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また会いたい基準

ひとりが好きって言われたら、嘘だと思いますか?わたし、ひとりが好きなんですが、自分でもそれって嘘だろと思うことがあります。人と人とはわかりあえないという真理にたどり着き、それでも伝える仕事を選びましたが、心の奥底には誰かとベッタベタにわかりあいたいという欲望がある。わかりあえるだろという期待感をもって生きているんです。だからなのか、いつもなんかさびしいと感じている。もしかしたら、何にしてもすぐ期待してしまうから、人一倍喪失感を感じやすいのかもしれません。

この人にまた会いたい、一緒にいたいと思うきっかけなんて、とても些細なものですよね。言っていることが腹落ちした!とか、ハタ膝なことを連発してくれた!とか、そんな頭で考えるようなことではなく、 笑い声が心地いいとか、どうでもいいことで笑い合えるとか、笑いのツボが一緒だとか。書いていて気づきましたが、わたしのまた会いたい基準は、一緒に笑って楽しい人みたいです。ひとりが得意で退屈しないし結構好きなのですが、考えてみたら一人でワハハ!と笑って多幸感に包まれることってほぼ皆無です。響き合うのが楽しいというか。怒ることも悲しむこともひとりでできるけれど、ひとりで笑うって結構難易度が高い。「みんなのうた」とか歌ってそうなこと言ってますけど。

嫌いなものが同じだとうまくいくとか、怒りの対象が一緒だと良好な関係を保てるなんて意見をよく聞きます。そんなネガティブな感情に突き動かされたくない。笑えるほうがいいでしょう。頭を使わなくても楽しいと感じあえるって、とってもハッピーなことです。

人って空気みたいなもので、理屈じゃない。おいしい空気とかいい匂いとか、そういう「考えるな感じろ」の世界。だけど理屈で説明できないから、いつもさびしさを感じてるのかもしれません。理屈が通っていたら、だからかぁ!と自分を納得させ、安心することができる。「笑ってると楽しいから誰かといたい」なんて感覚だけの世界では、きっとどこか不安なのでしょう。

さみしいとか誰かといたいとか急に言いだしたのは、最近知ったこのコンテンツを見て、「そういえば、わたしいつもさびしい!」と気づいたというだけのお話なのですが。さびしいのは血液型のせいだったのかぁ。

また明日。

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