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真夜中のナイトメア

B面 真夜中の出来事

最近攻撃を受けることが少なくなったと思っていたけど、それはわたしが病気で狂っているから我慢して言ってないんだよ、って言われてしまいました。

話す言葉がもう、違う星の人みたいに通じない。わたしがやっと自分で納得してハッピーになろうとしたら、
おうちょっと待った、と路地裏に連れていかれボッコボコにされている感じでしょうか。。

わたしのハッピーなんかどうでもいい。元気になったんだったら、今すぐに荷物まとめて出ていってくれ、という感じですかね。。

数分後、わたしは自分の頭をボコボコに殴りはじめました。

死にたい、死にたい、誰かころしてくれ、と泣いていました。

もう生きていたくない。今もこの間も、何度もそう思った。何年も前から。

そう思いたくなかったからずっと頑張ってきたけど、
うちの人間はわたしを必要としていない。

だから楽しいことを見つけたといっても喜んでくれない。
こう考えた方がいいといってもそれは納得いかないとしか言わない。
わたしの幸せは、うちの人間は望んでいない。
攻撃して自死すんならそれでいいと思ってる。
攻撃して罰せられない。から何度も悪口を言う。

やりたいことをするって、なぜダメなんですか。

仕方ないから、ODした。

以前、顔を殴りすぎて3日くらい腫れあがってたけど、誰にも言われなかった。どうせ今回も何も言われないんだろう。ひょっとしたら、血を流しても気づかないかもね。

作品が作りたいそれだけだったのに。。。

A面 表面の出来事と、わたしは関係ない

他人から見ればわたしの中身は見えない。何か出来るんだ、動けるんだ、それじゃ不愉快なわたしは目の前から消えてくれ。なんだろう。

わたしは、昨日自分を見つめていたつもりでした。そこで、自分を分析したつもりが、本来やっちゃいけない、「他人に言われた言葉を分析する」ことをしてしまったのです。

他人を分析するってことは「相手の言葉を否定する」結論になりがちです。でもそれは、真の解決方法ではありませんでした。

調子のよかった時、わたしは「皆から必要とされている、とてもうれしい」と感じ、楽しく作品を作っていました。

調子が悪かった時、わたしは「自分の作品をけなされた」と思っていました。作品作りが楽しくなくなりました。

先月、作品作りに苦しんでいた理由は、「必要とされているけど、自分の本来作りたいものが作れない」でした。

つまり、要因が全部「他人の評価」になっていたのです。

いま、「自分を「ごきげん」にする方法」辻秀一さんの本を読んでいるのですが、そもそも他人基準で動いていては、自分の最高のパフォーマンスからどんどん遠ざかってってしまうと、ずばり書かれていました。。とほほ。

わたしがしたことをどう評価されるか、考えすぎていたのだと思います。本来すべきことは、今ある目の前の材料から、可愛い子を作り出すだけ。
これは、指定された材料だろうが、自分で選んだ材料だろうが、変わりません。

家の材料を使わず、提供された材料を使って作品を作る「仕事を頂く立場になった」ことに、家族はすごく怒っていました。

でも、この業界で「一流の作家」になった場合、素材メーカーが黙ってみているわけがありません。うちの素材で作ってほしい、という仕事が入るのです。

一流の作家にすぐなった方は、家に材料はほとんどありません。しかし、わたしは下積み生活が長く、材料を買う習慣がついてしまっていた。

たぶんその程度の差だと思います。

その場合、家族はふきげん、わたしはごきげんになる。

そこをどうするか考えればよかったのです。でも、この差は大きく、少し説明したところで、簡単にはわかってもらえません。

作品は今すぐ作らないといけない。しかし家の人間が恐ろしくうるさい。
わたしが病気になる程うるさいわけですから、一日考えたくらいじゃ、無理。

と思い、読みすすめていくと、表情だけでなんとかなる、と!
えーー。

本当に、どうにかなるの?果たして。もうやってみるよ。



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