彼は彼に似ていた。

Facebookから通知が来た。

中学、高校と友人が少ない人間からすると、お世話になることがほとんどないSNS。

自分は、人に誇れるような人生を送っていないので、仮に、世間の感覚に何らかのバグが発生して有名になったとしても、顔と本名を出して堂々と活動できないだろうなと思う。だから顔と本名も出しながら、あのサービスを駆使できる人は尊敬してしまう。

ならば、なぜ登録してるのか?と問われれば、周囲の状況を知るため。

あぁこの人は大学出てから留学していたのか。
あぁあの人らしい仕事をしてはるな。などなど。

中には夜の仕事で頂点に達していた人もいた。流石にそれには驚いた。

そんなFacebookから、あなたの友人ではないですか?と通知が届いた。

私が認識している友人はもうすでに登録しきっているので、あのFacebookですら想像もつかないほどに私の交流関係は狭い。狭すぎて、誰の共通の友人でもない人が定期的に友達ではないか?と提案されるもはや、博打の域だ。

しかし、今回は違った。彼は確かに友人だった。クラスが変わってからはほとんど話さなくなっていたので、申請する気は起きなかったが、たまにはやるやんけとFacebookを褒めたくなった。さすがは大企業、失望する直前に見直したくなるような素振りを見せてくる。

友人だった彼は、今俳優をしていた。小さな規模だが、CMにも出ているらしい。たしかに、彼はクラスが変わった後の文化祭で、舞台に立ち文化祭レベルとは思えない熱量で、演じていたのをよく覚えている。その日を境に話しにくくなったし、話す機会がなくなったからだ。

彼への恨み辛みを言いたいわけではない。

まだ友人として会話をしていたころ、私はふと彼に、「俳優のあの人に似てるよね。」と話した。彼は喜んでくれた。細かいモノマネを仲間内でよくしていた彼は、人前に出ることは嫌がらず、顔も整っており、翌年には大歓声を浴びた。そして今や、俳優となっている。

私は境界線以下の人間なので、その時にかけた一言が彼の現在に至るまでの活躍に一切関わっていないことは、胸を張って言える。

そんな大成長を遂げた彼に似ていた方の報道が連日続いている。

彼の写真が出るたびに、彼を思い出す。

華やかな世界で過ごしてきた彼の報道では、彼の笑顔の写真が多々用いられている。

私が眺めているFacebookの彼も笑顔で写っている。

あの時声をかけてから10年経った今も、彼は彼に似ている。





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