問い詰めたくなるときの気持ち
考えれば分かるだろう、と口には出さずとも、態度に出てしまうことがある。
相手からすれば、なんでそんなに上から目線で偉そうなのかと反発するか、あるいは何も言い返せずに萎縮してしまうか。
人間関係において、反発されたり、萎縮させてしまったりするのはよくないだろう。いわゆる、ロジカルハラスメントにあたるのかもしれない。
どんなときに、問い詰めたくなるのだろうか?
普段リラックスして家でごろごろしてるときは、問い詰めるのとの字さえでない。ジョギングをしているときもそうだし、ご飯を友達と食べてながら談笑しているときもそうだ。
一方で、仕事の場においては抜け漏れがあると許せない気持ちが湧き出てしまうことがある。考えれば自明であるのに、考えるのをさぼったのではないのか、と思ってしまうからだ。...いや、さぼったかどうかはどうでもよく、本音としては、その抜け漏れの対応をするのがいやなのだと思う。
本来であればもっと前に進めたはずなのに、身体を後ろに引っ張られてゴールから遠ざかるように感じている。まるで、旅行に行く予定があって楽しみひしていたのに勝手にキャンセルされてしまったような気持ちだ。
つまり、目標があり、それにむけて時間をさいていおり、その目標の最短ルートを人から邪魔されたと感じたときに、批判したくなってしまうのだ。
ところで、なぜ自分は抜け漏れが少ないと思っているのだろうか。おそらく、ある分野においては、経験があるために、詳細が予め見えるようになっているのだろう。
もしかすると、これが年をとると頭が固くなる、と言われているやつなのかもしれない。気づかないうちに老害化は始まっている。
知識も経験もない先の見えない分野に、時間をつかうようにしたほうがいいのかもしれない。
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