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札幌一番塩ラーメンにはワカメと葱を入れるべき。

春の夜へ。
まだ風が冷たかった気がする。
もう何年か桜は見逃しているけれど、それよりも少し前だったか。
梅の花が少しずつ膨らんで、もうマフラーは家に置いてきていただろう。
何かバランスが崩れる時があって、その足場が崩れてしまったらもう戻ってこられなくなってしまいそうなそんなバランス。
そこからどうにか抜け出したくて、もしかしたら蜘蛛の糸の様だったのかもしれない。
頼りがあるわけでは無いが、あの糸が私の救いだったのだろう。
切れてしまったというよりは、消えてしまった、の言い方が良いか、
私はバランスを保つ一つの理由を失くしてしまったのだ。
失くして気がつくとか、そういうダサい話。
当たり前な事というのは当たり前ぐらいにしか愛せないのである。
生きている時にifの世界線を考えて行くなんて、今のこの私が居る世界線を真っ向に進めないのでは無いか。
全て結果論。勝ち負けも生き死にも、全部結果論であるのだ。
でも、その途中経過こそ人生であり、美しいと思う。
その道筋に確実に存在していたし、それが救いだった。
結果的に後悔してしまう人間は、本当に愚かであろうか。
私は自分の今までの人生に目を向けられる様に成る事がゴールなのだろうか。
今までよりは、まっすぐ見つめられる様になったし、現在進行形なのになんだか笑える所まで来た。これは諦めなのだろうか、それとも受け入れなのだろうか。
私にもわからない。
私にとって、これが大人に成るという事なのかもしれない。
大人に成る事は、何か鈍くなっていく事だと思っていた。
繊細すぎた青春に、見えなくていいものまで見てしまっていた過去を何も感じなく成る事だと。
でも、どうやら違うらしい。
痛々しい記憶を、消していた物をちゃんとなぞってあげられる事なのかもしれない。
まだわからないが、23歳冬、そんな事を思った。
バランスはぐちゃぐちゃで、足元は家具でジェンガしてるみたいな、ガッタガタなんだけど。癖で、何か考えようとしても脳が止まってしまう時もあるけれど。
去年よりも大人に近づいた気がする。
消えた糸、私はまだ待ち続ける。結果ではなく途中経過なのだから。

まだ、春は遠い。

#ひとりごと

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