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いろいろ行違う2回目のインドネシア訪問 「バンドン」

バーレーン、南国の後に行った国はイギリスでした。

イギリスには地震探査の研修で3か月間ほど、ロンドンの北列車で1時間ほどのベッドフォードと言う町にホームステイしていました。イギリス滞在中の話は以前にも少し紹介させていただきました。

イギリス滞在はとても思い出深いものでした。

イギリス研修が終わって日本に帰ると、両親はインドネシアに、兄はインドに海外赴任していました。そこで、一度両親の住むインドネシアを訪ねてみることにしました。

学生時代にジャワ島に行きましたが、これが2度目のインドネシア訪問です。両親はジャワ島西部のバンドンという街に住んでいました。

バンドンは首都のジャカルタから南東約200㎞に位置していて、往路は日本からジャカルタに飛んでそこから国内線の飛行機に乗り継いでいきました。


出典: ウィキペディア 「バンドン (インドネシア)) より

バンドン市街は標高700m近くあり、周りを2000m級の山々で囲まれています。標高が高いので、熱帯にありながら、年間を通して大変過ごしやすい気候です。避暑地としても有名で、私は6月ころ行きましたが、本当に過ごしやすい気候の街でした。

バンドンというと「バンドン会議」という言葉をなんとなく歴史の時間に耳にしたこがある人もいるかもしれません。1955年に開かれた第1回アジア・アフリカ会議の開催地がバンドンであったことから「バンドン会議」と呼ばれています。また、バンドンには「バンドン工科大学」という有名な理工系の国立大学があります。インドネシア初代大統領スカルノ氏もこの大学の卒業生です。

バンドンには日本政府の無償資金協力事業で,、インドネシア鉱山エネルギー省地質鉱物資源総局所属の地質研究開発センター (GRDC) の附属研究所として設立された第四紀地質研究所がありました。私が訪れたころ、日本の国際協力事業団 (JICA) とGRDCがこの研究所をベースとして「第四紀環境地質」研究協力事業を実施していました。日本人の地質屋さんもこの頃、この研究事業に携わっていました。

私はバンドンに住んでいた両親から「いつでも良いから遊びにおいで」と言われて、まとまった休みが取れた機会にバンドンを訪ねました。行く前にはちゃんと日程も連絡して両親からも「大丈夫だよ」と確認もとっていたのですが。。

ところがバンドンでは両親の住む家に泊めてもらえるものとばかり思っていたのに、他にお客さんがいたらしく家には泊めてもらえず、近くのホテルに泊まることになりました。

しかも5泊ぐらいの予定で両親を訪ねたのに、最後の2日間は、両親たちは「社員旅行に泊りがけで行くから後はドライバーを使っていいから適当に観光して日本に帰りな。じゃあねー」と、なぜかバンドンにおいてきぼりにされました。

意味も分からず、ドライバーに案内していただきバンドン近くの火山を見学して、最後はバンドンから電車でジャカルタに戻り帰国したのでした。

おいてきぼりとはなりましたが、ドライバーに連れて行っていただいたタンクバンプラフ火山は雄大で素晴らしかったです。タンクバンプラフ山は活火山であり、2019年にも噴火を起こしています。

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