シュレディンガーのアイドル〜髙地さん、アイドルになってくれてありがとうの長文怪文書〜
3ヶ月遅れですが、髙地優吾さん、お誕生日おめでとうございます。
この時代のこの国に生まれてきてくださってありがとうございます。アイドルになってくださってありがとうございます。
スタートダッシュからザ・オタクの前口上で申し訳ございません。
約1年前にお焚き上げ怪文書を載せたあと、書きたいことが山のようにありました。
『だが、』のこととか、『だが、』のこととか、髙地さんとジェシーさんのユニット曲のこととか、『こっから』のこととか、『だが、』のこととか。6割『だが、』のことだな……。
ですが季節が過ぎるのは早いもので、気がつけば髙地さんの誕生日になってそして過ぎて、ジェシーさんや田中さんや松村(松村だけはあえて敬称なしで呼ばせて頂きます)の誕生月になっていたのです。
SixTONESの引っ掛かりとなったのは、実は髙地さんで、彼の存在に本当に救われ、いつか彼のことを書きたいと思っていたので、敬意を込めて綴りたいと思います。
だいぶ前にソロ曲が発表された際にコメント欄を見た時、それぞれのファンの特色が強く出ていてかなり面白かったのですが、中でも髙地さんは他の5人に比べて「アイドルになってくれてありがとう」「アイドルを辞めないでくれてありがとう」という旨のコメントがかなり多く目立った。
事情を全く知らない人が字面だけ見れば重め感情ファンの展覧会になってしまい、かなり近寄り難いコメント欄になっている。
これは髙地優吾さんのファンが、というよりは彼のアイドルの成り立ちがこうさせているのだと思う。
SixTONESの邂逅は本当に何の脈絡もなく「そういえばよく見ていたスクール革命の髙地さんは、今何をしているんだろう?」と思い立ち、調べて辿り着いたというかなり唐突で突然なものだった。
事前知識としてあるのは、髙地優吾さんはスクール革命でオーディションを受けて、その当時一番有名だったアイドル事務所に入ったということだけ。
それが自ら望んだことではなかったこと、流されるようにアイドルになったこと、とにかくいつも「アイドルをやめたい」と考えていたというのは雑誌を集めたり、インタビューを片っ端から読んでいるうちにわかったことだった。
やめたいのであればやめればいい、とおざなりに言い捨ててしまうのが人間だと思うが、オーディションを蹴ることもできず、落ちる気満々でオーディションを受けてとんとん拍子に次の選考に進んで最終的に通って「しまった」うえ、相談しても「とにかくもう少し続けてみよう」と言われる彼に「やめる」という選択肢を取ることは難しかった。
人生の選択肢に全くなかったアイドルになった彼に、膝の裏を撃たれてしまった。
SixTONESの好きなところはアイドルという大枠に捉われず、「こういうアイドルがいてもいい」ということを体現しているところですが、髙地さんはまさにその核だと思ってしまった。
アイドルは尊い存在で、誰しもがスターダムを夢見て、研鑽を積んで、それでも叶わなくて、一層努力して、それでも掴めるかどうかわからない夢を掴もうと足掻き、もがく。
だからダンスレッスンで帰っていいよ!と言われて帰ったあの超有名エピソードや、当時いかにもやる気なく踊っていたことはひどく批判されたという。
「それ」は「そう」である。全く正しい。
だって、アイドルは誰しもの憧れ。血が滲むほど、血反吐を吐くほど、全身千切れてしまいそうになるほど頑張って、頑張って、工夫して、挫折して、頑張って、頑張り抜いたって、持った才能のせいで蹴落とされたり、その時の一瞬の行動で今までの努力の全てが無駄になるかもしれない「運」的な要素も孕んだ厳しい道のりである。
頑張っても、努力をしても涙に暮れるしかない人がいるのだから、頑張れない人、やる気のない人が批判されるのは当然なのだ。
だけど、どれだけ望んでも全くやりたくもないことをさせられているのであれば?どれだけ望んでも絶対にやめられないのであれば?
したくもないアイドルをずっとずっとやめたい、嫌だと思いながらも続けなくていけないのであれば?
そういうアイドルがいたって、全然いい。
ひいていえば、全く予想していない、望んでいない人生になったって全然いいし、一筋縄ではいかないけれど人生は続くし生きていけるということを証明してくれたのが、髙地さんなのだ。
今は昔よりはるかに努力をすれば報われる時代になっている。芸能界(というよりはアイドル界隈?)がそういう仕組みになっている。
時代は良くなっている。時代が進むに連れて人の倫理観や社会制度のレベルは上がっているから、「古き良き時代」は幻想なのだ。
わかってはいる、わかってはいるのだけれど、個人の意思を全く無視した「古き良き時代」に見られた髙地さんのようなアイドルはもう見れなくなってしまう時代になるのかと思って悲しくなった。
と思ったんですが、髙地さんのようなアイドルは地球46億年の歴史の中で髙地さんだけだな……と後になって気がつきました。
そんな数奇なアイドル、何人もいませんね!失礼しました!!
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オタクにお馴染みの言葉で「シュレディンガーの猫」というのがある。
厨二心をくすぐるドイツ語の入ったかっこいい言葉なため、色々なコンテンツで使われている。
聞いたことはあるけれど、詳しい意味は知らないという方もいると思う。
Wikipediaを開いても小難しい理屈が並んでいるので思わず画面を近づけて細目で見た後、画面を遠ざけて細目で見てしまうと思う。自分がそうであった。
ざっくり言うと「ネコちゃんがいる箱の中で有毒物質が入った容器を入れておく、という実験をすると、有毒物質が漏れてネコちゃんが死ぬかもしれないし、ネコちゃんは生きてるかもしれない、実験をしても条件によって違うから確率は半々なんだよね」という量子力学という学問の不安定さを表した言葉らしい。つまり状況によって存在する、しないが可変的な不安定な存在ということ。
それはまるでSixTONESとして覚悟を決める前のアイドル、髙地優吾のことのようだ、と思った。
いつやめるかどうかもわからない、量子力学よりも不安定で不完全なシュレディンガーのアイドル、それが「アイドル髙地優吾」である。
私たちが今見ているのは「シュレディンガーのアイドル」をずっと引っ張り続けてきて、昔からずっとそばにいてくれたメンバーやデビュー前から根気強く応援し続けてくださったファンの方がアイドルであるということを証明して具現となって現れた「アイドル髙地優吾」である。
そういう意味で、昔からずっと応援しているファンの方のことはとても尊敬している。メンバーはもちろん、ファンの皆さんのおかげで不安定な「シュレディンガー」が取れて「アイドル」になれたのだと思う。
何様でしかないが、この場を借りて髙地さん担当の皆さん、SixTONESのファンのみなさんに敬意を表したいと思います。
みなさんのおかげでデビューしたSixTONESを、存在しないかもしれなかった「アイドル髙地優吾」の存在を知ることができました。本当にありがとうございます。
「アイドルになってくれてありがとう」「アイドルでいてくれてありがとう」という言葉は髙地優吾さんにおいては本当に裏表もなくそのまま、本当に字面のままの意味で刺さる。
この時代に生まれてくれて、人生の選択肢に全くなかったアイドルになって、そして今までずっと続けてくれてありがとう。
これからもアイドルを続けてくれると、凄く嬉しいです。激重いファンより。(結局重いんだ)
ここまで、オタクのメチャナガス怪文ポエムを読んでくれてありがとうございました。これがあなたの些細な暇つぶしになっていますように。