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ドラマチックな形
自然界に存在するカタチに、芸術を感じることがあります。花の配色や蜂のビジュアル、雪のつぶを目を凝らしてみると、腰が抜けるほど緻密な模様をもっていたり。アゲハになろうと奮闘するイモムシの模様もすばらしい。おまえ、自動的にこうなったの?すごくない?と関心してしまいます。わたしの中で、その最たるものが、棒と石です。
幼児の頃から、投げたり振り回す類の遊びが好きでした。幼稚園で着る割烹着みたいなやつのポケットからは、毎回どっさりと石ころが出てくるし、お気に入りのおもちゃはおままごとセットやリカちゃん人形でもなく、ホームセンターで買ってもらった木の棒。なぜ…と疑問に思うのですが、その性質はいまでも色濃く残っていて、山歩きなんかにでかけるとついつい探してしまうんです。道端に何気なく転がっている適当な石が、ひとが丁寧に磨き上げたかのような、ものすごい美しさを持っていたりする。あんたどこから来たんだい!とつい拾ってしまう。うっそうと茂った草木に紛れて横たわる棒切れが、杖として成形されたかのように、完成された姿をしている。木から折れた後に色々あったんだねおまえは〜!と、道中をしばし共にします。いい大人が棒切れをニギニギしているとどうしても浮くので、人通りが多くなってくるとお別れするんですが、いつも名残惜しい。そんな姿になるまで、こいつにはどんな歩みがあったんだろう?棒や石には、過去に想いを巡らせてしまう魅力があるんです。同じ理由で、海岸に落ちているガラス石も好きです。割れたガラスが摩擦や波で角がとれ、丸くなったものなのですが、棒とか石ころに比べてキレイなので、こちらは共感できる方も多いのではないでしょうか。
最初からその姿で生まれたわけじゃなくて、その形になるまでに通ってきた道があって、いまの棒や石がある。人間といっしょですよね。という暴論で今日は締めます。人間といっしょですよね、っていうとなんでもそれっぽく聞こえますよね。
また明日。
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