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身の程知らずの怖いもの知らず #野心日記

金銭的に切羽詰まった生活を送るなんの変哲もない主婦が「小説を書いて文学賞に応募しよう(賞を目指してその賞金で生活を立て直そう)と思い立ってからおよそ1年。そんな突拍子もない野心をnoteで表明してから約4ヶ月。
今更、そしていきなりですが小説日記もとい野心日記を書こうと思います。

小説日記もとい野心日記というのは、野心へ向かって小説を書き進めていく中でふと思ったこととか、悩んでいることとか、小説の進展状況などを小説の内容には触れない範囲で綴っていこうかなというものです。不定期です。

こういう「そのときの感覚」みたいなのって書いておかないと忘れてしまいそうだし、いつか小説が完成したときに見返すと感慨深いものがあったりするんじゃないかな、と思って。


気付けばTwitterで1週間近く呟いていなかった(リツイートやリプライ以外)のですが私は元気です。
最近は、インプットするのが楽しい期のよう。

私はよく野心へ向かう途中で心が挫けそうになってしまいます。無理無理、無謀すぎ。できる気がしないよ〜…って。
そういう思考になるときは大体、手か思考が止まっています。手も思考も動かしていないのに「できるわけない」と思っちゃうなんて、おかしな話です。
だから手と思考を動かすと、大抵は解決します。私の場合。
それでもマイナス思考から抜けられないときは、筆を止めてインプットに徹します。すると大抵解決します。私の場合。

私が小説を書いていて度々思考と筆が止まる原因のひとつに、自分の力量に対して「登場人物が多すぎる」というのがある気がする。
登場させるからには空気みたいな存在にしたくなくて、その人の背景や生い立ちをあれこれ考えていくうちに自分のキャパを超えた数の人生を描くことになっていました。
往々にして、いつもやることが無謀なのです。無鉄砲なのです。

自分ひとりの人生も充分に生きられていない人間がどうして何人分もの人生を描こうというのか。
それに私は人として大切な感情のいくつかが欠如しているんじゃないかと常々思っているので、そんな私がどうして人の心を動かすものを描こうというのか。身の程知らずにも程がある。
それでも、「欠けている」私にしか書けないものもきっとあるはず。と信じてみるのです。

自信なんてきっと一生ないけど、信じるしかないんです。
怖くてしょうがないけど、行くと決めたんです。
魅力的で愛おしい登場人物たちが頭の中で生きています。完成したらきっと面白いものになるはずだから(言っちゃった)だからまずは完成させないと。

身の程知らずな自分じゃなきゃ、踏み出せなかったかもしれない。
だから、たまには無鉄砲もわるくないんじゃないかな…って思うのです。



【おまけ】
とある日のひとこま

雨上がりの椿の花。
ここの椿は毎年とてもキレイに咲くので楽しみにしてるんです。
自転車通勤にしてから毎日は通らなくなった道だけど、今年も見られてうれしかった。

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