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GDZ Day3 上映会

こんにちは。最近積読が100冊をこえて部屋を占拠し始めた南後ゼミ3年の竹村です。年度が変わってしまう前に、雑誌からでも手に取って読んでみようと思います。

さて、2022年10月30日(投稿が遅くなりすみません)、8大学9研究室による合同ゼミ「GDZ2022」のDay3が開催されました。テーマは「映像レトリックを用いて、建築を表現せよ」です。プロモーションビデオではなく、映像の中に立ち現れる建築とは何か、研究室やゼミを超えた交流の中で考えました。Day3では、各班の作品の上映・講評が行われました。その様子は新建築ONLINEで、講評者の1人である瀬尾憲司さんの記事でもご覧いただけます。ここでは講評を一部抜粋(講評者の敬称略)します。

映像編集の様子

撮影地:母の家

A班の作品
建具によるフレーミングに注目した。フレームをテーマに、フレームを合わせるように編集した。
I班の作品
内と外、パブリックとプライベートに着目。境界を跨ぐ・貫くようにシーンをつないだ。
講評
藤村:両方に共通して、映像というメディアは最後が印象に残る。Aは赤ちゃんが過度な演出。
仲本:途中で手ブレのあるカットがあった。フレームと構図にこだわるなら動かないようにしないといけない。「これでなければあり得ない」構図を提示してほしい。

撮影地:ニシイケバレイ

B班の作品
画面を2分割して住宅・カフェとしての空間を表現した。
E班の作品
ストーリーを決めずにスマホで撮影した。集まったデータを見返して、見えていなかった境界に気づいた。
講評
瀬尾:B班は左右で違う機能というのを表現するためにもう1工夫必要だった。E班は現場で感じたことをもっと入れるべき。
成定:連携させるという手法はわかる。映像とコンセプトが説明的すぎる可能性がある。

撮影地:茶室ニゴウ

C班の作品
目線の違い、観光名所と日常の浅草、異なる仕草を同じ空間で撮影した。
講評
田中:はじめに女性2人が雷門の前で写真を撮り、男性が路地を歩くシーンがあったが、あれが嬉しかった。路地ありきの建物として設計しているので、観光地とディープな浅草という、意図は違うが2面性を感じ取ってくれたというのは面白かった。
仲本:この素直なアプローチでいいんだよ。とてもよかった。しかし日常の方があまり感じ取れなかった。

那須の山荘

E班の作品
人や自然の営みの非対称性に注目し、鏡を通して撮影。軸線上にカメラを設置し、実像と虚像を織り交ぜた。
J班の作品
自然に溶け込む建築なので、那須の山荘を背景として扱った。第三者視点で撮影。モノを変えずに場所を変えた。虫の目で客観的に建築を見た。
講評
宮:荷物を片付けて欲しかった。自然の機微を反映させようとしている。トリッキー。
瀬尾:鏡を通した左右対称を徹底したほうがよかったのでは。葉っぱが落ちる演出がいい。

古澤邸

F班の作品
良いと感じた部分を切り取った。全体像を知る者として構造に従った上でユートピア的に、自由なシーンを選び出して構成した。
講評
古澤:純粋に面白い。前半は違和感がなく、建築写真でよく見るものだった。だんだん不思議なカットが増えていった。
瀬尾:ものの置かれ方が普通じゃない。建築の発する普通じゃなさがどうしても映る。体が反応してそれに応えようとしている。
仲本:映像を見る限り3D的で宇宙船っぽい。重力を感じさせない。その中で足が出てくる、人が出てくることが重力を感じさせる。フレームレートをもっと上げた方がいい。ブレが見えるとあれと思ってしまう。

東大図書館

G班の作品
建築の背負うコンテクストの大きさにより、シークエンスとコンテンツに縛られてしまう。空間そのものがなくなってしまう。こまどりで空間を断絶させ、カオス的にした。秩序そのものについて議論が生まれれば。
講評
川添:同じシーンが続くと思ったが、少しずつずらしていくのがフーガのようなと思った。
瀬尾:すごいと思った。過激。塚本晋也を思い出した。このままでいいんじゃないか。ルールを伝えたい意図があるならそれは失敗している。ルールを壊しているところはよくわかった。
仲本:構造映画として見れば今までで1番よかった。惜しい。この手の映像はいくらでもある。それを抜け出すには至っていない。
南後:シークエンスが印象的だった。空間のサイズが時間・リズム・速度に変換されるのが良い。評価の仕方は様々だが、イマジネーションを喚起させるのが良い。建築と映像というメディアの境界をどう変換するか。変換に多様なものが宿る。

DANCE FLOOR

H班
班員・階段の周りで変化するもの。固定化された家具が多い。身近だけど些細なもの。長時間露光を模した表現。
講評
塩入:ものにフォーカスしたのが面白かった。動画にしかできないこと、音、カットの時間。長く映すと色々想像させる余白が生まれる。
瀬尾:写真と映像の違い。見た感じ写真っぽい。写真っぽい構図だと思った。写真だと物が多すぎると受け入れられないが動画だと受け入れられる。そこに動画の可能性がある。
成定:シーンが長い。オチがだんだんと見えてくる。こちらも発見できるものが見たい。

発表の様子

以上のように多くの班がフレームや境界といった建築言語から考えを深めているのが印象的でした。南後ゼミ以外が全て建築系の研究室であることも関係していそうです。

南後先生のコメントでGDZ2022は幕を閉じました。

「設計者もこの場にいた。全ての動画が、建築家が想定していなかった物だった。設計者の感想が面白かった。建築家ですら困惑する。学生のみなさんは映像作家ではない。しかし、映像というメディアの形式やその可能性・固有性に触れることによって逆説的に建築の可能性を再発見したのではないか。そのフィードバックが今後の展開として楽しみ」

講評者の皆さん(中央)の言葉に耳を傾ける

今年は南後ゼミがGDZの幹事を務めます。すでに準備のため、話し合いを始めました。先週キックオフmtgがあり、キーワードとして「主題図」が挙がりました。南後ゼミならではの内容にするため、準備を進めていきます!

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