『受験英語は定義破綻してるらしいよ』台本
衝撃的な動画を見たので是非紹介したい。タイトルは『英語教育最大の問題点;【教科書の文法が間違っていること】をなぜ誰も指摘しないの?』
内容は、「日本の英語教育最大の問題点」と題して、日本の英語教育における文法の定義づけの多くは破綻していると指摘するもの。
※筆者はこの動画の内容に特に賛同するものではない。
動画投稿者の紹介
投稿しているのは『英文法の大掃除』チャンネル。
出演しているのはさとし氏。
https://x.com/C9Wt7?t=YYukE4zLqWma_C-sa3upVw&s=09
丁寧な編集と、落ち着いた雰囲気の動画作り、そして何より、よく通る明瞭な声が魅力で、コメント欄では「イケボ」と評判。
YouTubeのコミュニティ投稿によると、今年1月になってXアカウントを作成したばかりのため、Xのフォロワー数はまだそれ程多くはないが、YouTubeの登録者は1,700人。英語系YouTuberをしていた方のようだ。過去にも「何故日本人は英語が話せないのか」「英文法不要論」等といったことをテーマに動画投稿している。英語指導歴や英語の実力については詳細不明だが、チャンネル概要欄によると
本業はTOEIC講師で、Xでは無料英語学習相談を請け負っているとのこと。
Noteもやっているとのこと。
動画本編
動画本編『英語教育最大の問題点;【教科書の文法が間違っていること】をなぜ誰も指摘しないの?』に話を戻す。
動画投稿者さとし氏によると、教科書や市販の教材、ひいては日本の英語教育のあり方が全般的に「読むことに特化し過ぎていて話すことに繋がらない」「会話で役に立たない」「定義が破綻している」等、あげだすとキリがないくらいに問題点があるということだ。動画は全体で18分ほどで、スクリプトを文字に起こすと8,000字ほど。特定の文法事項について解説することが趣旨ではない(実際には解説しているが)動画にしては大容量な動画だ。
文法の定義破綻1 疑問文の作り方
ここからは動画内の発言を、筆者の見解と共に紹介する。
この課題に答えてみると回答は
Are you a student?
Who are you?
になるだろう。そしてさとし氏は、この中"Who are you?"という回答と、先に示した疑問文を作る時の「be動詞の疑問文は be動詞を前に出すことで作る」というルールを比較して、以下のように論じる。
これはつまり、既存の教材の疑問文を作る時の定義「be動詞を前に出す」は誤りで、「主語とbe動詞を入れ替える」が正しいということだ。
さとし氏のこの解説「主語とbe動詞を入れ替える」は正しいと思う。正しいのだが、凄まじく論の運び方に違和感がある。さとし氏の示す「既存の教材での疑問文を作り方の解説全般が「be動詞を前に出す」というだけの説明しか無い」という前提自体は果たして正しいのだろうか。
試しに筆者の持つ教材を適当に開いてみたが、
Forestでは「be動詞を含む場合は(1)のように〈be動詞+主語〉という語順にする」
自由自在では「This is〜.のThis(主語)とis(動詞)を入れ替える」と説明している。
ableでは「be-動詞を主語の直前に出して, 〈Be-動詞+動詞+主語+…?〉で疑問文を作る」と説明している。
Vision Questでは、「be動詞を文頭に出し, 〈be動詞+主語…?〉の語順になる」としているが、Yes/No疑問文の場合と限定して説明し、その直後に疑問詞つき疑問文を紹介しており、読者の混乱を防いでいる。
引用した4冊は国定教科書ではないが、間違いなくさとし氏の言う「英語関係の書籍」と呼ばれるもので、さとし氏と同様に「主語とbe動詞を入れ替える」旨は書かれている。
勿論さとし氏の言う通り、単に「be動詞を前に出す」とだけ解説する教材も存在するのかもしれないが、それでもその教材ごとの文脈で「be動詞を前に出す」における「前」とは具体的に何なのか読み取れることが殆どだろう。これだけを以て「定義が破綻している」と言えるのかは甚だ疑問だ。
また、実際の教育現場では、教科書以外にも教員による解説も加わるため、学生がこのことで勘違いを起こす可能性はより一層低いように思う。
文法の定義破綻2 文型の理解
さとし氏の指摘には、その前提となる認識に明確な誤りが見られる。さとし氏は「すべての英文はこの5つの文型いずれかに分類することができます」と述べているが、そんな事はない。いずれの文型にも分類しがたい英文は存在する。分類しがたい英文の最たる例に、存在を表すthere構文がある。there構文は【there+be動詞(又はbe動詞に類する動詞)+主語+場所等を表す副詞句』で構成される英文だが、5文型のいずれにも当てはめがたい。存在を表しているという点で第1文型に分類する向きもあるが、いずれにも属さないとする向きも強い。
この他にも【so+形容詞+be動詞+主語 ((that) SV…)】等のような倒置等もあり、5文型に当てはめがたい英文はいくらでもあると言える。従って、5文型はあくまで目安としての側面が強く、さとし氏が指摘する程絶対視されているものではない。筆者も学校教育でそう習ったと記憶している。
続けて、文型について引用する。
これを筆者なりに要約すると、5文型の考え方は、受動的にただ用意された英文を読む上では有効だが、5文型の「分類」という特性上、英会話に役立たせる事が難しい。しかしこの5文型の本質を「分類する」のではなく「選択肢と認識する」ことで文を組み立てることができるということだろうか。
あくまで個人的印象だが、5文型を分類の為に使うか、選択肢として使用するのか、いずれにしても英文のインプット/アウトプットに際して5文型を参照しているという点で、どちらもやっていることに違いは無いように感じる。そもそも5文型の考え方は、あらゆる英文を分類できるものですらないので、読みにおいても発話においても「選択肢」に変わりないと思うのだが……。
仮にさとし氏の理論に則って、学校で習う5文型を「英文を分類するためだけに特化した手法」と理解するにしても、英会話では、話すことだけでなく「聞くこと」も重要だ。インプットという点で、リーディングだけでなくリスニングでも5文型での訳読法は有効な筈だが、特にそのことには言及していない。「実際の英会話の際に英文を分類したい等と思う変態はいない」等と話しているが、それは5文型での訳読が、会話と同等の処理速度でできているから意識できないだけの可能性が高い。従って、さとし氏の「(5文型は)読みに特化するあまり会話で全く実用性がない」という理論は、厳密には事実とは言えない。
コメント返し
疑問文や文型の件に限らず、ツッコミ所は他にもあるが、続いて気になったコメント欄についても見ていく。
これに対してさとし氏が返信している。
確かにこの視聴者の「同情する」「貴方の発音もできてない」といったコメントから挑発的なものを感じるのは仕方がないと思う。しかしこの発言からは、YouTubeチャネル運営者の言動として決して良い印象は受けない。この動画に限らず、投稿者の視聴者へのコメント返しには、かなり感情的になっている所が見える。「この手のコメントって返信すると削除して逃げる率高いのがな、、、」等と思っているのなら無視すべきだろう。顔と声を出して活動している以上、言動には細心の注意を払い、仮に挑発的なコメントをされても、暫く時間をおいて冷静に対処するか、返信はせずグッドボタンだけを押す等した方が波風が立たないだろう。勿論きちんと反論をして波風を立てることで有益な議論ができる場合もあるが、少なくとも喧嘩腰でまともな議論ができるとは思えない。
特に破綻していない定義を誤って理解して紹介し「定義破綻している」「教科書の文法が間違っていることをなぜ誰も指摘しないの?」等と、教育関係者に対して挑発的な動画作りをしてしまっているという自覚は持つべきだろう。せめて「定義破綻」の例として、もう少し分かりやすく破綻しているものを紹介すべきだろう。
総評
本動画では、学校英語や英語教材における定義の問題点を指摘し、文型に至ってはどのような考え方をすればよいのか模索し、一定の回答を出している点が素晴らしいと感じた。
本動画に限らず、投稿者のさとし氏のXでの発言全般から察せられることだが、恐らくさとし氏の英文法、学校英語に対する解像度は決して高くないと言える。「すべての英文はこの5つの文型いずれかに分類することができます」との発言は最たる例で、寧ろその情報ソースを探す方が難しく、動画の説得力を弱める原因となっている。
無論さとし氏に過去に英語を指導した教員が、皆一様に英語指導能力や理解に乏しかった可能性は否定できないため、さとし氏が学校英語や受験英語を酷評するのを一概に否定することはできない。しかし仮にそうであったとしても、それは個人的な経験であって、その経験だけを根拠に「日本の英語教育最大の問題点は教科書等に載っている文法の定義が間違っているということ」と語っても、動画内で「教科書等に載っている文法の定義が間違っている」証拠を何一つ出せていないため、何を言っているのかよく分からない。さとし氏は動画冒頭で「(この動画は)それなりに難しい上級者向けの内容かと思います」と発言しているが、英語の上級者である人ほど、この動画の内容に疑問を持つ人は多いと思う。
勿論筆者は受験英語における文法解説が完璧だとは思っていないし、時には柔軟な理解が必要なこともある。言語学習には文法訳読法以外のアプローチも認められて然るべきだ。が、単純に文法への理解が浅く、独自の学習方法の方が優れていると喧伝するためだけに文法を無闇に軽視する風潮も事実としてある。せめて文法を敢えて否定するのなら、文法全般について熟知した上で、優劣をつけることなく行うべきだろう。