INFP・HSP傾向のある自分、世間で言われる「INFP」「HSP」をどう感じる?

こんにちは。いわゆるINFP、HSP傾向のあるりさと申します。このnoteでは、私が「雇われずに自分の力で稼ぐ」を目標に、考えたり、実行したりしたことを備忘録的に書いていこうとしています。

今回のお題は、「世間で言われる『INFP』『HSP』」です。

最近、MBTIタイプ論のINFPや、とても繊細な人を意味するHSPといったことばをいろんなところで目にするようになりました。またそれにともなってその分野に知見のある方のコメントも見るようになりました。

今回は、そこを私が目にしてどう感じたか、を書いてみようと思います。


注意事項としての前書き

MBTIタイプ論からのINFP、HSP自己測定上のHSPは、私の性格のすべてを表しているものではありません。INFP、HSPにもさまざまなタイプ、濃さがありますので、結局私は私です。『INFP、HSPの傾向がある』くらいに捉えていただくのが良いと思います。また、MBTIタイプ論もHSP測定も言っていますが、それは人にレッテルを張るものではなく、私という人間の一番わかりにくく私としても説明しにくい部分を分かりやすくシェアできる可能性が高い定義として使わせていただいています。

0.この記事を書こうと思ったわけ

とある方々の読み物や動画などを見まして、

「INFP」とか「HSP」ということばが横行している、独り歩きしているということを知りました。HSPということばをネットで使うときに変なビジネスに遭遇してしまったりと何らかのリスクが生じる可能性があるというのがびっくりで悲しいです。

ですので、私がこれらのことばが示す事象や私の性質などについての考え方の立場を改めて明示しないと混乱が生じるかもしれない、私に対する勘違いが起こるかもしれない、それを防ぎたいと思い、記事を書きました。


1.私が「INFP」「HSP」ということばを使う理由

私が毎回付け加えている「注意事項としての前書き」として書いていることの繰り返しとなりますが、私が「INFP」「HSP」ということばを使う理由は、

A.「INFP」「HSP」として一応体系化されている定義を使う便利さがある

「INFP」「HSP」も一応学術的にある程度調査されて体系化された内容です。その定義は誰でもわかりやすいように要約されています。

もちろん、人間の性質についてすべてカバーできる定義ではありませんし、まだまだ発展途上の部分も残る理論ではありますが、「INFP」「HSP」にはこんな性質がある、ということを大雑把に知ってもらうだけでも私の説明負担が減ります。

また、それが学術的(分野には注意が必要ですが)にも一応検証はされているということで、ある程度信頼できる情報でもあると言えます。

ただ、分野には注意が必要と言うことについて、INFPについてはユング心理学の応用(原ユング心理学ではない)ことや、HSPは精神医学の領域ではないことなどは基礎知識として知っておく必要はあります。

おそらく生粋のINFPやHSPだと自認されていて、それを別に公にもしていない方は、この用語にそれほど大きな意味はなく、むしろブームになっていることに疑問を抱いていたり、嫌悪感を持ったりしていると思います。私がそうだからです。

ここにある用語の落とし穴は、「INFP」「HSP」で定義される性質も個別の事象ごとに性質が色濃く出る場合、「INFP」「HSP」とされる性質を持っていても、他の要素(認知の偏り、脳内の化学物質の反応、経験により身に着いたことなど)が絡んでくる場合、また他の要素との関りが複雑など、個々の事象は「INFP」「HSP」では表し切れないところが当然あります。私自身も、自閉の白に近いグレーかもと思っている部分もあります。その部分は私が一応説明に気をつけたいところだと思っています。

これは次の大項目で出てきますが、一定数の人間はその名称が包括する(とされる)事象についてあまり深くは考えません。ある程度定義っぽいものがわかったら単純にそれを当てはめます。例えば「INFP=不思議ちゃん、ロマンチスト」「HSP=繊細、生きづらい」といったように。外れてはいませんが、単純化されて流布される現象は防ぎようがありません。

ですので、その部分に深く立ち入ることは避けます。関わると論理の鼬ごっこをする羽目になり、それは永遠解決しないので時間の無駄です。その現象が起きる層と適切な距離を取るのが一番の対策だと思います。

B.「INFP」「HSP」傾向のある方とつながりやすい(という予測)

私が、自分は「INFP」「HSP」がありますよ、と提示することで、同じ傾向のある方とつながりやすいという利点があります。

同じ傾向の方はそうかなと思うのですが、いやまた私が共感性重視だからそうなのか、やっぱり似たような傾向のある方と「そうだよね~」という感覚がほしいという欲求があります。それが私の癒しであり活力源なので、そういうコミュニティを必要としたりしています。

そのためにはやはりこういうきっかけになることばがあった方がいいのかなあと現時点では思っていたりします。

ただ、後述しますが最近の「INFP」「HSP」ということばは混乱も生みやすいようなので、自分なりの別のことばを使おうかなとも考えています。


2.世間で言われる「INFP」「HSP」をどう感じる?

似たような傾向の方はもう感じていると思いますが、言われている通り独り歩きしている場面が結構あるなあと感じます。

私自身は私を一応当事者とは思っていますし、周りからもそう言われているのでそうだと思っている(INFPは専門家の元で検査をしてもらいまして、HSPは自己診断ですが、生粋のHSPさんから「りさはHSPだね」とは言われます)のですが、正直、ここまでことばが独り歩きしているとは思っていませんでした。

実際私は「INFP」「HSP」についてそこまで検索とかはしないですし、INFPの適職を調べたりはしましたが、的確に論を展開している記事には出会えませんでした。テレビも見ないので、どんな風に情報が広がっているかも知りませんでした。

なので、「INFP」「HSP」について物申す!的な記事や動画を見て、中でもちょっと…思ったことを書いてみます。

A.性質をネガティブに捉えるのはちょっと違うと思う

INFPやHSPということばと「生きづらい」ということばをよくセットで見かけます。私も、「社会参加しづらい」というような風にも言っています。

以前も書きましたが、社会の成り立ちや性質上、INFPやHSP傾向のある方、この色合いの強い方にとって社会はあまり風通しの良い場所ではない場合が確率的に多いかもしれません。

ですが、それはINFPやHSP(の傾向)が悪いからではなく、ただ単に社会や自分の身近なコミュニティに合っていないからと言うことができると思います。

性質そのものに良し悪しはありません。私はINFPやHSPの傾向のある性質をとても誇りに思っていますし、大好きです。

とは言え、合っていないものに合わせた方が優位な状況だと息苦しいのは明白で、合わせにくい性質をネガティブに捉えてしまうのは仕方のないことです。

私も、マイワールドを信じて大切にしているので、自分の性質が大好きと言うことができていますが、これがもっと社会の多数派に染まってしまっていたら、「自分は(”多数派のようには”)できないダメな人間だ…」と思ってしまう可能性は大いにあります。

私がマイワールドを確立した様子については、また別に記事を書こうと思います(運が良かったことが大きいです)。

B.「INFP」「HSP」ということばだけを見て人を見ないのは違うと思う

繰り返しになりますが、INFPやHSPは、私の性格の中でも比較的広い社会と共有しにくいことを(一応)学術的知見にのっとって体系的に提示できる(可能性のある)ツールとして使用しています。

これはつまり、完全ではないにせよ私と言う極めて個人の性格をある程度代弁してくれるもので、私のような主張力のない人間にとって、ある程度、論の後ろ盾になってくれるというか、話の裏付けをしてくれるものと思っています。

今はまだ似たような傾向のある方と情報をやりとりできたらいいなくらいですが、やはりもう少し広い範囲に自分のことを伝えていこうとするときに、INFPとかHSPで定義されていることは有効活用できると思います。

ですが、繰り返しますように、
INFPは、私ではありません。同様に、HSPは、私ではありません。

そうなんです、そのレッテル貼りには違和感を感じます。

これは、INFPやHSPということばに限ったことではなく、一定数の人間はどうしてもことばをレッテルのように取り扱う癖があります。そのものの本質を見ずに、そこに貼られたラベルだけ見てるってやつです。

私の性質には、INFPと言える要素やHSPと言える要素があります。言い換えて、そういった傾向があるとは言えると思います。そして、私が見てほしいと思うのは、INFPやHSPという部分よりも、その要素を含めた私が「私として思ったことを書いているところ」です。

ここには私の弱さもあって、私個人のすべてを表現しているわけでもなく、誤解を生む可能性のあるINFPやHSPということばは、ネット上でも使いやすいと思う部分があります。上記にもありますしまた後述もしようと思いますが、やっぱり性質を表すことばとして別のことばを自分なりに用意しようかなあと思いはじめています。


3.結局「世間」は表面しか見ていない場合が多い

なので、その情報からはそっと距離を取りつつ、私の知りえる範囲で誤解を招きそうなことがあればその都度対処していきたいと思いました。

なので、ある程度そのあたりでINFPはなんたらかんたら、HSPはどうのこうの、は聞き流していいなぁという結論です。大切なのは、自分がどうしたいか。

また、この文章を書きながら私は改めて、

私が知りえることを表現に気をつけながら私が思うように書いていこう

と思いましたし、

INFPやHSPということばが使いやすいときは、それを使っていこう

と思いました。

繰り返しで恐縮ですが、私は私のことを私が体感してきた環境の中ではINFPやHSPの傾向があるなと感じますし、比較的その色がしっかりある方だと思います(もっと色の濃い方はたくさんいらっしゃると思います)。そして、その私が正直に感じることは、INFPやHSPの傾向のある私に似たタイプの方だったら、この用語についてもとても慎重になっているだろうし、俯瞰的な視点からこの用語を取り巻く状況を見ていらっしゃるだろうし、そういう方には私が多くに注釈をつけなくても文脈で必要なことを分かっていただけると思うので、この記事に興味を持ってくださる似た傾向の方々に関してはあまり神経質にはなっていません。

そして、やはり用語について偏った見方、発信の仕方を見かける場合がありますが、直感の強いHSP傾向の方でしたら、発信を見ただけで「あ、これ変だ」と気づくと思います。私は気づく方です。表向きは普通のように見えますが、やっぱり漂っている気配と言うか、周波数と言うか…に違和感を感じるので距離を取ります。距離を取って関わらないようにしようという姿勢です。

重ねてになりますが、一定数の人はINFPとかHSPなどの用語をみて、知りえている単純な定義しか理解しようとしません。理解しないのが良い悪いではなく、それが自然な癖なだけです。自然な癖は自覚しにくいので、そこに変化を起こそうにもなかなか起こせません。他人からその部分にアプローチする場合はなおさらです。なので、ある程度のINFPやHSPに対する誤解や的外れの提言なのは仕方ないと流しつつ、ただ私が見かける中でちょっと聞き捨てならないぞ、と思うことは改めて記事にしてみようかと思います。

そして、私がINFPやHSPといった傾向の性質を持つ方々を「小人さん」と名付けたいなと思っています。これはまだ確定ではないし、今後使っていけるかは分からないのですが、INFP、ひいては内向性強めの方や、繊細な方などを指すことばとして「(森の)小人」を提案したいと思うんです。

現代社会の主要の役割を担いやすいタイプの人たちから見たら、私のようなタイプは小人みたいだなと思ったことに由来します。主要の役割を担いやすいタイプからしたら、私の声は小さくて届きにくく、存在もあまりはっきりと見られない感じかなと思い、それでもここに存在している!という意志を強く持って、世界の小さなことにも感動したり気がついていける小人みたいな感じかなということで、「小人さん」としたらどうかなと考えています。また、穏やかで静かな場所を好む場合は「森の小人さん」みたいに名づけるのはどうだろうかと妄想しています。

この「小人さん」がどういう風に使われていくのかはまだわかりませんが、INFPやHSP傾向のある方、またそれに似た方、「小人」の感覚だと思う方を示すのには使えそうなことばかなと考えています。もう少しこの部分を明瞭にお伝えできるようになったらまた記事を書こうと思います。



そんなわけで、世間で言われる「INFP」「HSP」についてお話ししてみました。変な誤解が解けて性質の一部を表しているだけのことだと広まったらいいなあと思ったり、私自身もこのことばにあまり頼りすぎずに自分のことを伝えられるようになりたいと思ったりしました。


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