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何か違う

 自分の気持ちや考えを、そのときにぴったりな言葉で表現するって難しいと感じます。これは単に私の語彙が足りないだけなのかもしれませんが、このnoteを始めてから、それをますます強く感じるようになりました。

人に読まれることが前提だからでしょうか。自分を良く見せたいという見栄のようなものが、意識の片隅にチラッと出てきてしまう気がします。

他の人のnoteを読んでいると、「面白い文章だなぁ…!」と感じることが多いのです。自分の体験やその時に湧き上がった感情をありのままに語っているのに、読み手の気持ちを蔑ろにしない表現。自分の感情だけで突っ走っていない、読み手に共感や憧れを感じさせてくれる書き方。「分かるなぁ。素敵だなぁ!」と思わずにはいられない言葉の数々。素直に「すごいなぁ」と感じます。

そしてはたと自分のnoteを読み返してみると……、何か違う。

これは他の人と自分のnoteの違いでもありますが、自分の中での「何か違う」でもあります。

noteに投稿する言葉を綴るとき、私には必ず思うことがあります。誰かを傷つけるような書き方をしてやしないか、嘘偽りなく自分の素直な気持ちを書けているか、そうは言っても全てを曝け出すのは怖いからある程度の表現に抑えて書けているかetc……。私の中での「何か違う」はこれらの配慮、言い換えればある種の怯えから生まれているのだと思いました。

なんだか人付き合いと似ています。相手のことを思って遠慮しながら付き合っているのに、仲良くできない。それは、裏を返せば自分を守っているばかりだから。大したことない奴だと低く見られたり、変な奴だと嫌われたりするのが怖いから、自分を曝け出すのが苦手。それが相手にも伝わり「なんかこの人、自分の本性隠してるみたい。」と思われ打ち解けてもらえない。自分は相手に気を遣っているつもりなのに、相手との距離は縮まらないまま……。

あれ? 気付けばいつの間にか人間関係の話になっていました。でも、私の中での「何か違う」は人付き合いにおいて感じる窮屈さと似ているのだと分かりました。

相手に配慮せず、時に傷つけることも躊躇せず、自分の好き勝手に振る舞うのは我儘だと言えましょう。ただ「相手に対する最低限の気遣いを忘れなければ、過度に自分を萎縮させる必要はない。むしろ自分を出さないままでいる方が、相手に不信感を与える場合も多い。」と過去の人間関係を振り返ってみて感じました。

これ、よく言われていることですよね。でも、私にはなかなか上手く出来ないことでした。(思春期の少女のような悩み! 笑)

自分が感じたことをありのままに。
Let it go.(古い。笑)な精神でこれからもnoteと向き合っていきます。

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