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今日きたWi-Fiのセールスのおっさんなんだったの、契約しちゃったじゃんか。

snsが嫌になって、しばらく見ないようにしていましたが、現代的自分の居場所はやはりインターネットでソーシャルネットワークなソーシャルディスタンスの場所にあるのだなと気がついたらTwitterを開いてました。(意味はよくわかってません)
みんなおんなじ事言ってるんだもん。暗い気持ちにもなるし。
やなことばっかだなーって思って、占い師に言われた6月、7月は毎年気をつけなさいという言葉の通り、厄月に向けていやなことが溢れてきている気がする。
間接的な事ばかりだけど。
政治の乱れ。此処ぞとばかりに誹謗中傷に触れる人たち。昨日亡くなった私の知り合いに対する追悼ツイート。個性的でなければダメになってきた無個性な世の中は、思っていたより面白くないのかもしれないなぁ。
コピーでありなさい。長い物には巻かれなさいと教わった12年間の学生生活は、正直3分間くらいの思い出に集約されてしまう。単純に私の記憶力の乏しさがそうしてるのですが。。。
私の中には思ってしまった事とか、意見とかを人のこと考えずに言ってしまうような非道な人間が住んでいるので、意見とか言って悪口言ってくるやつなんなん見たいな言葉に対して、あー、もうなんも言えないんだなぁと受け取ってしまった。
人を傷つける言葉は言ってはいけない。当たり前である。
意見を悪口と拾い上げる人間もいれば、意見を意見としてそのまま拾い上げる人間もいる。
発信した張本人の言葉と全く同じ意味で汲み取られることなんて、10%も満たないんじゃないかな。
そう考えたら、どんな発言であっても誰かを傷つけてしまう鍵になってしまう可能性を秘めている。
100人いたら100人違う人がいて当たり前で、似てる似てないはあるにしろぴったんこカンカンで一緒な人なんて誰も居ないなんてとっても簡単な事に気がつけたのは高校を卒業してしばらくした時だったし。みんな違ってみんないいって言葉がどれだけ重くて攻撃的な言葉なのか、これを書いている今ようやく感じれた。
地球が一つになったら、それこそ狂気であり世紀末なんだ。
時間が止まればいいのにって何万回も考えて、頭の中で犯罪を繰り返してた学生時代。本当に時間が止まってしまった知人は、救われているのだろうか。
可哀想だなんて言いたくないんだ。お疲れ様でいいじゃないか。その人が見つけた最適解、私と違った最適解。
生きてることが重すぎて、死にたくないって思えるの私は最高だと思います。諦めの感情なんか混じり合わせず、心から幸せだなって体験する前に死にたくないんだ私は。
幸せがなんなのかまだまだ分からないので、幸せに飽きた頃に死にます。
そして私はこの昼夜逆転を全力で治療していきます。
社会復帰つらい。

#ひとりごと #チェだぜ #意味は無いです #知ってる人いるかな

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