2024年1月の日記と記録
※一部、令和6年能登半島地震について触れています。私自身は被災者ではありません。
1月1日(月)
朝から大好きなお赤飯を炊いて食べた。
おせちは家族が食べないので、家にあるものと自分が食べたいもので。手前は黒豆×クリームチーズ。伊達巻は息子の好物。
子どもたちは冬休み。私も3日までお休み。
夫は元日から仕事へ。例年通り。おつかれさまなのです。
大晦日は家族全員お休みだった。
夕飯に年越しそばを食べながら、息子が好きな「逃走中」を1階のリビングで見て、食べ終わって片付けが済んだらわたしは2階の寝室へ移動して自分が観たい紅白を。
子どもたちはそれぞれゲーム(娘は途中から紅白に合流)
お義母さんは1階のリビングでテレビ、夫は夕飯のときも含めて朝からずっと自室で趣味。いつもバラバラ。
地震発生当時のこと。
年末からうっすらとした体調不良がつづいていて、そのときも私は横になって休んでいた。すぐ隣で娘もゴロンとしながらくつろいでいた。
ふわふわとした気持ちのわるい揺れを感じて、最初は娘が揺らしてるのかなと思ってゆっくり起き上がってみると、娘は大人しく動画を観ている。
壁掛けのギターが揺れているのを見て、地震だ!と気付く。
「こわい」と言う娘に「大丈夫だよ」と声をかけながら、揺れがおさまるまで抱き合っていた。長い間揺れていた。
揺れがおさまってから1階に降り、息子やお義母さんと合流。テレビから流れる地震の情報と、くり返される「津波警報」の言葉に逼迫した現状を知る。
私たちが住んでいる大阪や、私の故郷である大分県には津波の影響はなさそうだった。でも、いつどこでまた大きな地震が起こるか分からない。3.11の恐怖を(被災はしていないけれど)今でも覚えている。安心も油断もできない。
それに、SNSを通じて知り合った人たちが全国各地に住んでいる。
そうじゃなくても、知らない人でも、その土地で生活している人たちがいる。
どうかどうかと願わずにはいられなかった。
1月2日(火)
初夢を見た。
例年であればなにも見ないか、見ても起きた瞬間に忘れてしまうことが多いけれど。
今年は全然、初夢なにかな〜 って期待するようなテンションではなかったけれど、そんなときに限ってけっこう記憶に残る夢を見た。
ゴーカートみたいな小さな赤い車に、子どもたちを乗せて梅田へ向かう夢。
現実世界で、私は車の免許を持っていない。なのに運転しなくてはいけないという不安でしょうがない状況だった。
悪夢と言うほどではないけれど、精神的な何か(地震のというよりは、日々の生活の)が反映されていたりするのかな。
揺れの大きかった地域の人たちは、一晩中不安と恐怖で眠れなかったかもしれない。
地震から一夜明けて、子どもたちの様子はいつも通りだった。ゲームをしたりしてくつろいでいる。
私は1人、スマホで地震の情報を追い続けた。
そこには、リアルタイムでリアルな被害状況が発信されていた。
1人ひとりの人間の生身の声が、切実に助けを求める声が、いくつも飛び込んできた。胸が潰れそうになった。
事態の深刻さに言葉が出なくなる。
被災地から遠く離れた土地に住む私が、塞ぎ込んでいても仕方ないのは理解している。
情報の入れすぎは良くない、情報から離れるのも大切、それも理解している。
東日本大震災以降のあらゆる災害、またはショッキングな事件やニュースのたびにSNSで何度も呼びかけられてきた言葉。
理解はしている。でも、つい情報を追ってしまう。
できるだけ、いま起きている事実を知りたい。
被災地から離れた場所に住む人たちの、いつも通りに過ごす日常や楽しいうれしいことのつぶやきも見られた。
こんなときだからこそ誰かを元気づけよう、癒そうとする意図の投稿も。
不謹慎なんかじゃない。いつも通り過ごすのはとても尊くて大切なことだと思う。
うれしいこと楽しいことだけじゃなく、個人のつらいこと悲しいことの発信も。遠慮して胸の奥にしまわないでいいと思う。
いつも通り過ごして自粛しすぎないのも大事だけれど、それが難しい人は(たとえ被災地から離れていたとしても)無理して気持ちを上げようとしなくてもいいと思う。しばらく沈んでしまってもいいと思う。
吐き出しても飲み込んでもいいし、誰かのために何かしようとしなくても大丈夫。
じっとしてても大丈夫。
私も、ただただ情報を受け止めながらじっとしていた。
相互のフォロワーさんたちも、それぞれの意思で何か発信したり、しなかったりしている。それをただ、見つめていた。
心を寄せながら、自分にできることをしながら生活をつづける。
直接何かができなくても、私のような一般市民は今はそれでじゅうぶん。そう学んだ。それを信じる。
でもひとつだけ。
そばにいる自分の子どもたちのことを考えた。
SNSを使わない、テレビも見ない子どもたちは今の状況を何も知らない。いつも通り過ごしている。
このまま、何も知らないままでいいのだろうか。
たとえば私は、阪神淡路大震災のとき5歳くらいだった。被災地にも住んでおらず、ほとんど何も記憶にない。
東日本大震災が起こったとき、息子は生後数ヶ月の赤ん坊だった。娘は生まれてすらいない。
子どもたちはこのままだと、今回の地震のことも「ちょっと大きな地震があったな」くらいでそのうち忘れてしまうんじゃないか。
話の内容はだいぶ端折って書いたけれど、じっくり時間をかけて話した。
息子はとても真剣に話を聞いてくれた。
(オクトパスには笑ったけど)
この数日前まで、私は親としての自分に落ち込んでいた。
こんな人間が母親になってごめんなさい。
私みたいなのがお母さんで子どもたちが「可哀想」
生きてくのに必要な知識を何も教えてもらえないなんて、「不幸な子」
そうやって心の中で自分を責めていた。
「可哀想」も「不幸」も他人が勝手に決めつけて言っていい言葉じゃないと思うから、普段は使わない。それは自分の子どもであっても同じはずなのに。自分を責めれば許されるわけでもないのに。
無理です。出来ません。向いていません。
そう言って責任を放棄できる問題でもない。
子どもの成長を阻害するのは、分かりやすい暴力や言葉による毒だけじゃない。
勉強の仕方や計画の立て方、整理整頓の仕方など、生きていくうえで最低限必要な学力や知識や生活力。
そういうものを充分に与えてあげられないのもまた、子どもの成長に大きく影響すると思う。
私は、自分自身が出来ていることでも、それを子どもたちにどう教えたらいいのか分からない。このままだと子どもたちはどうなってしまうんだろう……。
そんなふうに、「このままじゃ駄目だ」と思いながらもどうしたらいいかずっと分からなかった。
頑張らなきゃいけないのに、頑張る余力もなかった。頑張れない言い訳もたくさんしてきた。
でも、息子とじっくり話してみて、息子の反応をみて、私にできることはまだある。そう思えた。
頑張れないときもあるかもしれないけれど、また少しずつやっていこうと思えた。
息子にはこんな話もした。
非常時に助け合う気持ちは大事だけれど、もしものときは家族を置いてでも逃げるんだよ、と(いわゆる、「津波てんでんこ」)
「大丈夫、僕それはできると思う!」
と即答。うん、息子はそういうタイプだろうしそれでいいと思う。
特性ゆえなのか、性格なのか分からないけれど。
(ちょっと違うかもだけど「逃走中」とか見てても、僕なら自首する!ってなんの迷いもなく言うタイプ)
迷いのない返答に安心した。
きっと、迷わず逃げて生き延びる…… かどうかは分からないけれど。
息子みたいなタイプは誤解もされやすいし、一定数批判もあるだろうけど、本来他人に責められることではないし、価値観を押しつけるものでもないんだろうなと思う。
この先、自分より(自分と同じくらい)大切にしたいと思えるような人ができたら、そういう心が芽生えたら、また変わってくるのかもしれないけれど。
1月3日(水)
夜になって、雨が降り出した。
被災地でも降っているらしい。祈るしかできない……
この数日間で、SNSのいいところにも怖いところにもたくさん触れた。
相変わらず、情報を追い続けている。
↓ライブの様子
▷1月3日 広島
子どもも大人も全力コール&レスポンス
▷1月2日 京都
小島よしおさんは元々けっこう好きというか、と言っても全然なにも詳しいわけではないけれど、たまに見聞きするエピソードがどれもいいお話だから、勝手になんとなく好印象を抱いている。
リズムに合わせて踊りながら、(ほぼ)意味のない言葉を叫んでいるだけ。「だけ」とか言ったら失礼だけれど。
でも、それだけでこの圧倒的なエネルギー。
「オッパッピー」とか「そんなの関係ねぇ」とか、自分が高校生くらいのときに流行っていたネタで今もたくさんの子どもから、おじいちゃんおばあちゃんまでこんなにたくさんの人が笑顔になっている。元気が出るのに泣きそうにもなる。
きっと、この状況下で予定通りイベントを行うかどうか悩んだんじゃないかと思うけれど。
目の前のこと・自分のやるべきことに全力な姿はとてもかっこいいな。集まった人たちも含めて。
紅白の伊藤蘭さんもとてもよかった。
10-FEETのTAKUMAさんが叫んだ「チバユウスケー!」や、ポケビ×ブラビみたいに響いたシーンは他にもあるけれど、個人的に伊藤蘭さんのステージが忘れられない。
キャンディーズというアイドルが人気だったことは知っているし、『年下の男の子』『春一番』といった曲を耳にしたことはあれど、各メンバーの名前などは知らなかった。いわゆる「世代」ではない。
でも、世代じゃないからこその新鮮な感動もあるのか、とても心に残っている。
何度も観たくなるし、地震の情報を追う合間にも気付いたら「伊藤蘭」と検索している自分がいる。
ファン(親衛隊というのですね)がステージに投げた赤い紙テープが腕にからまっても、それを振り払わず演出の一部かのように振る舞ったり。所作のひとつひとつが美しかった。
赤いテープに混じって黄色と青のテープも飛んでいて、おそらく蘭さん以外の2人のメンバーカラーなのだと察したり。
蘭さんに声援を送る親衛隊の表情も、そんなファンの方をずっと見ながら歌う蘭さんも、とてもとても素敵で。
それと、『春一番』の入りのドラムの演奏がアツくて上がった。
ずっと応援してきて、こうしてまた紅白の舞台で声援を届けられるってうれしいだろうな。胸が熱くなった。
私は、素敵だなと思ったものでもすぐには共有・拡散できないことが多い。一度、自分の中にしまう。そのまま、表に出す機会がないまま時が過ぎてしまうことも多い。
Twitter(X)ではリツイートはもちろん、「いいね」でも自分の意思と関係なく誰かのタイムラインに流れてしまったりする。
いいね=肯定や共感や賛同と受け取られるのが一般的だと思うので、まだよく分からないけれどもうちょっと自分の中でよく考えたいことや、自分とは異なるけれど考えさせられる意見などは「いいね」じゃなくブックマークすることが多い。
(↑主に、話題になっているツイートに対して。
相互のフォロワーさんの投稿については、「あとで読む」機能としてたまに使うくらいかな。ブックマークされるの怖い人もいるだろうし)
共感や賛同であっても、それを他人に見せる必要がないときや見られたくない場合にもブックマークを使う。
単純にお気に入りでくり返し見たい読みたい投稿もブックマークする。
そんな感じでどんどんブックマークするので、私のTwitterのブックマーク欄は2〜3日もすればさかのぼるのが難しくなる。
もはやブックマークとしての機能を果たしていない気がするけれど、2〜3日の間自分がくり返しそれを見て咀嚼して飲み込んだり飲み込めなかったりして、記憶やこころに残ればそれでいいと思っている。
Twitter(X)にブックマーク機能があってよかった。
どうかこれからも、ブックマーク欄は自分以外には見えない見られない場所であってほしい。
1月4日(木)
この日から仕事だった。
私の持ち場は1人体制だけれど、仕事柄ほぼ常に子どもたちの元気な声が聞こえてくるのでにぎやか。
人の往来こそあれど、他のスタッフと話す機会もあまりない。
話したとしても身の上話はほぼしないので、誰がどこ出身かなどもほとんど知らない。
でも、もしかしたら、旅行や帰省先で被災して出勤できないもしくは連絡すらとれないスタッフもいるかもしれないとは考えていた。
出勤してみると、みんないつも通りだった。
笑顔であいさつを交わした。私も笑顔だった。
震災の話は、私が知る限り誰もしていなかった。でも、みんな関心がないわけではないことくらい理解している。
普段から、何かあってもなくても自分含めて多くの人がそれを表には出さず、笑顔で自分のすべきことをして生活が成り立っているのだとあらためて思う。
何もしない・言わないのは関心がないわけではないよね。
でも、人はエスパーじゃないから、言わなきゃ見えなきゃ分からないことの方が多いから、誤解やすれ違いも起きてしまうよね。
なにもできないことにやきもきするけれど、今わたしにできるのは特に何もしないこと。
諸々はその道のプロに託して、もしものときの身の回りの備えをしながら、あとはいつも通り過ごすこと。そしてただ祈ること。
1月5日(金)
唐突にたまごボーロとアーモンドクッキーを作りたくなって作った。
あと、お正月が明けて値下げされていたごまめで田作りも。娘がもりもり食べた。
1月6日
大阪で雪あそびができるなんて。
子どもたちは念願の夢が叶って本当にうれしそうで。
途中、雨がぱらぱらと降ってきて雪が溶けちゃうんじゃないかと心配したけれど大丈夫だった。
↑これ、ショッピングモールの外にある広場なんです。
雪は他県(おそらく秋田県)から運んできたもので、かまくらはその日の朝にその場で作ったとのこと。
なまはげの練り歩きと、太鼓演奏もあった。
買い物もした。
私はこれ。
福良雀(ふくらすずめ)のガチャポン。
ふっくらかわいい。開運雀ちゃんが出た。
「厄をついばむ」お守り。
たくさんの子どもの笑顔があった。
豊かな時間が流れていた。そんな光景を見ながらも、被災地のことが度々頭によぎった。
帰りの電車でふと上を見ると、北陸新幹線(金沢〜敦賀駅間開業)の吊り広告が目に留まった。
近くにいたご夫婦らしき人も広告を見て何か話していた。多くの人が、自分の日々を生きながらも被災地に思いを馳せているのだと感じる。
1月2日、JR西日本の特急サンダーバード95・97号が臨時で金沢へ向かったという情報を見たのを思い出す。
金沢発着のサンダーバード号としては最後の大仕事らしく、今回のために大急ぎで復旧して金沢へ走ったと知って胸が熱くなった。
1月7日
父の誕生日。
LINEでおめでとうのメッセージを送った。
大阪で家庭を持ってからは、いろいろあって父とは長らく連絡をとっていなかったのだけれど、去年の春に弟づてに連絡先を聞いてやりとりするようになった。と言っても今回で二度目だけれど。
昨日の雪あそびの写真を送って、短いやりとりをした。次はいつだろう。
スーパーでいちごが398円だった。
今年はいちごが高いなと思っていたから、この時期にこのお値段はうれしい。ありがたい。
明日の、お義母さんの誕生日ケーキに使おうと思う。
明日で子どもたちの冬休みが終わってしまう。
宿題は終わりそうにない(特に息子)
娘は朝起きられるかな。やっぱり行き渋るかな。
宿題の他にも、防災の話(防災かばんの中身を一緒に見て、これはこういう理由で入れていてこういうふうに使って…… みたいな話)とかもしたいな。
JALの航空機事故の件で学んだことも、もしものときの気持ちの備えになるような話もしておきたい。
子どもたちに話したいことは、まだたくさんある。
あなたたちが大きくなるまでに、どれだけ伝えられるだろう。持たせてあげられるだろう。形のあるものもないものも。
相変わらず、被災地の情報などをしずかに追い続けている。できることが少ないなら、せめて知りたい。
諸々はすでにたくさんの人が言葉にしているから、私が何か言う必要はないように感じる。
本当は声を上げなきゃと思うこともたくさんあるけれど。静かにしていたい・気配を消してひっそりしていたいときも同じくらいある。
今はただ、自分が受け止めて、自分が分かっていればそれでいい…… かな。
家族、特に子どもたちには共有しておきたいけれど。そのためにも、まずは私が受け止める。
来週、大阪で開催される予定の催し。
『旨し、美し。金沢・加賀・能登展』
震災等の影響で一部出店・出品が中止となる場合もあるけれど、催し自体は予定通り開催されるよう
(売り上げの一部は石川県に寄付もされる)
私も行きたい。
日々の報道に胸がつぶれそうになる。
雪も降って、積もっているらしい。
今日も、明日も、その先も、無事を祈りながら、思いを馳せながら、たくさんの有益な情報を吸収しては備えながら、できることをしながら、私は私の日々を生きていくしかない。
今もまだ救助を待っている人たちが、家族や大切な人との再会を信じている人たちが、寒さや痛みや空腹を耐えている人たちが、そんな人たちのために現地で活動をつづけている人たちが、どうかどうか助かりますように。
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