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あってないようでそこにあるもの

週の半ばの、眠れない夜に投稿したブログ。
以下、原文そのままです。

コメントしようかと思ったのですが、思いきり自分語りになりそうだったのでこっちにしました。

なのでひとりごとです。

(ちなみにこんな時間に起きているのは、風邪と月のもののダブルパンチで早い時間からダウンして寝ていた反動で目が冴えてしまっているからです。でもこれ書いたらご自愛してもう一度寝なきゃ)


「みなさんには実家がありますか?
そしてそこは心安らげる場所ですか?」


私は最近よくここ(アメブロ)のことを「実家のような存在」と例えることがありますが、私の本当の実家は「あってないようなもの」だなぁと思っています。

最後に帰ったのは10年以上前で、その時も成人式のためのバタバタ帰省だったので、実家には寄ったもののそこで食事をしたり寛いだり、泊まったりというようなことはありませんでした。

私の実家はアパートです。
私が小学1年生になるタイミングで、小さなアパートから少し大きめのアパートに引っ越したのです。
ダイニングキッチンと、リビング、部屋が2つ。1階だったのでお庭もありました。

私が高校3年生のときに両親が離婚して母が出て行き、高校を卒業した私も進学のため間もなく出ていき、そして3年前に結婚した弟もついに出て行き、今は父だけがそこに住んでいます(と思います)

私にとってそのアパートが実家ということになるのでしょうけど、私の物も残っているか分からないし、正直言って私の居場所はもうそこにはないだろうと思っています。

帰省したとしても、ホテルとかに泊まることになるんだろうな。母のところに行くわけにもいかないし。

私が子どもの頃は夏休みや冬休みになると父と母それぞれの実家に帰省して、おじいちゃんおばあちゃん、従姉妹たちと過ごすのが恒例でした。とても楽しみにしていました。

でも、自分の子どもたちにはそういう経験も思い出も場所も与えてあげられません。

私の方だけでなく、夫の両親も離婚していてさらに夫はお義父さんのことを嫌っている(いろいろあったみたいです)ので夫の実家に帰るということもほぼありません。

子どもたちには申し訳ない気持ちになるけれど、最初からそれが「当たり前」として育ってしまってるわけだからどうなんだろう。

私にとって実家は「ほっとくつろげる場所」ではなくなってしまったということ。ちょっと寂しいなぁとは思います。

それでもアメブロのことを「実家のような存在」と例えるのは、世間一般的に実家というものは「ほっと安らげて、くつろげるような場所」だと認識しているからです。

私の本当の実家は無くなってしまったようなものだけど、ここという存在はこれからも残しておきたいな。


このブログに、いくつかコメントをいただきました。その中で

たとえ帰れる家がなくても今家族が離ればなれになっていてもひとちゃんを温かく迎えてくれる人がいる限りそこは実家なんだなぁと思うよ

この言葉に、じーんとして。ホッとして。
この気持ちを忘れたくないなと思ったので、残しておこうと思いました。

うん、うん。そうだよね。
私には「実家」がたくさんある。それはとても幸せなこと。
あってないように思えるものでも、ちゃんとそこにあるんだな。

コメントを読んだとき、私が好きな小説のあるフレーズが思い浮かびました。
記憶を頼りに書くので原文そのままではないと思うし、私が勝手に足したり引いたりしているかもしれないけれど、あえて読み返したりせずそのまま書きますね。

〈ずっと、自分の居場所を探していた。でも本当に必要なのは場所じゃなくて、自分を受け入れてくれる人の存在だった〉

確か、こんな感じ。

これを書いたあと該当の箇所を読み返してみたら…

〈はたして自分のいていい場所はどこなのだろうかと、考えたこともあった。しかし必要なのは場所ではなかった。必要だったのは、自分の存在を許す人間だったのだと思う〉
乙一「暗いところで待ち合わせ」より

となっていました。
やっぱり少し違う。でも、これはこの言葉が私の中に根付いて育って私の一部、私の言葉にもなっていることの顕れなのかな…?とか思ったり。

この小説に出会ったのは私が高校生のときで、当時は家にも学校(クラス)にも居場所がないような気がしていました。
そんなときに読んだ「暗いところで待ち合わせ」はとても共鳴する部分が多くて。ずっと大変な一冊です。
今でも3〜4年に一度くらいは読み返してるかな。
いつも決まって寒い季節に読み返したくなります。

タイトルと表紙がちょっと怖いのでホラーな話だと(作者の乙一さんがまた、ホラーやミステリーを得意分野としているのもあって)誤解されやすいのですが、読んでみるととっても心温まるお話です。
若干のサスペンス?ミステリー?要素もあるけれど、怖いのが苦手な私でも読めるくらい… というかホラーを期待して読んだらいい意味で裏切られるくらい、やさしいお話です。
乙一さん、「切なさの達人」とも呼ばれているのですよ。
もしよければ読んでみてくださいね。

話を「実家」に戻します。
私が実家を出るとき、自分の荷物をすべて持ち出したわけではありません。
当時は「またいつでも帰れる」と思っていたので、置いてきたものもたくさんあります。
今でも残っているものがどれだけあるか分からないけど、もし残っているなら手元に置きたいものがいくつかある。

例えば、「たからものいれ」と書いてある箱。
他人から見ればガラクタかもしれないけれど、私にとっては「たからもの」な物がたくさん入っている。
その中には、学校帰りに拾った宝石みたいにキレイな石もあって。淡い緑と白の透き通った石。
当時はなんて名前の石か分からなかったけれど、あれは多分フローライト(蛍石)の原石だと思う。
息子が鉱石とかけっこう好きみたいだから、見せたげたいなぁ。

あとは、音楽雑誌。
お守りで、バイブルでもある一冊と他にも数冊持ってきたものはあるけど、置いてきたものもある。ふとした瞬間読み返したくなっては「あ、置いてきちゃったんだった…」って寂しくなります。

あと、弟がくれた大きなプーさんのぬいぐるみ。と、ぬいぐるみに被せてあるBUMPのグッズ(キャップ)
弟から何かをもらうことって滅多になくて、あのプーさんのぬいぐるみが唯一と言ってもいいかもしれない。けど、大きいから置いてきちゃったんだよね。
BUMPのキャップも。確か、佐倉フリーライブのライブビューイングを大分県(地元)で観たときに買ったんだと思う。ツアーMY PEGASUSのグッズの、緑色のキャップ。
キャップ、普段身につけることないしなぁ…って思って置いてきちゃったんだっけ(なぜ買ったん)

他にもまだあると思うけど…
まだ、置いててくれてるかなぁ。それとも処分しちゃったかな。
いつかまた、手元に置けたらいいな。

そして、いつかまた 私を迎えてくれる人のいる場所へ帰れたらいいな。

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