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『語り継ぎ』樋口中将

おはようございます。

本日はいつもお話し相手になって下さっている知り合いのおじいちゃまから聞きましたお話を書いていこうと思います。

これから書きます内容は、おじいちゃまが子供の頃のお話しになります。

おじいちゃまのお父様は、関東軍と共に朝鮮へ出兵する事となるのですが、戦争を嫌っていたお父様は現地での通訳をすると言う形で朝鮮へと向かう事となりました。

その時に知り合ったのが「樋口希一郎」氏だそうで、おじいちゃまのお宅にもお茶を飲みに時々顔を出していたそうです。(詳細は書けませんが、おじいちゃまは元々県外の方です)

「樋口希一郎」氏はWIKIにも書かれています様に、ハルピン特務機関長をされていたそうで、これは日本の所謂「スパイ組織」なのだそうです。

ユダヤ人の方々を救済したのでも有名な「樋口希一郎」中将ですが、その時の状況のお話もよくされていたそうです。

WIKIにも書かれている様に、「ヒグチ・ルート」で救われたユダヤ人の数は、総数は最大で2万~3万人であった可能性があるとされていますが、その数は定かでは無く(ご本人も数に執着はされていなかった様で)、難民として満州に流れてきたユダヤ人の方々を「ヒグチ・ルート」で米国へと避難させたと言われていた様です。この件に関して公に語られているのかどうかは判りませんが、この様な「樋口希一郎」氏の活動のお陰で、戦時中に生き延びる事が出来たユダヤ人の方々は親日だとも言われている様です。

列車に乗っていたユダヤ人の方々はとにかく多く、貨物の上にも山の様に積み上げられるように乗っていたと言われています。

助けられる人々を見捨てて置けない・・・・・助けないのは大和魂に反する事。その様な高潔な方だったそうです。

私自身も知らなかった「樋口希一郎」中将ですが、戦争も集結し、その後は一般人として就職したとか。

悲しいのはこの事実を歴史として伝えられることが無かったと言う事でしょうか?

詳しくは上部に貼り付けて有ります、動画を観て頂ければと思いますが、いつの時代も理不尽な命令をするのは現場にいない上の方々です。そして今の世の中と何も違わない問題でも有るかもしれません。

要は何が書きたいのかと言いますと、他者に手を差し伸べる事が出来る時はその手を差し出してあげる事でしょうか。結局朝鮮出兵で悪行を働いた関東軍はその場で処刑されましたし、前にも書いた事が有ると思いますが、おじいちゃまのお父様の様に、他の関東軍に見つからない様に夜現地の方々を集めて食事をしていたお父様は終戦後助けられ港まで衣服も揃えて安全に送って頂けましたから、その時が良くとも結果その善行(お父様は関係無い人々が苦しむ姿をみていられなかった様です)が、後々自身の為に還ってくると言う事だと思います。

これからの時代は他力本願の様にただ何かに対して祈るだけではなく、有言実行に移せる自分を育てていくのが良いのかもしれません。

知らされていない日本の事実。社会の歴史の本には書かれていない事はまだまだ数多く存在しますが、少しでも・・・・詳しくなくともその様な事が実際有ったのだと認識出来る様に語り継いでいければと思います。

『情けは人の為ならず』

人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくる。

戻ってくるものを「期待」して待つのではなく、人として何かが出来る事が当たり前の世界になれたら良いですね。



七曜 高耶


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