反省文 -あとがき-

どこから謝るべきなのか、と悩んでいる間に「金木犀の少女」の投稿から3分経過していた。

#読書の秋2020 の投稿を何とか時間内に滑りこませることに成功した私は、深夜特有の空腹と15℃を示す室温計と共にこの文章を書いている。時に方々から聞こえる悪魔の囁きに身を委ねそうになりつつもやはりパソコンに向かっているのは、無論並々ならない罪への念からである。

まず集英社さん、偉そうなこと言ってごめんなさい。

そして安壇先生、もっと練りに練り上げた文章を投稿するはずが2時間で書いた稚拙すぎる文章を投稿してしまってごめんなさい。

私の一連の投稿をつい今し方ご覧になった方なら、私が一方的かつ理不尽に打ち上げた反逆の狼煙が誰の目にもとまることない内に消沈したことへの失笑を禁じ得ないだろう。
このような結果になってしまったのはひとえに私の杜撰な計画性にあること間違いない。このnoteでのイベントを知ったのはイベントが始まったあたりだったろう。しかしそこから11月の中旬まで資格の勉強があったこともあり#金木犀とメテオラ を拝読したのは11月下旬に入ってからであった。
実のところ私は自分が集英社の選考に落ちたことに心底納得している。考えの甘さはESの文面では如何様にも繕うことができても面接までは通用しない。それは就活生なら必ず一度は耳にするほど有名な教訓であり、無論私もそれを当然のこととして、他の選考ではステップが進むにつれて前日の対策にはより時間を費やしていた。
しかしそれは他の企業における話である。私にとって集英社は他の企業と同列に並べるには思い入れが格別すぎた。もっともそれは当時受けた出版社全ての選考に落ちたことを考えれば何も集英社に限った話ではないのかもしれないが、恋焦がれ続けた期間が長かったからこそ、私からの恋文(ES)を受け取ってもらえた、ただそれだけの結果が私に持たらした意味は格別なものであった。恋文が受け取られたことに十分満足した私には、何の論拠もない「これはいける」という確信が生まれ、今まで欠かすことのなかった対策への時間を全てマンガ(無論ジャンプ作品)を読む時間に注ぎ、翌日の面接は自分史上その前にも後にもないほど悲惨な結果に終わった。

それから4ヶ月の間、私はそれこそ“小学5年生”がふてくされるようにマンガから距離を置いた。いや頭の片隅では「今回の失敗は大変良いものであった。今後の私が成長していく糧になるだろう」などと適当に美化していたかもしれない。しかし今し方、私は全く同じ過ちを犯してしまった。人間は根本の部分においてそうやすやすと変わることはできない。
では“やすやすと”でなければ変わることができるのだろうか?
私は変わりたい。変わるためにはどうすれば良いか、などとSNS上で下手に尋ねでもすれば四方から、最もそうな美辞麗句に身を包んだ勧誘が飛んでくることだろう。だからこそ私は今回の2時間しか費やさなかった感想文をnote上に残すことを決めた。
未だにアプリを開くたびに赤面が止まらないが、こうでもしないと時間の流れと共に想いは風化してしまう。安壇先生には大変失礼だとは思うが、今回の感想文に代わるものを2月17日の私の誕生日までに書き上げてここに投稿することを以てどうか許していただきたい。

私はここにリベンジマッチを宣言する。その目線の先にはもはや集英社などいない。相手は11月30日22:00に感想文を書き始めた自分だ。
大学4年の私にとって、誕生日までの2か月と半月は長いようで一瞬だろう。この先の2か月半と比べてもさぞ貴重な自由な時間なのだろう。それでも私はこの勝負を挑まねばなるまい。
しょーもない自作自演なのだが、これには私の将来がかかっている。勝てば私は夢を掴む可能性を手にし、負ければ生涯天を仰ぎ見るだけの人生を送ることとなる。
学生時代最後の誕生日ぐらい、自分の成長を噛みしめて過ごしたい。

2020.12.1 りょーへい

#読書の秋2020 #金木犀とメテオラ #集英社 #安壇美緒

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