見出し画像

全てを失っても自分を支えてくれるもの。自分なんて誰にも見られていないということについて。

年末だけど、僕は暇人なので、今日も平日と変わらず勉強して文章を書く。なんだかんだこのいつもと変わらぬルーティンをこなしている時が一番幸せかな。正確には文章を書くこと自体は別に好きではないのだけど、文章を書いた後の達成感と脳内が整理されてスッキリした感じが好きで毎日書いている感じだ。

それにアウトプットすることで充実感も感じられ、書いた記事はネット上に残り続けるので、積み上げゲームみたいで楽しい。

故に、文章を書くという行為は一石五鳥くらいの感覚で僕は捉えている。文章を書くというスキルはレベルに上限がない上に、匿名、顔出しなしでもできる。それに、ある日突然全てを失っても、この「文章を書く」というスキルを極めていれば、パソコン一つ、スマホ一つで立て直すことができる。

実質、僕がこれまでネット上でやってきたことと言えば、いろんな媒体で文章を書いてきただけだ。そして、ネットビジネスをやっている人のほぼ全員が究極的には文章を書いているだけである。

故に、当然このスキルが高ければ高いほど有利になる。だから、ネットで何かやろうと考えている人はつべこべ言わず文章を書く練習を毎日すればいいのになぁと個人的には思っている。資格とか取るくらいなら、文章力を磨いた方が資産性はあるだろう。

僕は4年前から浮気せずにコツコツこのスキルだけを磨いてきてるおかげで学歴とか資格などの「俺、こんな肩書きあるぜ!」的なものは持っていないが、なんとも言えない謎の安心感はある。

仮にブログも含め、ケッキング山田というアカウントが全て消え、人脈も消え、家も消え、全てを失い、路頭に迷ったとしても今まで培ってきた文章力や思考力などの無形資産は消えないから、まぁ、自分の不幸をネタにして発信していけば、なんとかなるだろうと思っている。(日本人は自分より不幸そうな人が頑張っている姿を見るのが大好きだからね。)

実際、ケッキング山田というアカウントを始める前は別の名前で活動してたし、その時はアフィリエイトがメインだったが、それらを去年の夏前に全て消してスタートしたから、実質去年の夏前に僕は一旦全てをリセットしているとも言える。でも、今までの経験を元に情報発信してたら、ちょっとずつ人が集まってきてなんとか形にはなっているから、全部失ってもなんとかなるなということは去年すでに経験済みだ。

だから、この「全部失っても自分を支えてくれるもの」というのを僕は非常に大事にしている。本当に大切なものって目に見えないからこそわかりにくい。ブログ記事みたいな形あるものを多くの人は資産などと言って残したがるが、ブログ記事なんて何度でも書けばいいだろう。

根幹の思考力と文章力が強固なものになっていれば、それら有形のものに執着する必要はない。「自分が楽をするため」というのが優先順位の一番上に来ているのであれば、確かに形ある資産が大事かもしれないが、上記に書いたように、僕は可視化されないものこそが真に大事なものだと思っているから、この現在進行形で記事を書き、アウトプットしている時間こそが宝だ。

どれだけインプットしたかではなくて、どれだけアウトプットしたかだ。アウトプットしている時間が一番の勉強であり、これがこれまで蓄えてきた知見を血肉にする作業なのだから。

すなわち、アウトプットしない限り、どれだけ学び続けても無駄ということになる。もちろん、知識欲を満たして満足するというのであれば、全然それでも問題ないが、それじゃ人生は変わらない。学んだことで人生を良い方向に持っていきたければ、ガンガンアウトプットして読者が0でもやり続けなければならない。やり続けたからと言って報われる保証はないが、発信しないと何も始まらない。

アウトプットをするという行為はバッターが打席に立つのと同じなのだ。打席に立たずに頭でどうやったら上手くいくか?をウンウン考えたところで、答えは出ないし、出たとしてもそれ通りに現実が変わることはほとんどない。現実はトライアンエラーの繰り返しで、これをいかに光速で回して、ちょっとずつ正解に近づけていくかなのだ。

今は誰もが情報発信するのがもはや当たり前になっているし、「他人にどう思われるか?」を過剰に気にして足踏みしている人から真っ先に脱落していく。そんなことは気にせず、とにかく打席に立ち続けた人だけがいつかホームランを打てるのだ。狙ってはダメだ。期待もしない。とにかく、打席に立つ回数を増やす。あなたのことなんて誰も気に留めもしてないし、見てもないから、毎日が練習試合だと思って、どんどん攻めていこう。

僕もここ最近でこのマインドになっている。

かつての僕のnoteの使い方は有料コンテンツのみをまとめるだけだったが、これは非常に勿体無いし、なんでクオリティの低い記事だったら投稿しちゃいけないんだ?とふと疑問に思ったのがきっかけで毎日更新をスタートさせた。

記事のクオリティなんて打席に立ち続けた回数と比例して上がっていくんだから、調子が悪いなと思った日でもどんどん書いて、どんどん出していく方が長期的には絶対良い。空振りしてもいいじゃないか。空振りを恐れて、打席に立たない方がよっぽど問題だし、一発ホームランを打てればこれまでの失敗は全てチャラになるんだから、2022年はどんどん攻めていこう。

頭で考えすぎず、手を動かす。これが来年の僕の課題だ。賢い人は頭でパパッと考えて戦略を立てて、すぐに最善手を打てるのかもしれないが、自分がそっち側だと過信しないように、まずは量をこなし、誰よりも泥臭く面倒なことをこなすというマインドを忘れずにいたい。

楽をすることならいつからでもできる。だからこそ、進化のために今はきついことを選択する。やっぱり、文章を書くとスッキリしていいね。頭の中の鉛が浄化されていく感覚。

ということで、今日は終わり。では。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?