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それが「愚か」であることは痛いほどよくわかっている。/2021年4月15日


抽象的な話をする。

他者の人生に首を突っ込むべきではないと思っている。犯罪や差別ならまだしも、大切に思っている友人が、あからさまに愚かな行為をしようとも、それについてどうこう言うべきではない。そんなポリシーがある。

ともすれば人は、愚かな行為を「愚かである」と100%認識したうえで、それでもなお遂行せずにはいられない生物であるからだ。

それが「愚か」であることは痛いほどよくわかっている。けれど、やってしまう。

ぼく自身、自分で「バカだなあ」と認識しつつ、どうしてもやめられない行為が両の指では足りないくらいある。

人生相談」が嫌いである。周りがどうのこうの言おうとも、相談者の中ですでに答えはでているし、それがたとえ100%間違えている結論であっても、周囲の諫言などけっきょくは耳に入れはしないし、入れる必要もないのだ。

人はかならずしも、「合っているから」「合理的であるから」という理由で、決断をするわけではない。間違えているとは重々わかっていながらも、それでもその判断を差し止められないことはいくらでもある。

人は合理的であろうと心がけて、それでも非合理な選択をしてしまう生き物である。

今日、知人の「愚かな選択」を見た。
もちろんこの「愚かさ」は僕の判断基準にすぎない。だが、僕は僕の視点でしか人生を見れない。だからここでは、「愚かである」と言い切らせてもらう。

しかし僕はよほど深く酔っ払っいでもしないかぎり、他者の決断についてなんらかの論評はしたくないと思っている。

いや、ちがう。

「バカだなあ」と思いつつそれを諌めることをしない──というのが正しい表現だ。

しかしながら、嫌っていない友人・知人の愚かな選択というのは、メンタルにくる。とめはしないが、それをはたで見ていて、こちらがダメージを受けてしまう。当然だろう。友人たちにできるかぎり幸せであってほしいと願うことは、そんなに特別な感覚ではない。

なら、とめろよ。
たしかにそれは、正しい。

しかし、意見を具申するということは、他者の人生に対して少なからずコメットメントするということである。
それはとても怖いことだし、生半可な覚悟でやるべきではない。

実際ぼく自身、酔っ払ったときに他者の行為を激しく糾弾して(要は説教して)、それがその人の人生について少なからず影響を与えてしまったことがある。

そのこと自体、説教かまされた当人は、おそらく感謝してくれているが、しかしそれがプラスに行くかマイナスに倒れるかは、けっきょくは運の問題にすぎない。

極端な話、僕が他者の決断に介入することにより、その人が大きな不幸に陥ることもある。
そんなリスクは、背負いたくない。

だから今日もぼくは、友人の愚かな選択をほんとうはとめるべきと思いつつ、けっきょくはなにも言えはしない。そして、「言わない(言えない)こと」自体に、大きなメンタルダメージを負うのだ。

けれども、介入したら介入したで、けっきょくは当事者として引きずり込まれるだけなのだから、同じことなのかもしれない。つまり、他者と関わることは本質的に「消耗」なのかもしれない。

だからといって、「孤独であれ」と言う気もないし、ぼく自身が、「孤高」を気取れるほど強くもない。

はあ。

日記に戻る。

今日はめずらしく終日在宅勤務。やっぱ捗らんなあ。

所用がてら夕方に、新宿三丁目のいつもの喫茶店に行き、資料読みだけでもなんとか片づける。しかし、けっきょく予定していた作業の50%くらいしか完了できなかった。明日がんばろう。

20時に喫茶店をでたあと、ジムに行こうとするが、木曜日は定休日であることに気づく。しかたないから、新宿区をラジオおともに散歩。

オードリーのオールナイトニッポンをタイムシフトで。この番組はわりと構成がかっちり決まっていて、かならず若林さん、春日さんの長めのエピソードトーク(フリートーク?)がある。

若林さんのパートは、毎週きっちりしあがったトークに聴き惚れるだけなのだが、春日さんはそのへんかなり大らかというか──ぶっちゃけあまり、固まってないトークをする。

だからいつもは若林さんのパートをしっかり聴き、直後の春日さんのパートは流すことも多いんだけど、よくよく考えてみれば、大したトーク力を持たない我々一般人にとって、春日さんパートのほうが実は得るところが大きい(春日さんが大したトーク力を持ってない、という意味ではない)。

春日さんのゆるいトークに、若林さんが茶化しつつツッコミつつ、なんだかんだおもしろくしあげていくさまを見て(聴いて)、
ああ、理想の聞き手というのはこういう感じなんだなあ」と思った。

いや、真似できるわけないんですけど、コミュニケーションのスタイルとして、「若林さんのトーク」より、「若林さんの相槌」のほうが、なんというか──まだ、学ぶべき余地がある気がしたのだ。

2時間まるまる聴いたあと帰宅。風呂入って23時過ぎには布団へ。

おやすみなさい。

(終わり)



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