私は好きではない

私は好きではない。

気になった本を読み、そこに書かれていた内容や言い回しに感動する。

その行為を「ただの読書」といい、無意味とし、特定の読書のやり方だけを推奨することが。


私は好きではない。

特定の行為をした人を無能とし、その人の全てを見ようとせず、カテゴリーに収めてしまう考え方が。


私は好きではない。

どの通過点を通ったかでマウントを取り合う空気感が。


私は好きではない。

教育機関でないのに、このコンテンツは必修だと強く推し進める界隈が。


私は好きではない。

誰もがブログに書くほどでもない日常や考えを「つぶやく」場で、初級者・中級者とランクを勝手に決めつける考えが。

私は好きではない。

気に入らないコンテンツを「ハズレ」と言ってしまう考え方が。


私は好きではない。

自分と違うものは攻撃されて当然とする考え方が。

私は好きではない。

若くして人前に出ている人たちに対し、暴言を投げ、耐えられないなら辞めろと平気な顔で言える大人が。


私は好きではない。

匿名の良さを打ち消してしまう、「実績がないところから出てくるものは価値がない」とする考え方が。

私が好きではないと感じる人たちが好きではないものが私は好きだ。

人生の価値観をひっくり返さない小説。
アクションシーンの詰め合わせのような映画。
意味のない言葉を繰り返す歌。

好きではないけど、誰かがそれをすることを攻撃はしない。自分が正しいと思えるほど博識ではないから。

でも、ひっそりと意思表示をするくらいは許してください。


コンテンツに当たりはあれど、ハズレはないと思っている。自分の価値観にそこまでの自信がないから。

小さな本屋ですら、未だ読んだことのない本で埋め尽くされていることを知っているから、自分の理解できないものに対して、悪口など吐けない。

苦手なら苦手で距離は取る。けども攻撃はしない。それで人生を救われた人もいるから。

思春期は運動をしていても、ふくよかな体型になってしまうことを悩んでいた人を知っているから、顔に丸みを帯びている芸能人に「痩せろ」などとは思わない。

当時は教員免許がとれれば良いと思い、入学後はこの人の授業を聞けて楽しいと感じた大学を、ランクで語られても、「はぁ、そうですか」としか思わない。

努力して、偏差値の高い学校に進学したのなら、あなたは「すごい」のは変わらない。無理に他を蔑まなくて良いと思う。

絶対的な順位などないのに、順位をつけたがるから、お金でソートをかけ、読んだ本の冊数でソートをかけ、見下せるところがあれば積極的に見下し、相対的な順位をつけるのだろうか。

努力したり、結果を残したのは他の誰よりも自分がよく知っているんじゃないのかな。

自分もあれをしたよ!これをしたよ!とアピールしてたし、褒められないことにイラついたこともある。

けども、それは自分で自分を褒められないループに入り、誰も自分を褒めないようになってしまう。

今は好きなことを好きなように書いたり、考えたりして、そこに人を傷つけるようなことがなければそれでいいと思える。

それに気づいてから周りを見渡した。

生きにくい世の中だなと感じた。
死にたいとまではまだ思わない。

自分ができることをやって、あぁもっとやりたいな〜ってことはちょっとずつできるように、努力をしてみる。

この積み重ねで生きていきたい。

これを見た誰かは私を負け組に入れるかもしれませんが、もう競争したくない。

各々がなりたいように頑張るってのでよくないですか。

わざわざ見下して、わざわざ攻撃しなくて良くないですか。

よくないんでしょうね。

社会って難しいですね。

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