億劫、ひたすら寝ている

単に軽い5月病だったのでは。
(いっぱい寝て,風呂入って,一杯寿司を食べる生活を1週間送ったら本が読めるようになりました)

やはり小説を書く一番のコツは、健康と精神状態……?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?