得するエコ

某コスメブランドでシャンプーを購入するとき、いつも「詰め替えリフィルよりボトル入りのほうがお得ですよ」と言われます。そのたびにモヤっとする。ゴミの分別にやたら厳しい行政区で育ったからか、シャンプーも洗剤も詰め替え用を買う習慣がべったり身についてします。安い高い以前の問題で、すでにボトルが家にあるのに同じものを買って帰るというのが、もうなんかイヤだ。でもこのイヤという気持ちは、エコ意識とかゴミ削減のためとかそんなことでもない気がするんです。この気持ちの正体はなんなのでしょう。

行政区によって、ゴミの分別ルールが大きく異なります。実家のある神奈川県と比べて、いま暮らしている東京都はかなりゆるい。本社のある大阪では、ペットボトルと燃えるゴミを同じゴミ箱に捨てていることに大きな衝撃を受けました。ゴミを収集したあとで誰かが分別しているのでしょうか。小学生の社会の授業かなにかでリサイクルについて学んで以来、ゴミ出し=リサイクルの手伝いだと思っている節がありました。しかしそれは幼いわたしに妙な使命感を植え付けただけで、実際はその行政区で使用している焼却炉の性能だとか、ゴミ削減への方針とかそういうものを反映させたものが「ゴミ分別のルール」らしいですね。リサイクルがエコというのはわかるけれど、こうなってしまうと分別とエコを結ぶのものなかなか難しいです。でも単純に、生きているだけでゴミが出るというのは、あまり気持ち良いものではありません。コンビニ袋くらいのゴミ袋になったら、ゴミ出しはきっともっと楽になるのに。可燃ゴミも不燃ゴミもプラごみもアルミ缶スチール缶ペットボトル古紙も、コンパクトに収まったら楽チンですよね。

お買い物のときも、百貨店の簡単な封筒みたいな紙袋に入れてもらいます。かさばるショッパーをいくつも抱えて歩くのは普通に邪魔です。カバンにエコバックを入れていると「意識高いね!」と言われるけれど、機能的に優れているからエコバックを使っているだけ。スーパーの袋ってどんどん溜まって邪魔だし、エコバックだと重いものを買ったときに袋が手のひらにくい込んで痛い!ということもないのです。

もしかしてわたしが詰め替え用を選ぶのも、同じボトルが2つあっても意味ないからという、単純なことなのかもしれません。効率が悪かったり意味がないもの、惰性でやっているもの等々がとにかくイヤなので、無駄のない方を選ぶ。わたしのような高機能原理主義者みたいな人間とエコって結構相性がいいと思います。リデュース&リユース活動を通して自分がすっきりできる、低燃費な快感!最高じゃないですか?

エコとか言われても、なんのこっちゃとなりがちです。地球環境と自分が直線で結びつく人なんて、そんなに多くはないでしょう。なんかもっと、他の言い方ができないかなぁ。自分も得しないと、分別なんてただの苦行ですよね。

また明日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?