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黙食は釈迦の教えと共通していた

「黙食」


コロナ禍で色んなワードが出てきて
いろいろ突っ込みどころ満載やったりするけど、


その中でもこの黙食。


最初聞いた時は
お食事って皆で会話しながら楽しく食べるものなのになぁと思いながら、
でもまぁ飛沫が飛ぶから仕方ないのかと思ってた。


そのうち、空気感染が主な感染経路だと知ってからは
特に子供たちにとっては
なんて酷いことをするんやと思ってた。



が。


この黙食に関しては
お釈迦さまの教えにそっているかもしれない。


そのことに今気づきました。

気づいたというか、今読んでいた本にこう書かれていたから。



釈迦は「黙って食え」といいましたが、これは仏教用語でいう「止観(しかん)」のこと。

止観とは言葉のとおり、止めて観ることです。

目の前のごはん粒一つを見て、「このごはん粒は、どこから来て、どのように育ったのだろうか」ということを考えながら食べるのが止観です。

苫米地英人『夢が勝手にかなう「気功」洗脳術』



黙って食べなさい


厳格な家庭ではよく聞かれた言葉かと思う。

ただ単に厳しいだけなんかなと思ってたけど、
ちゃんと禅寺の釈迦の教えやったんやなぁ。


いつから食事はみんなでワイワイするのが当たり前になっていたのか。
(もちろん当たり前ではなかった人もいるでしょうが)


なんていうのかな。

海外とか、食事をしながら会話を楽しむっていうスタイルじゃないすか。

あれに憧れたのかな?


確かに私にはあぁいう姿に憧れるところがあるけれども
確かに命をいただくのだから
何かしながらとかそんなんでは
命に失礼やとも思う。


まぁその他の意味不明な対策や
やたらめったら喋るなという対策には
反対だけども、

この黙食については、
少しお釈迦さまの教えだと思って
取り組んでみるのもいいかもしれんなと思う。


黙食だけは。






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