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利害のないあなた

あいさつとは、単純で気持ちのよいコミュニケーションです。知らない者同士でも、目があったから「おはよう」「いい天気ですね」

300戸規模の、いわゆるファミリータイプのマンションで暮らしています。ここに越して6年。感じのよい住人さんが多く、エントランスで気軽に声をかけてくれます。「おはようございます」「雨降ってました?」「今日は暑いですね」などなど。声がけをはじめて、だんだんと防犯意識が高まっていることに気がつきました。「ここに住む者です」と、名刺のように差し出すあいさつが、このマンション全体に自衛心を育んでいるようです。ご近所同士でスクラムを組むまでいかなくとも、うっすらと顔見知りになることで、自分たちの住まいを守ろうという気持ちが働く。自室だけでなく、このマンション全体が自分の住まいだという意識になっています。これは大きな安心感です。

朝、エントランスでいつも立ち話をしている3人のママさんがいらっしゃいます。「おはようございます」と声をかけても、じっと私を見つめたあと、顔を見合わせて肩をすくめるママさんたち…別にいいんだけどね、顔を合わせるだけの名前も知らない関係に、なぜそんな態度が必要なのか。想像力が追いつきません。でも思うのです。こういう奴はどこにでもいたなと。幼稚園にも、高校にも、バイト先にも、会社にも。なんの得があってそんな風に振る舞うんだろうと長年疑問でしたが、彼らは生まれつきそういう性質をもった人たちなのだと理解しました。血液型みたいなもので、自力では変えられないのです。

早期退職をして、広告会社から保育園の用務員に転職した知人がいます。日々親子を観察する中で「悪い親から良い子は生まれない。良い子は良い親からしか生まれないが、良い親から良い子しか生まれないということはない」という真理にいきついたそう。良い悪いの定義はさておき、わたしたちは成長の中で自分で考え行動し、学んでいきます。多くの選択肢を得られなければ、目の前にあるものでしか判断できない。彼らにとっての最善は、偶然わたしにとっての最悪なのかも。無視することで、最善を尽くしているのかも。

いやしかし。1日のはじまりも、人間同士のおつきあいも、何もかもあいさつからですよ。あいさつしない奴は、等しく不審者なのです。

また明日。

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