見出し画像

不眠エアコン換気扇。バイクの音とちいかわと友達。後は割れた親指の爪。

素直。今の私は他人に対して割と素直だ。
大人になって昔より素直に生きようと思った。
嫌な事は嫌だと言って、嬉しかったら嬉しいと伝えて、思った事も全部じゃないけど表に出してみる。10代の私が出来なかった事。
素直な人は素敵だった。可愛らしかった。ずっと憧れている。
だから私は素直になろうと思って素直を行っている。
これは本当に素直なのだろうか。
私は作った素直でないと自分を素直にする事が出来ないのだ。
きっと本当に小さい時の一番素直だった時、それがなんとなく自分のトラウマになっているのだろう。
作られた素直くらいが自分にとって居心地がいい。
これは結局捻くれた根性の先に出てきた芽である。
なぜ思った事を思ったままに伝えるのが私には難しいのだろう。
サンボマスターが「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」のMVを上げてくれた。
昔、画質の悪いきっと違法アップロードであろうMVを繰り返し繰り返し見ていた。
私はあの頃、屋上に迫り上がってくるサンボマスターがまさかCGだとは思っていなかった。
今改めて見て、これは私が映像業界に居るからわかったわけではなく誰がどう見たってCGだった。
でも、昔はわからなかったんだ。画質のせいかもしれないけど、でかい装置か何かで迫り上げてるとばかり思ってたけどどうやら違うんだな。
かっこいい。かっこいいなぁ。ストレートな言葉と声とビジュアルと。音楽に救われるってこれなのかもって本気で思わされる人達。
私がもしミュージャンだとしても、あんなにストレートな言葉きっと書けない。恥ずかしくなってしまう。私に出来ないから、あんなにかっこいい。
私は素直じゃないから、自分は素直だとしているこれは自分に対して嘘をついている事になるのだろうか。
散々言葉で言われてきたけど理解できなかった事が沢山あって、その度に大人に怒られてきたしその価値観を持つ人間に憧れを持ってた。
いざあの頃の大人と同じくらいの歳になって、あー、そういう事だったんだってわかる事ってめちゃくちゃ多い。
同時に、あの頃の自分にそんなこと言ってもわからないよそりゃ、とも思う。わかってたらよかったのにとも思う。
この嘘は、突き通せは嘘ではなくなる。
嘘をつかない事が素直である事の証明か?
私は別に嘘をつかない人間になりたいわけではない。素直な人間になりたいだけなのに。
でもなぜ、自分を素直に見せる為の嘘が出る度になんとなく後ろめたくなってしまうのか。
他人に愛想良く振る舞う時に心臓の底に重たく冷たい鉛が出来上がるのか。
この違和感も感じなくなってしまったら私はもっと自分が嫌いになるだろう。

人間は自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬというほど強くない

この言葉を知った時に敵わないなと思った。
なんてストレートに、かつ短い文章で人間を説明しているんだろうこの言葉は。
当たり前に意識していたのに、誰かに言葉にされないと気がつかなかったんだ。
私はやっぱり素直になりたくなった。
真っ直ぐ目を見て愛を伝えられる人間になりたくなった。
思った時に行動できる人間になりたくなった。
間違っていると思った事は間違っていると主張できる人間になりたくなった。
私は私が生きている間に、このうちいくつの芽を咲かせる事ができるのだろう。
偽りの素直はいつか枯れてしまうのだろうか。
明日は早いんだ、もう寝よう。久しぶりに腕時計をつけて。

#ひとりごと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?