富士山を見ると、なぜうれしくなるのか

富士山だー!という気持ちの正体はなんでしょうか。ビルの隙間から富士山が見えると、なんとなく足が止まる気持ち。展望台に上ると、富士山どっち?と探すときの気持ち。新幹線の移動中も、もうそろそろ…と窓の外を見てしまう気持ち。夕焼けの中に富士山を見つけると、写真を撮りたくなる気持ち。こころを動かすトリガーは、なんなのでしょうか。

富士山信仰なんてものもありますし、葛飾北斎しかり富士山を題材にした芸術作品もたくさんあります。でもなんかしっくりこない…。別に富士山に手を合わせたくなったこともないし、形がきれいだからうれしいというわけでもない。

わたしは富士山のなににこころを動かされているか?「 見えたことがうれしい」という部分が大きい気がします。雪を携えた姿を青空の向こうに発見したとき「やったー富士山!」と心踊る。東京タワーが見えたときのうれしさの最上級が富士山。そんなイメージです。朝方のタクシーから見た東京タワーに泣かされたこと、ありませんか?東京タワーは、東京でがんばりはじめた頃の自分を思い出させてくれる存在だったりします。社会のあらゆるもののカタチが変化していく中で、何百年もずっと同じ姿で立っている「富士山」という普遍的な存在に、安心感をもらっているのかもしれません。山の絵を描いてと言われたら、青と白のクレヨンで富士山を描く人も多いのではないでしょうか。ふしぎ、富士山。

山梨や静岡に行って大きな富士山を目の前にしたら、どんな気持ちになるのでしょう。中学生の頃いった林間学校で、山梨を訪れたことがあるのですが、青木ヶ原樹海の探索というトンデモな企画があり、興奮しすぎて富士山のことはほとんど印象に残っていません。山梨旅行、もう一度いってみたいな。

しかし、富士山vs伊勢神宮で火花を散らしていた年末旅行は、伊勢神宮に初詣というところで落ち着きました。富士山でも、よかったかもね。

また明日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?