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妊娠高血圧症疑いで管理入院し、予定日超過の為誘発分娩を3日間続けるも産まれず、誘発4日目に常位胎盤早期剥離で緊急帝王切開した妊婦の出産レポート

このどえらい長いタイトルが全てなのだが、元々通常分娩予定だったところから二転三転、なんとも盛り沢山なお産となったので、詳細を記録しておこうと思う。

あくまで私の場合はこうだったというレポートです。十人の妊婦がいれば十通りのお産があります。もしこれを読んでくださる方の中に妊婦さんがいたなら、不安ごとは必ずお医者様に相談してくださいね。素人判断ダメ絶対。


妊娠高血圧症疑いで管理入院に

6月16日(水) 39週3日

予定日前最後の妊婦健診で、血圧が130を超えた。妊娠前はおおよそ100/60くらいだった私の血圧は、妊娠してから120/70くらいを平均で叩き出すようになっていたが、ついに大台に乗ってしまった。いやまさか、とたっぷり深呼吸して計り直し、プリントされた結果を見る。「131/70」諦めて結果に名前を書き提出する。

「明日から管理入院して、週明けから計画分娩にしましょう」

本来自宅で経過観察でも良い程度ではあるらしいが、もう予定日間近であることや、ここからさらに血圧が上がると危険であることから、管理入院することが決まった。
担当医から入院を告げられた時、真っ先に思ったことが「医療保険入ってて良かった〜!」だったので現金な女だと思う。いつ何が起こるかわからない世の中、健康なうちに入っておこうね。

いわゆる臨月と呼ばれる妊娠10ヶ月目、その中でも妊娠37〜41週でのお産を正期産と言う。39週3日目の今日は、まさにいつ産まれてもおかしくない・問題のない期間の最中であった。おしるし(お産が近づくと起こる(こともある)出血)もあったし、お腹も張りやすくなった。前駆陣痛(陣痛の前触れ的なもの)も多少感じるし、計画分娩とならずともそろそろ自然と産気付いてくれるのではないか、となかば楽観的な気持ちで入院の準備を進める。昨日、夫の為に大量のカレーを仕込んだ私、グッジョブ。


6月17日(木) 39週4日目

夫に車を出してもらい、午後イチで入院。コロナの影響もあり、一度入院すれば退院まで家族には会えず、もちろん出産の立ち合いもできない。管理入院と出産に対しては冷静でいられたが、単純に夫と離れることが寂しくて号泣する。たっぷり車のティッシュを消費し、泣きながら夫と握手をして、車を離れる。次会う時は無事に三人家族になっていますように。

管理入院中は、定期的なバイタルチェックとNST(ノンストレステスト、モニターを付けて胎児の心拍とお腹の張りをグラフ化する検査)がある以外は基本的にやることがない。安静にして血圧の上昇がないようにとは言われたが特に行動制限もなく、個室(リスクが高いとしてMFICU(母体・胎児集中治療室)に入院となった)でのんびり過ごすだけ。食事は減塩食だが3時のおやつは有り。本でも持参すれば良かったかと思ったが、結局だらだら寝たりYouTubeを見るなどして過ごす。


6月20日(日) 40週0日目

ついに出産予定日を迎える。入院4日目、出産の予兆は全くと言っていいほどなかった。入院前は張りやすかったお腹も全く張らなくなり、もはや外に出てくる気がないのでは?とお腹に問いかけるだけの毎日。血圧も入院前の健診以来130を超えることはなく、健康的な減塩食のおかげか臨月に入り激増した体重だけが1.5kg減った。

初産は予定日を超過することが多いと言われているが、それでもだんだん焦りが出てくる。だって、この日を10ヶ月待ち望んできたんだから。この日付を頼りに生きてきたんだから。
こんなメンタルで「今日が予定日だね✨」なんて連絡が来ようものなら携帯を叩き割ってしまう…と思っていたが、幸い家族も友人もそっとしておいてくれた。本当にありがたかった。妊婦のメンタルはかなり脆いので、本人から連絡があるまではみんなそっとしておくが吉だよ。よろしくね。


誘発分娩スタート

6月21日(月) 40週1日目

ついに誘発分娩の為陣痛室へ移動する。誘発分娩では、子宮口を開かせる為にバルーンのような器具を子宮腔内に挿入したり、陣痛を促進させる点滴を投与したりする。ここからは完全に未知の世界。当たり前に怖い。いくら前知識を付けたって、お産には個人差があり自分のお産がどうなるかは予測ができない。一体私はどうなってしまうんだろう。本当に鼻からスイカを出すのか?とりあえず土曜日を最後にうんこ出てないから赤ちゃんよりうんこ先に出ちゃいそうだな…とこちらもこちらで心配になる。

陣痛室でNSTのモニターを付ける。これまでのものとは違い、本体を取り外して肩にかければトイレなどに行くこともできる。できるが見た目が完全にオッケーバブリーなのである。ウケる。

諸々の準備を済ませ、午前11時に処置開始。現時点で子宮口の開きは3cm程度。ここにバルーンを挿れてさらに拡げていく。これが馬鹿痛い。挿れる時点で馬鹿痛い。呼吸を止めないことだけを目標に今日を迎えたけど、もう心が折れそうになる。ひたすら4つ数えて吸い、8つ数えて吐く。痛い上に中々バルーンが入らない。機械を使ったり体勢を変えたりして3回目でやっと挿入完了。このバルーンが自然に抜けると子宮口5cm大とのこと(なお、赤ちゃんが出てこれる全開値が約10cm)。朝からどっと疲れてしまった。

一時間ほど安静にしていると、だんだん波のある痛みがやってくる。始まりは重い生理痛に近いと聞いていたが、最初からフルスロットル腰痛。腰いっっっっっっってえな!?と思いながら一生懸命冷静に呼吸を続ける。
ちなみにずっと付けっぱなしのNSTでお腹の張り具合を数値化したものを確認できるのだが、この時の張りは70程度(99でカンスト)。まだ上があるのか…と思いつつまだ冷静に深呼吸すれば逃がせる痛みなので、夕方まで陣痛間隔を測りながら耐える。しばらく6分間隔の痛みが続く。

16時になり、バルーンが抜けていなかったので抜いてもらう。子宮口は5cm大。この産院では夜間の分娩誘発ができない為、今日の処置は終了。このまま自然に陣痛が続けばお産になるし、遠のけばまた明日という具合。初日でそのまま陣痛が付くことはあまりないようで、遠のいたならそれはそれでしっかり寝て体力温存しようねと。
バルーンを抜くと痛みがかなり和らぐ。しばらく6分間隔の張りは続いたが、軽い腰痛のみが残る。まったり休む私とは裏腹にお腹の赤ちゃんはなぜか大興奮。頻脈の為モニターを中々外せない。その後夕飯を食べたら治ったんだけど何お腹空いてたの?


6月22日(火) 40週2日目

しっかり陣痛が遠のく。午前9時処置開始。
今日ももう一度バルーンを挿れるという。昨日の処置がトラウマで既に半泣きだったが、いくらか子宮口が下り柔らかくなっていたおかげか一発で挿入成功。ただし痛いもんは痛い。

バルーンの圧迫で昨日の痛みが徐々に戻ってくる。おかえり、今日も頼むぞ。一時間ほど安静にした後、陣痛促進剤の投与を開始。30分毎に10mlずつ増やしていく。すると痛みの間隔がどんどん狭まり強くなる。お昼頃には3分間隔まで縮まった。90秒痛い、90秒休む、90秒痛い…繰り返す。 冷静に4吸って8吐く、4吸って8吐く…数回繰り返してやり過ごす。お腹の張りの数値がついに99でカンストする。吸って吐く。吸って吐く。
3分1セットの繰り返しではあるけど、時間は驚くほどに早く過ぎて行く。助産師さんに褒められながら、腰を押してもらいながら、あっという間にタイムリミットの16時を迎えた。内診をするとバルーンは抜けていた(「バルーンが抜けた感じがしたら教えてください」と言われていたが、さっぱりわからなかった)。子宮口も6cm大まで広がり、先生にも良い調子だと言われる。「これがお昼だったら破膜させてすぐだった」「夜中に陣痛来るかもね」まだ産んですらいないけれど達成感があった。明日には会えるかもと、助産師さんと喜ぶ。このままお産が進むことを祈り、処置終了。なおこの日も赤ちゃんは大興奮で頻脈となり、モニターを付けたまま夕食を食べ、食べ終わる頃にはしっかり落ち着いていた。


6月23日(水) 40週3日目

しっかり陣痛が遠のく。夜中に波に乗ることはなかったが、睡眠はしっかり取れた。いつでも来いという気持ちで朝を迎える。昨日と同じ助産師さんが担当についてくれてとても心強い。絶対この人がいるうち(日勤の時間帯)に産む…と誓う。
午前9時処置開始。昨日6cm大まで拡がった子宮口は若干縮んでいたようで、すぐ抜けるかもしれないけど、と3度目の正直でバルーンを挿入。ちなみに誘発初日の先生で「初日しんどかったもんねwww」と言われる。素直に「しんどかったです!!!」と答える。一発で挿入成功、ありがとうございます…。

バルーンを挿れると痛みが戻ってくる。今日こそは、という気持ちで呼吸を続ける。吸って吐く。吸って吐く。結局土曜日からうんこ出てないな、このまま分娩台上がったら間違いなくうんこが先に産まれるな、などと考える余裕は昼前には消えた。励まされながら一生懸命呼吸を続ける。早く会いたい。もう出てきていいんだよ、と呼吸を続ける。

しかし、思いは虚しくタイムリミットを迎えた。16時になってもバルーンは抜けず、子宮口は5cm大から拡がらなかった。回診に来た担当医(複数の先生が交代で回診に当たるので、誘発が始まってから担当医と会うのは初めてだった)に「明日頑張ってもらいます」と言われた時、私の心はぽきりと折れてしまった。担当医が去った途端涙が止まらなくなり、子どもみたいに嗚咽を上げて泣いた。今日会えないの?今日までこんなに頑張ったのに、明日もさらに頑張らなきゃいけないの?それをそんなに軽く言うの?一体いつまで続くの?夫も立ち会えず、4床ある陣痛室で私以外の人たちはみんな先に出産して、比べるものじゃないってわかっているけれど、ひどく惨めで悲しい気持ちだった。

今思い返してもこのタイミングで担当医(必要最低限のことしか言わない・笑わない)が回診に来たのは本当に間が悪いし、他の先生方(明るく患者に寄り添う物言いをする)だったら気持ちを保てたかもしれないなと思う。とはいえ患者の安全確保と医療行為が仕事なのだから、それ以上は高望みかなと思いつつ、割と今でも担当医許さねえぞと荒んだ心持ちである。同時に、ずっと寄り添って励まし慰めてくれた助産師さん方には感謝してもしきれない。おかげで翌日までにはなんとか気持ちを立て直すことができた。陣痛室にひとりきりになれたので、夜は夫と電話した。やっぱり泣けたけど、この苦しみが一生続くわけではないから、あと数日なら頑張ろうと思えた。

ちなみにこの夜なぜか先に出産した同室ママが赤ちゃんと共に陣痛室に戻ってきて、2時間ほど誘発3日目も産まれなかった絶望妊婦と出産ほやほや母子が同室になるという地獄を見たんだけど、私が助産師さんに内診してもらってる時の会話を聞いてか「頑張ってください」とカーテン越しに声をかけてくれて、優しい世界にまた泣きそうになった。地獄とか思ってごめん…。びっくりして「うわあーーーありがとうございますおめでとうございます😭😭😭」ってキモオタ特有の早口出ちゃったけど…。


緊急帝王切開

6月24日(木) 40週4日目

夜中にお腹が痛くて何度か目が覚めたけど、おそらく陣痛ではなくうんこ。夜勤の助産師さんに「分娩の時は誰でも絶対出る」と言われたので開き直ってうんこも一緒に産み落とそうと決意する。なんと3日連続で同じ助産師さんが日中の担当に。本当に心強い。食欲はあまりない。だが気持ちはなんとか保てている。大丈夫、いつか終わるし必ずお腹の子には会える。今頑張らずしていつ頑張るのだ。

午前9時処置開始。子宮口のサイズは昨日と変わらずだが、今日はバルーンなしで促進剤のみ。バルーンがないだけで気持ちが少し軽い。
促進剤の投与開始。この時点でお腹の張りの割に腰と尻が痛い。うんこのせいかなと本気で思う。だって便秘5日目だし…。

30分ほどですでに寝ていられないくらいの痛みになる。昨日までの進み方の比じゃない、でも間隔が掴めない。3分間隔を切っていてもおかしくないような痛み方なのに、痛みが抜けない。体に力が入って、昨日まであんなに上手にできていた呼吸ができない。
あまりにも私が痛がるので、助産師さん3人がかりでお腹を触診する。昨日まで陣痛中一切声を上げなかったのに、あまりの痛さに「痛い!」と叫び続ける。陣痛室に他の妊婦がいなくてよかった。こんなんトラウマになるわ。
呼吸が浅く喉が張り付いて吐きそうになる。めちゃくちゃ冷静に「お茶ください」と言う。お茶を飲む。痛いと叫ぶ。助産師さんが先生を呼ぶ。
仰向けにされ内診。同時に赤ちゃんの心拍を測るためのモニターをずれないように押し付けられるが、その位置がピンポイントで痛くて叫ぶ。喉が張り付く。やはり冷静に「お茶ください」と言う。急に脚の震えが止まらなくなり、歯もガチガチ鳴り出す。酸素マスクを付けられる。眼鏡と不織布マスクと酸素マスクで耳が渋滞しているせいで、酸素マスクがすぐ外れる。叫びながら冷静に直す。記憶が確かならこれも冷静に「眼鏡外した方がいいですか」って聞いていた。痛いか冷静かどっちかにせい。

やがてたくさんのスタッフが陣痛室にやってきて、一気に慌ただしくなる。私はストレッチャーに乗せられ、帝王切開になるのだとわかった。しかも全身麻酔らしい。なんでもいい早く終わってほしい。痛みでわけがわからなくなりながら泣く。手術室に入り麻酔医の先生が耳元でしっかり挨拶してくれる(この先生がイケメンであることが後に発覚するが、もちろんこの時には顔を見る余裕などない)。痛い!の合間にしっかり「よろしくお願いします」と挨拶を返す。この後先生に「深呼吸して!赤ちゃんに酸素送って!」と5回くらい言われ、うるせえできるもんならとっくにやってるわ!!!!!!!と心の中で思っているうちに意識を失う。

10時46分、手術開始から6分で娘は誕生した。


術後

目が覚めると全てが終わっていた。どれくらい時間が経ったかはわからないが、私はまたストレッチャーで手術室の外へ移動していた。助産師さんが帝王切開で無事娘が誕生したこと、そして産まれた時の様子を教えてくれた。ちゃんと出てきてすぐにゃー!と泣いて、すぐ眠たくなってそのままおしっこをして、え?お尻冷たい!とでも言うように再びにゃー!と泣いたと。最初からかわいいかよ。
そんな話を聞いていると夫がやってきた。コロナの影響で立ち合い・面会は禁止されているが、帝王切開の場合は手術の説明がある為病棟に入ることが許される。もっとも夫を待つ間もなく手術は決行されたのだが(病院からの電話を受けて急いで出てきてくれたが、おそらく家を出る頃には産まれていた。夫は急ぐ代償に髭剃りを失敗して顎に絆創膏を貼って病院へ向かったらしい。愛おしい)。
夫が労いの言葉をかけてくれる。夫は泣かない人だ。5年一緒にいるけど、今まで一度も泣いているところを見たことがない。一瞬だけ夫の涙を期待したけど、ここで泣かれようものなら私の情緒も爆発するので、これくらいが丁度いいなと笑う。夫よおめでとう。ようやっと私たちの娘が産まれてきてくれたよ。

落ち着いた頃に医師から緊急帝王切開に至った原因や手術の内容について説明を受けた。常位胎盤早期剥離だった。本来赤ちゃんが産まれてきた後に剥がれ出てくるはずの胎盤が先に剥がれてしまう病気で、これにより赤ちゃんへ酸素や栄養の供給ができなくなってしまうと言う。妊娠中検索魔だった私は、これがとにかく一刻を争う深刻な病気であり、強い痛みやお腹の張りを伴うことを知っていた。やはりか、と思うと同時に、心底入院中で良かったと安堵した。在宅時や外出中になっていたら母子どちらか、もしくは両方が助からなかったかもしれない。
また、帝王切開の副産物として、子宮内膜症が発覚した。私は学生の頃から生理が重く、一時期はピルを服用して凌いでいたのだが、どこの婦人科にかかっても異常は見つからなかった。どうやら通常は見えない位置に癒着があったらしく、やっとひどい生理痛の原因がわかり安心した。こちらについても産後生理が再開してから治療をしたいと思う。

娘は先天性の心疾患があり、これを書いている産後10日目の今も入院中だ。手術を控えている為、まだ退院の目処は立たない。でも命を脅かすような状況ではなく、しっかりミルクを飲みしっかり寝ているようなので、安心して病院に全てを任せている。面会は週に3回まで、一足先に退院した私は夫と交代で搾乳を届ける日々を送っている。


さいごに

人生何が起こるかわからない、そう強く思った。そして妊娠・出産が奇跡であるとも。
娘を授かるまでのこと、妊娠中のこと、そして出産のこと、全て忘れたくないけれど、人間だから忘れていくのだろう。それでもこの奇跡を少しでも残しておきたくて、こうして文章に起こしている。娘を授かるまでのこともいつかまとめたいと思いながら、時間が経ってしまったな。記録だけは付けていたので、記憶が薄れないうちに書いておきたいところである。

娘はこれからどんな人生を送るのだろう。早くそばで見守りたい。ひとつだけ娘との関わり方で決めていることがあって、それは「娘の人生は娘のものだと忘れない」ことだ。私と娘、夫と娘、家族としてそれぞれの人生に深く関わり合うことになるけれど、あくまでそれぞれの人生であることを絶対に忘れないでいようと心に決めている。当たり前のことだけど、娘は私じゃないのだ。絶対に「私」を押し付けないこと。そして絶対に私は私の人生を諦めないこと。不器用なりに、共存していきたい。そう強く思っている。

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