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埼玉の国道。国道407号の杉並木
国道の番号はどのように決められているのでしょうか?国土交通省のページにはこの質問に対して次のような回答が掲載されています。
回答
国道の番号の付け方については、現在は基本的に、国道の追加指定ごとに北に位置するものから順に、番号が付けられています。
(参考)
旧道路法での国道の路線は、東京を中心に神宮や府県庁所在地、師団司令部所在地などを結ぶものとして整備されていました。
その後、昭和27年の新道路法改正時に、一級国道(現行道路法第5条第1項第1号に該当)と、二級国道(現行道路法第5条第1項第2号~第4号に該当)とに分けられ、前者には1桁もしくは2桁の番号を、後者には3桁の番号が付けられていました。
これら一級国道と二級国道の分類は、昭和39年の道路法改正時に廃止され、一般国道に統合されています。
なお、現在の国道の路線は1号から507号まで存在していますが、このうち48路線が欠番となっています。
欠番となっているのは59号から100号で、昭和39年の道路法改正後から一般国道の追加指定には3桁の番号が付けられているためです。
そのほかにも、路線の統合や変更により、109号(国道108号に統合)、110号(国道48号に変更)、111号(国道45号に変更)、214号、215号、216号(統合し国道57号に変更)が欠番となっています。
地元埼玉県には現在いくつの国道が走っているのでしょうか?
1桁番号
国道4号
2桁番号
国道16号、国道17号
100番台
国道122号、国道125号、国道140号
200番台
国道254号、国道298号、国道299号
300番台
国道354号
400番台
国道407号、国道462号、国道463号
埼玉県のホームページには、埼玉県道路網図簡易版が掲載されています。
その中で市町村名・市町村協会ありで高速・国道 (計画戦無し) として掲載されているのが下の図です。
![](https://assets.st-note.com/img/1703816253515-2biaT4a5MW.jpg?width=800)
私が子供の頃住んでいた入間 (いるま) 郡鶴ヶ島町 (現在の鶴ヶ島市) は、現在でこそ、関越道と圏央道のジャンクションがあり、また、関越道、圏央道それぞれにインターチェンジがあり、交通の要所となっていますが、当時は国道407号もまだ県道熊谷入間線 (当時私たちは「県道入間熊谷線」と呼んでいました。1982年に国道化) で、普段の生活ではほとんど国道とは縁がありませんでした。
だからたまに母親の車でどこかに出かけるときに、国道16号線とか、4号線とか254号線とかを通ったり交差したりするときには、国道の交通量の多さに驚いたものです。
鶴ヶ島を南北に貫く主要道の一つであった県道熊谷入間線は、江戸時代、八王子から日光へ向かう日光脇往還の一部をなしていて、鶴ヶ島市付近では当時をしのばせるきれいな杉並木が残っていました。私たちはこの道を「日光裏街道」と呼び、杉並木を「日光街道杉並木」と呼んでいました。
最近はあまり通ることがなかったので現在の様子をあまり知らなかったのですが、いまでも杉並木はきれいに整備され残されているようです。鶴ヶ島市の文化財マップでは、鶴ヶ島を通る「日光街道」について以下のように説明しています。
日光街道
この街道は、江戸時代に八王子にいた千人同心が日光東照宮の警備を勤めるために往来した道で、日光脇往還とも呼ばれています。鶴ヶ島市、川越市、日高市にまたがって続く杉並木(点線表示部分)は、川越藩主松平伊豆守によって植栽されたと言われています。
https://www.city.tsurugashima.lg.jp/data/doc/1666654504_doc_928_0.pdf
グーグルマップのストリートビューで久しぶりに杉並木の様子を見てみました。私の通った中学校はまさにこの杉並木に面していて、夏には涼しげなこの杉並木の光景を懐かしく思い出しました。
県道熊谷入間線は普段の生活ではもちろん、母親の実家がある行田に向かう際にも東松山までよく使っていた道で、私にとってはとても馴染みのある街道です。国道になっても変わらず杉並木が残されていてうれしいです。
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