SYNDUALITY:VELVET
強い毒性を帯びた青い雨が、群青色の傘を叩いている。
その持ち主である、同じく青いドレスを着た女性が空を仰いだ。金糸のような髪が顔の輪郭に沿って重力のままに流れ落ちる様は、まさに金色の滝のようだった。
かつてこの場所を覆っていたであろうドーム状のガラスは割れ、そこからは世界を押し潰してしまいそうな黒い雲がひしめき合っているのが見えた。
雨はしばらく止みそうにない。
女性は嘆息を漏らし、青以外の色を失った世界を歩く。その正面には、手足の生えた金属の揺籠(クレイドル)が擱坐していた。
膝から崩れ落ちるようにして放置されているそれは、正面から見れば人の顔を模しているようにも見え、表面を流れ落ちる青い雨が戯画化された涙のように錯覚した。
女性はその背面に周り、クレイドルが背負っていた箱状のものに相対した。表面には何かが貫通したような大穴が空けられている。
表面に手を触れ、祈るように呟く。その首元にある、銀色の逆三角形が鈍く輝いた。
「棺、あなたの記憶を見せて」
瞬間、クレイドルの周囲に青い靄のような光が現れたかと思うと、周囲の風景が鮮やかに一変した。
崩れていた建物にはまだ人の名残があり、あちこちで火の手が上がっているのが見える。
それはこのクレイドルと空間が記憶していた、過去の情景であった。
Eアラートの警報が鳴り響く中、格納庫に並べられている手足の生えた卵状のマシン──クレイドルコフィンに次々とコロニー防衛隊のパイロット、人々が言うところのドリフターたちが乗り込んでいく。
その中の両側頭部を刈り上げた男、ミキリがコックピットに乗り込むと、頭上からVRヘッドのレバーを掴んで降ろした。同時に、それと連動したセーフティバーがその胴体をしっかりとシートに固定した。
視界に全天周モニターが投影され、あたかも自分の身体が広い球状のコックピットにいるような錯覚をもたらす。
これによって、狭いコックピットで死刑囚のように拘束されるといった不快感を軽減することができた。
「ミシェル、司令部との回線を固定。状況は?」
機体のセットアップを行いながらそう声をかけると、シートの背後からモノクロのボディスーツにオレンジのジャケットを羽織った女性がゆらりと現れた。
水色の髪に翠の瞳、人間離れした彼女の首元には、彼女がメイガスであることを示す∇(ナブラ)が輝いている。
「五分前にコロニーの集荷場ゲートからエンダーズが侵入。集荷場は閉鎖したものの、強引に突破され、現在全ての防衛戦力が集荷場と市街地の境目に集結しています」
現状は過去最悪だった。ミキリは背筋を冷たいものが這うような感覚に、全身が粟立つの感じた。
そんなミキリの不安とは裏腹に、コフィンに動力がみなぎり、モーターの唸りがコックピットを揺らした。
「マスター。司令部からは集荷場から迫るエンダーズに備えよとの命令が出ていますが、いかがしますか?」
ミシェルがミキリの横顔を覗き込みながら尋ねる。わざわざそう聞いてくるということは、ミキリがまた命令違反をするつもりなのでは、と考えているのだ。
メイガスとは、ここから遥か西にあったという地下国家〈アメイジア〉が開発した、人類双対思考型AI搭載アンドロイドの通称である。
人類の隣人として設計された彼ら、または彼女らは契約を結んだマスターにパーソナライズされ、サポートしてくれる。
ミシェルもその例に漏れず、こちらの考えはお見通しだった。
ミキリはコンソールを操作して〈コロニー・ダンディライアン〉の全体マップを表示させた。
「南ブロックにはまだ建造中の居住区と直通の出入り口がある」
マップを指さすと、ミシェルがその地点の監視カメラ映像を拾ってきてくれた。映し出された映像には建造途中の住居が並んでおり、まだエンダーズの姿は見えない。
次々と出撃していく僚機に倣って、トンネルの側面にあるレールに充電用ケーブルを差し込んだ。これでトンネル移動中はバッテリーを消費しない。
AO波の遮蔽技術をまだ完全に扱いきれていないこちらの技術では、コフィン用の小型AO炉を搭載することが出来ないでいた。故に、防衛用のコフィンは全てバッテリ駆動で動いていた。
「これまでの経験上、エンダーズってのは馬鹿じゃない。こちらの弱点を的確に狙ってくる」
エンダーズはコフィンのどこに人が乗っているのか、どこを壊せば動かなくなるのかを知っている。いくつかの命を代償に、ミキリはそれを思い知った。だからこそ考えなしの命令には反抗したくなるのだった。
「ミシェル、この先の分岐路で南ブロックに向かうぞ。タイミングを頼む」
「了解です!」
こちらの意図に気づかれないように、ミキリは丁寧に前方の機体の動きをなぞるようにコフィンを操作した。
だが、そんな中でも常に列から離れられるよう、ナビゲーション用のマップからは目を離さないでいた。
そして、
「今です!」
南ブロックへの分岐路が見えた瞬間、ミキリはミシェルの合図で自機を列から逸脱させた。トンネルの壁面を押しやり、反作用で飛び出したコフィンが分岐路に吸い込まれるようにして消える。あまりに一瞬の出来事に、誰も反応することができなかった。
『おい貴様、また命令――』
ミキリの行動に気づいた上官が何事かと喚いたが、すぐさまフィードを切った。
「ミシェル、重要そうな情報だけピックアップしておいてくれ。今は無能上司の戯言なんて聞いてられねぇ」
「今度は謹慎一か月、っていうのは重要な情報ですか?」
「まぁ……コロニー中のトイレ掃除よりかはマシかな」
そう苦笑したミキリに、一瞬呆れたような表情を見せたミシェルだが、すぐに柔和な笑顔を浮かべた。
「私はマスターの判断を信じます。あなたのメイガスとして」
彼女があまりにもこちらの目を真っ直ぐ見て言ったので、ミキリは少し恥ずかしくなって視線を逸らした。
メイガスはただの機械だ。どれだけ外見を似せても、首元の∇を見ればそうだと分かる。しかし、人間は物事を曖昧なまま受け取る能力がある。故に、ミシェルを人間扱いしてしまいそうになるのも仕方がない。
そう思うことにした。
そして、トンネルの先に光が見え、ミキリたちは南ブロックに到着した。
レールから外れた充電ケーブルを巻き取りながら、シャッターに仕切られた住居ブロックを進む。アラートが発せられた今、人の姿は見えず、真新しいプリント住宅と、建造物用のハイパープリンタが立ち並ぶ光景は無機的な寒々しさを感じさせた。
その時、通信機からノイズ混じりの音声が聞こえてきた。
『こちら南ブロック! 大量のエンダーズが……クソッ、こいつらどこから湧いてきやがった⁉︎』
『とにかく迎撃だろうが!』
悪い予感は当たるもので、ミキリは自分の勘の良さにだんだん嫌気が差してきた。
結局悪いことばかり嗅ぎつけて、貧乏くじばかりだ……
だが、ここまで来た以上は引き下がれないし、引き下がるつもりもなかった。ミキリは自分に失望していても、そんな自分を信用してくれるミシェルのために戦うのだ。
「今そっちに行く! 少しでも持ち堪えてくれ!」
コフィンのスロットルを全開にし、ゴーストタウンを進む。こちら側の戦力はほとんど集荷場に集められ、こちらに回せる余力はないのだろう。
それだけあちらも全力なのだ。
グリップを握る手に力が籠り、額には脂汗が浮かぶ。間に合ってくれと心の中で祈りつつ、ゲートに辿り着いた。
瞬間、ゲートの防衛にあたっていたドリフターの悲鳴が耳をつんざいた。
『砲撃型⁉︎』
『高熱源検知――!』
逃げろ、という声がノイズにかき消され、ゲートの表面がオレンジ色の光を放ち始めた。
ぞわり、と死の予感が全身を駆け巡る。あらゆる神経がピンと張り、ミキリは指一本動かすことが出来なかった。
「マスター!」
一瞬怯んだミキリに代わって、ミシェルがコフィンの制御を乗っ取った。モニターに赤い警告表示が現れたかと思うと、前方に強い慣性がかかってセーフティバーに胸が押しつけられた。
メイガスのコントロール下であることを示すサブヘッドが展開し、コフィンがその場で後退、すぐさま建物の影に入った。
そして、空間を引き裂くような甲高い音と共に、エネルギーの奔流が町を穿った。
防眩フィルターがかかっていても、世界が爆発したような閃光が視界を覆う。それにその熱量たるや、コフィンの中にいても感じるほどであったものの、装甲の表面が少し融けただけで済んだ。
ビームの照射が終わり、白飛びした光景が徐々に現実味を取り戻していく。
隠れていた建物から少し顔を覗かせて周囲の状況を探る。先程まで整然と並んでいた建物はグニャグニャに融解し、下手な粘土で作ったジオラマのようだ。
ここから中央に向かうためのトンネルにはシャッターが下され、ビームにも耐えたようだった。それから出口側に視線を向けると、そこには青い甲殻を纏った、人類の天敵の姿があった。
こちらに迫っているのは、高さ一メートルほどの犬型エンダーズ『チャージャー』の群れと、砲台のようなものを背負った見たことのない特殊エンダーズ。
確実に一人で相手にするような数ではない。
「ミシェル、司令部との通信は?」
「残留AO波によって電波が撹乱されてます。恐らく、特殊エンダーズが放ったビームの影響だと考えられます」
戦うしかないのか。
脳裏によぎる言葉に、ミキリは溢れ出す不安を押し流すように計器のチェックに全神経を注いだ。
「レーダーは?」
「近接レーダー異常なし。行けます」
「よし、司令部が増援を寄越すまで耐えるぞ。オールウェポンンズフリー。電力配分を戦闘モードへ」
「了解、オールウェポンズフリー。電力配分を切り替え」
全武装の安全装置が解除され、コンソールのステータス画面にグリーンライトが灯る。それと同時にバッテリーの限界稼働時間を示すタイマーが作動した。
「まずはチャージャーを片付ける。迫撃砲ポッド照準!」
レーダーに映し出された、エンダーズを示す赤い点に次々とロックオンの表示が重なっていく。
「角度調整……爆破タイミングをセット、発射します!」
コフィンの背面に備えられた箱の蓋が開き、内部に詰められていた砲弾が頭上に放出される。それはミシェルの計算しつくされた軌道に沿って放物線を描き、特殊型の周囲を取り囲んでいたチャージャーたちに降り注いだ。
「距離を詰めて一気に決めるぞ!」
「サポートはお任せください!」
迫撃砲の着弾を確認したミキリは、エンダーズたちが突然の攻撃に混乱した隙に乗じて、建物の影から飛び出した。
その腕に抱えたライフルの射撃は、ミシェルのサポートによって、的確にエンダーズのコアを撃ち抜いていく。
コアが破壊されたエンダーズが青い靄となって消えていく中、左側面から物陰に潜んでいたチャージャーが飛び上がった。口を大きく開き、露出した鋭い牙がこちらを嚙み砕かんと迫る。
「こいつッ!」
ミキリの反応と、ミシェルがコフィンを動かすのはほとんど同時だった。チャージャーに伸ばした腕に追従するように、腕部に取り付けられた高周波ブレードが展開する。そして、伸びきったブレードの切っ先がエンダーズの青い骨格をまるでバターかのように切り裂いて、コアを貫いた。
一瞬でコアを破壊されたチャージャーの残骸を振り払って、特殊エンダーズに一直線に向かう。
それは砲台を背負った、二足歩行の怪物だった。基本的にチャージャーと似たような骨格ではあるが、前足は退化して短くなり、逆に後ろ脚はその砲を支えるために大きく、太くなっている。
その全高もチャージャーに比べて三倍ほど大きく、昔の映画に出てくるような恐竜じみた迫力があった。
「マスター! 高エネルギー反応が!」
ミシェルの報告と同時に、二門の砲口が白い光を帯びるのを確認したミキリは、その場でコフィンを後退させた。脚部のローラーとアスファルトが噛み合い、ガリガリと音を立てる中、先ほどまでいた場所を目掛けてビームが放たれた。
アスファルトが一瞬で融解し、蒸発する。そしてビームがこちらを追うようにして迫ってくるので、ミキリはコフィンを市街地へとバックのまま突入させた。だが、それでもビームは建物を薙ぎ払いながら追跡の手を止めなかった。
死神の鎌に追い立てられるような焦燥感が額を焼き、高まった心拍数が死に抗うビートを刻む。
いよいよ万事休すか、そう思った瞬間、ビームの光が勢いを失った消滅した。
「何が……」
ビームに両断された建物が崩れ、遮られていたエンダーズの視線が、こちらを向いた。まるでこちらを睨むようなその視線に、ミキリはあることに気づいた。
背中に背負った砲口が、赤熱していたのだ。それにあの悔しさがにじみ出るような、あの視線。
長時間の照射は、やはりエンダーズといえども不可能だということだ。
突然湧いた勝機に、思わず口元が緩む。このままあいつを倒せば、命令違反など軽く帳消しに出来るだろう。
「一気に畳みかけるぞ!」
「はい!」
フットペダルを踏み込んで、コフィンを加速させる。エンダーズはこちらの読み通り、ビームを放つような素振りがなかった。
まだ残存していた数体のチャージャーを切り伏せて、ミキリはエンダーズの懐に飛び込んだ。
「この距離なら!」
特殊エンダーズは火力こそ高いが、その分図体が大きく、動きも遅い。大地を疾走するために作られたクレイドルコフィンの機動力をもってすれば、翻弄することなどは容易かった。
「ミシェルは射撃を!」
「了解!」
メイガスの正確な射撃が頭部の甲殻を叩くが、後ずさりしながらエンダーズはその前足でこちらのコックピットを貫こうと、刺突攻撃を繰り返した。
だが、ミキリのゆらゆらと揺れるような回避軌道に、相手は対応しきれないでいた。
やがて頭部にヒビが入り、勝利を確信したその時、エンダーズの口が大きく開かれた。そして、鋭い光が放たれて、ミキリは視界を喪失した。
それと同時に、コフィンが反転するような感覚。やがて背中に強い衝撃を感じて、ミキリの頭の中が真っ白になった。
ミシェルがやられた?
嫌な予感が背筋を貫いて、レバーの感覚が無くなる。色を失った世界が頭頂部から身体全体に広がって、徐々に現実感を失っていく中、ミシェルの声がミキリを現実に引き戻した。
「――撃って!」
前が見えなくとも、数百時間を共に過ごしたメイガスの今の状態は、手に取るように分かっていた。
肩越しにライフルをエンダーズの頭部に向け、引き金を引く。
いつもより大きい反動がコックピットを揺らし、ミキリは歯を食いしばって耐えた。そしてやがて弾が尽きると、一時的に失われていた視界が元に戻り始めた。
「ミシェル? 一体……」
コフィンの電源は失われ、ミシェルとのコミュニケーションも取れなくなっていた。だがどうやらまだ自分が生きているところを見るに、あの特殊エンダーズは無事に倒せたようだった。
ⅤRヘッドを外し、コックピットの正面にある非常用脱出レバーを引く。すると、コフィンの前面にある装甲が小さい爆発音と共にはじけ飛び、ミキリはそこから外に這い出た。
街はビームによって焼き払われ、道路は迫撃砲による攻撃と戦いの痕による残骸が転がっていた。
エンダーズの姿はなく、ここに進入してきた個体は一掃できたらしかった。最初の襲撃を受けた集荷場も気になるが、今はとにかくミシェルの安否確認が先だった。
擱座したコフィンの裏側に回ると、ミシェルが収まっていたはずの箱型のユニットには、大きな穴が空いていた。
「そんな……ウソだろ」
何とか彼女の姿を確認しようと、装甲の継ぎ目に指を入れて開けようとするが、しっかりと固定されていて動かない。それから手動のレバーの存在を思い出し、ユニット下部のレバーを回して棺を開こうとしたが、故障しているのか、まるで動く気配がなかった。
まるで、開けられることを拒むかのように。
「おい、ミシェル、これは笑えないぞ……?」
きっとこちらをからかおうとしているのだろうと思いついて、半笑いになった。だが、やがて彼女がもう言葉を交わすことも出来ないのだと分かって、引きつった笑いが嗚咽に変わる。
慟哭が、空っぽの街に響き渡る。
それを聞き届ける者は、誰もいなかった。
青いドレスのメイガスがコフィンから手を離すと、浮かび上がっていた映像が消え、思い出したかのように雨が降り始めた。
「あなたのお話を聞かせてくれて、感謝いたしますわ。この記憶は、絶対に忘れません」
いつものように誓いをたて、首元の∇に触れる。
これは彼女にとって、祈りのルーティンであった。それからしばらくの間目を瞑り、踵を返して歩き出した。
残された棺の残骸は、その中で眠る者を守るように、静かに佇んでいた。
◇◆◇
洪水と地殻変動によって均された大地を、〈Hikyaku Express〉と書かれた大型トレーラーのような車両が疾走する。
紺色の車体が牽引している荷台には、いくつかのコンテナと白地にオレンジのラインが入ったコフィンを積んでいた。
車両はキャリアーと呼ばれており、高い走破性とエンダーズの攻撃にも耐え得る装甲を備えていた。
主にAO結晶を採掘するドリフターたちが使うものではあるが、このキャリアーの持ち主は荷物の運送に使っていた。
「しっあわせは〜あるいてこない〜」
運転席のシートの後ろ側に設けられたキャビンに、陽気な女性の歌声が響く。
キャビンのソファーに横たわっている彼女は、胸元の下で結んだ白いシャツに、黒いジャケットを着ていた。短い銀灰色の髪は右側から三つ編みを垂らしている。
そしてその目元は、白い機械的なマスクで覆われていた。
「だぁからあるいていくんだねぇ〜」
その歌を、彼女に向き合うようにして座っている、モノクロのメイド服に身を包んだ女性が聞いていた。
深い赤のボブカットにメガネという出立ちの彼女の首元には、銀色に光る∇があった。
マスクの女性はしばらく歌っていたが、歌詞を忘れたのか鼻歌に変わり、やがて飽きたのか上半身を起こした。
「ねぇ、ミキリも歌おうよ〜」
運転席に向かってかけられた言葉に、ハンドルを握っていたミキリはため息をついた。
かつての制服を脱ぎ捨て、今はオレンジのダウンベストにカーゴパンツに身を包んでいた。
ミシェルを失ってから三年。月日はミキリをコロニー間の配送業者に変えていた。メイガスを持たず、コフィンにも乗らない彼にとって、いつエンダーズが襲ってくるかも分からない荒野を走るのは危険ではあった。
だが、今は『マスカレード』を名乗る女傭兵のおかげで、こうして配送業を続けていられた。
「いや、俺その歌知らないし……西の歌?」
「ううん、〈新月の涙〉以前に流行ってた歌らしいよ?」
ミキリが言う西とは、かつて栄華を誇っていた地下国家〈アメイジア〉のあった場所のことだ。メイガスやクレイドルコフィンといった技術は、そこで作られた。
この辺りにも二十年ほど前に似たような地下都市である〈カタコーブ〉があったが、今は崩壊してしまった。
そして現在では地下を追い出された人々が地上でドーム型都市〈コロニー〉を作って、そこで暮らしている。
ちなみに西の方でも似たような状況らしく、そこではコロニーのことを〈ネスト〉と呼ぶようだ。
西から来たというマスカレードは、向こう側の知識を色々と教えてくれたのだった。
あーつまんなーい、と再びソファーに横たわるマスカレードを傍目に、彼女のメイガスであるルジュが運転席に滑り込んだ。
「運転、代わりましょうか?」
彼女はマスターと違って滅多に表情を浮かべないので少々ぶっきらぼうに見えるが、ミキリにも心遣いをしてくれる優しいメイガスだった。
「気持ちはありがたいけど、これは俺の仕事だから。でも、エンダーズが来た時には、頼む」
「かしこまりました。もし休息が必要になれば、遠慮なくおっしゃってください」
「うん。ありがとう」
ルジュが深く礼をして、キャビンに戻る。ミキリは乾いた喉を潤そうと、ドリンクホルダーに入っていたボトルを手に取った。
「ねー、そういえばさー」
退屈に耐えかねたマスカレードが再び口を開く。
「最近ドリフターの間で『青い貴婦人』の噂をしょっちゅう聞くようになったんだよね」
ボトルをホルダーに戻してたミキリは「青い貴婦人?」と聞き返した。
「そうそう。青いドレスと傘さして、壊れたコフィンの前に突っ立ってるんだってさ。これってユーレイ?」
壊れたコフィンと聞いて、ミキリの脳内に三年前のことが蘇った。あの機体には、まだミシェルの身体が残されているはずだ。
メイガスの幽霊。
そんなこと、あるのだろうか。
ずきり、という鋭い痛みが頭部を駆け抜けていったのに顔をしかめ、頭を振って運転に集中した。
世界中に毒性の青い雨が降ってから二百年。当時ろくに雨すら降らなかった地域でも降り注いだその雨は、世界人口の九割を死滅させた。
それでも人類はなお、しぶとく生き延びていた。
地表を追いやられ、もぐらのように地下で暮らし、メイガスという隣人とクレイドルコフィンを得て、ようやく再起の道を辿り始めた人類。
それにマスカレードの存在が示すように、あちこちで人間が生きていることを知れれば、ミキリとしてはあれこれ心配せずに、目の前の仕事に集中することが出来た。
「お、見えてきたな」
岩山の影から、半透明のドーム形状の姿が現れる。出発地点からここまでエンダーズの襲撃もなく、大きなトラブルもなかったことにミキリは安堵の息を吐いた。
キャリアーをガレージに置いたミキリは、一旦降車してレンタル用シャンク――一人乗り用の小型パワーローダーだ――に乗って荷物を運び始めた。
それと同時に、夕方の礼拝を告げるチャイムが鳴り響いた。〈カタコーブ〉に人々が暮らしていたころから信仰されていた宗教、アスタル教のものだ。その中でも原理主義派と呼ばれる人々がここのコロニーに多く住んでいる。
そういうわけで、この時間にここにいる人はミキリ一人だった。
マスカレードとルジュは早々に酒場に行ってしまい、集荷場は人気も無かったので、ミキリは久々に静かな時間を過ごすことが出来たのだった。
建物から食料まで、あらゆるものがプリントできる時代だが、万物を作り出すことはできない。それに、いくら技術が発展してもオリジナルは超えられない。
それこそ昔は分子デザイン技術が発展していたようだが、現在ではその技術のほとんどが失われてしまっている。
AO結晶を採掘するドリフターも危険な仕事だが、この荒野を長期間走り続ける運び屋も同じくらい危険だ。
そうであれば、ミキリのような運び屋は需要があまり多くなくとも重宝されるし、こうやって仕事にもなるのだった。
貨物を運び出したミキリはシャンクを降りて、配達ドローンのための仕分けをすることにした。これだけの荷物を一人で仕分けするのは面倒だが、他人に任せるわけにもいかなかった。
段ボールに貼られたバーコードをスキャンして、指定の箱に入れていく。あとはここからドローンが持ち出して、所定の場所まで届けてくれるという仕組みだ。
コロニーの中にエンダーズは湧いたりしないから、ここから先は機械の仕事というわけだ。
大昔は危険な仕事を機械に任せていたというけれど、今では全くの逆になっていた。
退屈ながらもやるしかない仕事を粛々と続けていると、背後から走る足音が聞こえてきた。一瞬マスカレードかと思ったが、スニーカーを履いている彼女としては考えられない、硬さを感じる足音だった。
誰もいない集荷場に響くその足音はまさに異物そのもので、仕事に集中したいミキリでも振り返ってしまった。
「そこのお方! 少しお待ちくださいまし!」
妙に古びた言い回しで必死に走ってきたのは、青いドレスを纏った女性だった。フリルのついたスカートを踏まないように持ち上げ、全速力で走ってくる姿はいささか奇妙であった。
「青い、貴婦人……?」
マスカレードが言っていた噂が脳裏に蘇り、一瞬意識の空白が生まれた。女性はその隙を突くように、ミキリの持っていた小包をひったくった。あまりに急なことに言葉も出なかったが、流石に注意しようと口を開く。
だが、その首元にある銀色の∇が見えた瞬間、ミキリの言葉は腹の奥に吸い込まれて消えた。
青いドレスのメイガスはミキリのことなどお構いなしに、その小包を乱暴に開ける。その中には、ミキリには詳細不明の機械が入っていた。
「……やっぱり、でしたわ」
「やっぱりって?」
女性の発する並々ならぬ気迫に、思わず唾を飲み込む。どうやら機械の電源は入っており、何かしらの動作をしていることが分かった。
もしかして爆弾か、そう考えた脳が一気に冷めていくのを感じる。それにこの女性は何を知っているのだろうか。
「これは疑似AOブロードキャスター……誰かがここにエンダーズを呼ぼうとしたみたいですわね」
「誰かって、そんなの!」
あり得ないだろ、というミキリの言葉が、尻切れトンボのように小さくなる。集荷場、エンダーズの襲撃。悪夢のようなデジャヴュが、ミキリの脳裏を駆け巡った。
ドレスの女性はちらりとこちらに空色の瞳を向けて、機械を胸に抱いた。
「それ、壊せばいいんじゃないのか」
これがエンダーズをおびき寄せるというのなら、破壊してしまえば何の問題も無いはずだ。だが、彼女は首を横に振った。
「いいえ。もうエンダーズはここに向かってきているでしょう。となれば、今更破壊しても結果は変わらない。別の所におびき寄せればいいだけですわ」
「おびき寄せるって、相手はエンダーズだぞ? ここのドリフターだって今は礼拝の時間だし……」
「あら、あなたは違いますの?」
全てお見通しだと言わんばかりの眼光が、ミキリを貫く。
「いや、俺はただの配達人だ。そんなこと、できない」
そうですの、と女性は機械を抱いたままミキリに背を向けて歩き出した。
「お、おい! どうするつもりだ⁉」
「わたくしはメイガスです。普通の人間よりは早く走る自信がありますわ」
その有無を言わさぬ物言いは、流石のミキリも焦らせた。周囲を何かないかと見回すと、コックピットハッチが開けられたままのクレイドルコフィンが放置されているのが見えた。
作業用なのか、装備の類は見当たらない。だが、普通のコフィンのものよりも大型のアームが装備されていた。
「……クソッ」
選択の余地は、無かった。
三年ぶりのコックピットの座り心地は最悪というほかなく、特に原理主義派が好んで使う香の匂いに頭が締め付けられるような痛みに苛まれた。
メイガスのいないコフィンはまるで鉄の棺桶そのもので、何のサポートも受けられないのでは歩くだけでも一苦労だった。
満足に見えない視界の中であのメイガスの背中を追い、必死に足を動かす。
「おい! 俺は乗ったぞ! お前も乗るんだろ!」
その声を聞いて、メイガスが足を止めて踵を返した。スカートの裾がふわりと舞い、絵画のように完璧の笑みを描いた顔が、こちらに向けられる。
『えぇ、お待ちしておりましたわ』
そして彼女は人間離れした動きでコフィンの背面に乗り込むと、ミキリの視界が一気に開いた。
見慣れた全天周型コックピットのⅤR空間に、ドレスのメイガスがふわりと降り立つ。
「わたくしの名前はベルベット。以後お見知りおきを。ユナイター・ミキリ」
スカートの裾を持ち上げて挨拶するベルベットに、ミキリは呆気にとられた。
「どうして、俺の名を……?」
「あなたのことは、ミシェルから聞いていましたの。奇遇ですわね。こんなところでお会いになるなんて」
なんで、と聞き返すよりも早く、ベルベットが正面を指差した。
「ともかく、今はエンダーズをおびき寄せましょう。わたくしがナビゲートいたしますわ」
「……分かった。でも、終わったら全部聞かせてもらうからな」
「えぇ、お約束いたしましょう」
フットペダルを踏み込んで、コフィンを集荷場の外に向かって走らせる。集荷場のゲートから外に出ると、青い雨が降っていた。
「最悪の天気だな。よりによってこんな時に……!」
「偶然、とは思えませんわね」
思わせぶりな言動に、全くだと答えつつ、ベルベットが示すルートに沿って進む。コロニーの周囲は整備されていない荒野だったが、コフィンの走破性で悪路を易々と踏み越えていった。
だが、一番心配なのはエンダーズだ。今は碌な武装もなく、乗っているメイガスは戦闘できるのかもはっきりとは分からない。
メイガスは人類の隣人として設計され、ある程度の動作は全てインプットされている。日常作業はもちろん、プログラミングや格闘術もこなせる。
しかしながら、汎用機械であるがゆえに軍用としてセッティングされたミシェルとは違うのだ。そのギャップに、今のミキリがフォロー出来るだろうか。
その時、エンダーズの反応がレーダーに映り込んだ。AO結晶を持ち歩いているわけでもないのに引き寄せられているということは、やはりベルベットの言う通りあの機械はエンダーズを誘引するようだ。
「もう来やがったか!」
「このまま進みます。出来ますわね?」
その断固とした言葉に、思わず隣に浮かんでいる彼女を見上げる。その視線が真っすぐに据えられているのを見て、ミキリの操縦桿を握る手に力が籠った。
「当然!」
コフィンのスピードを上げ、一気に駆け抜ける。そして、ようやくベルベットの設定した目的に辿り着いた。そこは断崖絶壁で、真下には広大な森林が広がっていた。
「着いたぞ! ここでいいんだな⁉」
「えぇ、十分ですわ。少々お待ちくださいまし」
瞬間、VRの風景が消え、ベルベットがコフィンから降りたのが分かる。制限された視界の中で、彼女がコフィンの前方に回り込むのが見えた。そして腕に抱えていた機械を崖に放り込んだ。
それなりの重さがあるように見えたが、人間離れしたメイガスの膂力によって機械は見事な放物線を描いて森の中へと落ちていった。
これであの機械は破壊されたはずだが、彼女の見立てが正しければここに大量のエンダーズが殺到することになる。それをどうにかして切り抜けなければならない。
一応武装を確認してみるが、やはり右腕のクロ―アームしか武器に使えそうなものはない。
はっきり言って、状況は絶望的だった。
ベルベットが再びコフィンに収まり、全天周モニターが復活する。レーダーは未だエンダーズの反応を捉えていて、こちらに接近しつつあった。
「この数、さばけるか……?」
「わたくしが付いているのですよ? 必ず勝利しますわ」
相変わらず有無を言わさぬ物言いに、ミキリは苦笑しながらもその言葉に勇気づけられているという事実を、表には出さないながらも受け入れていた。
「だったら、こちらから仕掛ける。ゲイザーの対処は頼めるか?」
「あら、意外と積極的ですわね?」
「これが俺の本来のスタイルだ。メイガスなら、合わせられるだろ」
「愚問ですわ。完璧にサポートして差し上げましてよ?」
クロ―アームを開閉して調子を確かめると、ミキリはエンダーズの大群に相対した。普通なら相手にもならないような状況だが、不思議と絶望的な気分にはならなかった。
先頭に飛び出してきたチャージャーを掴み、地面に叩きつける。結晶質の甲殻が砕け、一瞬でコアごと粉砕する。コアを失ったチャージャーは霧のように消えるが、それでも他の群れは気にせずに突っ込んできた。
クロ―アームの質量に任せてエンダーズたちを押しつぶし、投げ飛ばす。それで敵の執拗な攻撃を防いでいたが、高エネルギー反応の警告音に背筋が冷える。
「回避運動! 行きますわよ!」
ベルベットの操作により、コフィンは旧世界のスケーターのようにその場でクルリと回転ししてゲイザーから放たれたビームを回避する。
そのまま複数体から放たれるビームを避けながら、掴んだチャージャーを投げつける。ベルベットのアシストで一直線に投げられたチャージャーが、ビーム発射寸前のゲイザーに直撃し、爆発した。
その調子でエンダーズの群れの中をまるで舞うかのように、二人は戦いを続けた。
だが、敵の数は減るどころか増える一方で、酷使しすぎたクロ―アームの関節部は悲鳴を上げていた。チャージャーの一体を掴んだ時、いよいよ肘関節が嫌な音を立てて折れたのだ。
倒し損ねたチャージャーを放り投げ、後退する。背面には崖が迫り、退路は残されていなかった。
「……万事休す、ですわね」
「こうなること、想定してたんじゃないのか?」
「そ、それはまぁ、当然ですわ」
おほほほほ、と誤魔化すように笑うベルベットに、ミキリは頭を抱えた。結果的にコロニーの人々は助けられたのだろうが、このままでは群れにたかられて悲惨な死に方をするだろう。
残った左腕と両足だけでこの数を相手にするのはかなり厳しいが、やるしかない。たとえこの場から逃げおおせたとしても、連中は必ず追ってくるのだ。
それにそのやり方は、『ドリフターの流儀』に反する。
手を出したのなら、最期まで面倒を見るのが、ドリフターというものなのだ。
「……来ますわよ!」
チャージャーの予備動作を察知したベルベットが警告する。ミキリは正面から飛び出そうとするチャージャーを睨みつけて、レバーを倒そうとする、その矢先だった。
側面から殺到した弾丸の突風が、チャージャーを激しく叩き、霧散させた。
「何だ⁉」
攻撃が来た方向を見やると、鋭いシルエットの白い機体が、腕に短機関銃(サブマシンガン)を構えながら地上をホバー移動していた。
ホワイトの機体色を切り裂く、鮮やかなオレンジのストライプは、ミキリがとてもよく知る機体の特徴そのものだった。
「ジル・ロードランナー……」
ミキリの呟きに応えるように、オープンチャンネルで聞きなれた女性の声が流れた。
『ちょっとぉ、何一人で楽しそうなことやってんの?』
「マスカレード! どうやってここに⁉」
ミキリの疑問をよそに、ロードランナーはサブマシンガンの弾丸をばら撒きながら群れに突っ込んだ。弾倉が空になるまで撃ちまくると、今度は両腕に備え付けられたチェーンソーでエンダーズたちをバラバラに切り裂いていく。
『どうしてって、ウチの優秀なメイガスが突然、コフィンが出撃したのを検知したんで、お金の匂いがしたんだよねぇ』
「勝手に手伝って報酬を分けてもらおうってか……」
『そゆこと!』
多数のエンダーズを相手にしながらも、マスカレードの余裕は崩れない。それだけの実力が、彼女にはあった。
そもそもクレイドルコフィンが作られた西側からやってきたのだから、流石、の一言に尽きた。
そうしている間にも、瞬く間に敵を殲滅したロードランナーの背後に残されたのは、エンダーズたちの残骸だった。ジル・ロードランナーには傷一つなく、白いボディは曇天の下にあっても輝いていた。
エンダーズはコアを破壊されると、その体組織のほとんどが消滅してしまうが、一部の骨や甲殻が残る場合がある。加工のしにくさからあまり日常的には使われないが、耐ブルーシスト剤に使えることから、それなりの需要はあった。
『ま、あなたからこれ以上お金を搾り取ると可哀そうだし、これだけの残骸があれば少しは足しになるでしょ』
「ハハハ、そりゃどーも」
そう苦笑しつつも、
「とはいえ、助かった。ありがとう」
『そりゃ、ビジネスパートナーだしね。大事な依頼主サマなんだから、あまり勝手なことしないでよ~?』
「そうだな。肝に銘じておく」
『それじゃ、回収用のキャリアー回してくるから、大人しく待っててね』
そう言い残すと、彼女はその場で踵を返して帰っていった。こちらはというと、満身創痍といった有様で、あまり無理に動かそうとするとそのまま崩れてしまいそうだった。
ミキリは深く息を吐いて、リラックスするように背もたれに寄りかかる。そのまま空を仰ぐと、雲の切れ間から青い空が見え始めていた。
「……都合のいい天気だよな。ホント」
誰にともなく、そう呟いてみる。すると、急にコックピット内の映像が暗くなった。どうやらまた勝手にベルベットが降りたらしい。ミキリもハッチを開くと、半壊のコフィンの頭上からひょっこりと上半身を乗り出した。
正面に彼女の姿が見えず、ミキリはコフィンから降りてその背面に回る。
ベルベットは崖の上から、眼下の森を眺めていた。雨も止み、木々は穏やかな風に吹かれてなびいていた。
「助かりましたわ。正直、来てくれないと思ってましたの」
真剣にそう告げる横顔に、金色の髪が揺れる。メイガスは人の作り出した、人の願望を写し出した人形だ。ベルベットもその例にもれず、
「そういえば、これが終わったら詳しい話をするっていう約束だったな」
ミキリの言葉に、ベルベットがちらりとこちらを一瞥する。
「えぇ、でももう一つあなたにお願いがありますの――」
そして、真っすぐにミキリに向き直る。
「――わたくしの、マスターになっていただけませんこと?」
首元の∇が、太陽の光を浴びて眩い光を放つ。
それは、ミキリにとって直視しがたい光だった。
Episode.1 Velvet Blue
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