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見た目コンプレックスの着地点はどこにあるんだろう。

携帯の写真フォルダーを開いたら、
この記事の画像の写真がなぜかでてきた。
2年ほど前の私だ。
だから、見た目のコンプレックスのことを書こうと思った。

生まれてこの方、自分のことを綺麗だの可愛だのと思えたことがない。
本当に、ない。

どうしてなんだろうと思う。

特に”顔”。

もう50歳を前にして、受け口の矯正をしているのだってそう。

『ここさえよくなれば』的な考えって、
ちょっと危ない。
ってこともわかっているけれど。


口を開けて笑っている写真は、
記憶の限り、1枚しかない。

それどころか、自分の写真も、あんまりない。


見た目のコンプレックスというのが
自分の足にしがみついているのがわかる。

たぶん、自意識過剰なのだ、ということもわかっている。

自分の心に付き合うのは嫌いじゃないから、
綺麗な人を見て悲しい気持ちになったり
隠れたいような気持ちになったりするのはもう卒業した。

綺麗な人をずっと見てしまう癖も直した。
(綺麗な人を見ているのが好きで、道ゆく綺麗な人がいるとずーっと目で追ってしまって、よく注意をされていた。)


その昔。

受け口なことでよくからかわれた。
小学校の頃の、たわいもない一言でも
けっこうトゲみたいに残るものだ。

中学の頃から太り始め、高校生の頃には
私の体重は68キロあった。
よく食べて、とても健康な女の子だった。

学校の帰りに、マックに行ってセットを食べて、
帰って晩御飯を食べるくらい、よく食べていた。

今では信じられない。きっともう一生分の食べ物をあの頃食べたんだ。

身長が158センチだから、
けっこう。大きかった。。

バンドをしていて、
プレジションベースなんかひいていたから
時々、男の人に間違われた。

モテなかった。モテたかった。

太っていることが嫌だった。
あの頃、世の中にあったダイエット法はほとんどやったと思う。

そんなこともあって、拒食症になった。

何キロ痩せても
痩せているという自覚が全くなかった。

痩せさえすれば、綺麗になれる。と思っていたのに
痩せても自分が綺麗だと思えるようにはならなかった。

なんとか治って、30歳くらいの頃
ものすごいモテ期がきた。不思議なことに。

そんな頃、お付き合いしていた人に
「わたしのどこが好きで、付き合おうと思ったの?」と聞いたら、

「顔が好みだった。」と。


顔が好み。と言った。

顔が好み。と言ったのである。

驚いた。
珍しい人もいるんだなっていうのが半分、
絶対嘘だ。というのが半分だった。こんな顔を好きになるはずがない。

いつも顔を褒めてくれたけど、
最後まで信じきれなかったような気もする。

後にも先にも、
「顔が好みだったから付き合いたいと思った。」
と言ったのはその人だけだった。

もしかしたら、顔が好みで付き合いたい。と言われることが嬉しくない人もいると思う。

見た目だけかよ、って。
中身を見てほしい、って。

でもわたしにとっては「顔が好き」といってもらえることは
どんなアファメーションよりも
どんな褒め言葉よりも
全肯定された気持ちになれる魔法の一言だった。

信じきれなかったはずなのに、
今思えば、その人と付き合っている間
私の見た目コンプレックスはものすごく平和に眠っていた。

その人と付き合っている間、
自分のことがとても好きだった。
いろんな恐怖症が治っていった。

不思議だった。


心理学の世界では、
自分が自分をどう思っているががとても大事で、
自分が自分をどう扱うかがとても大事、だといわれている。

だけど、
自分がもうどうしようもないところで、自分を越えたところで
人に救われることってあるんだな。


たぶん、見た目のコンプレックスって
消えることはないんだろうなって思っている。

歳をとって、すごく良かったって思うのは
私くらいの年になると、見た目の美しさだけでどうこうなる、ということはほぼなくなるということ。
『歳をとると、内面が大事よね』みたいな雰囲気になるのだ、世間は。

歳をとっても美しく、というのは余剰の部分での努力義務、みたいなもので
とりあえずこぎれいにしておけばなんとかなる。
色気や、華やかさもあってもなくても、という世界線になる。


もう一生、この感じとは付き合っていくのだと思うけど、その一方で、
どうしたら、
見た目のコンプレックスがなくなるのかとずっと思っている。

コンプレックスを武器に!
・・・無理だ。
唯一無二の美しさなんだから!!
・・・唯一無二だとしてもそれとこれとは話が別だ。


時々、ありがたいことに
「綺麗」といってくれる人がいて、
お世辞だとしても、素直に受け取るようにしている。

少しでも、この自意識過剰な感覚がおとなしくなってほしい。
もう少しでいいから、他の人みたいにナチュラルに自分の写真を撮ったり
それを残したりできるようになれば、楽しいかもしれないと思う。


なくならないとしたら、どうにかこうにか
あの、
自分の写真をSNSにあげる時のザワザワした感じとか
誰かがこっちを見た時の隠れたくなる感じとか
そういう不気味な感覚が着地して落ち着いてくれないかと思う。


歯の矯正が終わったら、
わたしは口を開けて笑うようになるのだろうか。
自分の写真を撮れるようになるんだろうか。

たぶん、ならない。



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