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産後1ヶ月の覚書

産後1週間の入院生活を終え、迎えに来てくれた夫の車へ乗り込む。そこに娘はいない。依然NICUで治療を続けている為だ。

娘は先天性の心疾患を患っている。医療の知識に乏しいので詳しい言及は避けるが、心臓に穴が空いており、その穴が原因で血液の流れに不具合が生じて呼吸が苦しくなってしまうという。これは妊娠中に発覚したことで(私の内臓の中にいる娘の内臓のことが外からわかるなんて、現代医学はすごいなと思う)、生後3ヶ月ほどたった頃に手術が必要になるかもしれないと言われていた。

生後まもない時点での娘の容体は、決して最悪ではなかった。むしろ調子が良くて、私と一緒に退院できそうだと主治医は言っていた。しかし、じわりじわりと呼吸の苦しさが増していき、予定よりも早い段階で手術が必要だと判断された。あっけなく入院は延長となり、通い妻よろしくNICUへ通う日々は、生後3週間の頃まで続いた。

産後1ヶ月の体というものは、妊娠前の状態とは程遠い。帝王切開の傷をはじめ体のあらゆるところが痛み、背筋を伸ばして歩くことができない。胎盤が剥がれ落ちた後の子宮もすぐには戻らず、1ヶ月くらいは出血が続く。吸わせることのできないおっぱいがガチガチに張るので、24時間3時間おきに搾乳する必要がある。寝不足な上ホルモンバランスが崩れ、なんでもないのに涙が出る。娘のいない、夫とふたりきりの我が家に戻ってきたけれど、私が私でないような、母という生き物になってしまったのだと思った。もう以前の私には戻れないとも思った。

生後25日、娘は手術の為大学病院へ転院することなった。NICUのコットからおそるおそる抱っこ紐に迎え入れ、主治医と連れ立って迎えの救急車に乗り込む。ねえ、はじめての外だよ。太陽が眩しいよ。娘はじりじりと灼ける空気も、普段と違う抱っこ紐の質感も気にならないのか、すやすやと眠っている。鈍感なくらいが良い、頭を撫でる。

転院先は小児科病棟なので、私も連れ添って入院することとなった。初めての育児が、自宅でも実家でもない、勝手の知らない病院でスタートする。私は何より私自身のことが心配だった。娘を差し置いて何を、と言われるかもしれないが、娘のケアは病院スタッフがしてくれるから心配はいらない。だって小児科だから。だが付き添いの新米母を誰がケアする?私自身しかいない。メンタル弱者で無駄に気を遣いがちで人目を気にする神経質な私が、大学病院の大部屋で初めての育児をする?大丈夫?心死なない?(死にませんでした)(病院のスタッフさん達は母のケアもしっかりしてくれました、ありがとうございます)

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「娘と同じくらい自分を大事にすること」
「その為に使えるものはなんでも使うこと」
「娘をコントロールしようとしないこと」

これが育児における私の信条だ。娘を生かす為に、とにかく自分を潰さないこと。そして娘もひとりの人間であり、他人は自分の思い通りには動かないと心得ること。この信条が根底にあるおかげで、私はドライとも言えるくらい冷静に、そして穏やかに育児のスタートダッシュを切ることができた。これはある意味で27年間築き上げた自己防衛スキルの集大成かもしれない。自分を守る為に大事なことは、自分と他人との境界線を認識することなんだろう。

時代が移り変わっても依然「母親は苦労すべき」「苦労こそが愛情」という風潮は消えない。私はそんな愛情を盾にした根性論が大嫌いであると同時に、その根性論を無意識のうちに自身に翳してしまう可能性を案じていた。実際に、ふとした瞬間に「楽をしてはいけないのではないか」と心をざわつかせることがある。

こうした根性論の怖いところは「苦労を最適解とする」思想が生まれる危険性だと思う。母親は苦労してなんぼ、愛情があれば頑張れる…子供は親の苦労や愛情を測る機械ではないんだけどな。育児に限った話ではないが「苦労は買ってでもしろ」と言うのはなんなのだろう。経験があるに越したことはないけれど、避けれる苦労は避けたくない?

私は娘がギャンギャン泣いた時、すぐにおしゃぶりを与えて寝かせている。それが娘にとって、現時点では一番落ち着くやり方だからだ。娘を泣かせ続けることは得策ではない。泣き続けることは体力を使い、ただでさえ苦しい呼吸がさらに浅く早くなり危険な為だ。愛情たっぷりに一生懸命抱っこし続けても、娘は泣き止まない。それはただの自己満足でしかない。

直母も早い段階で辞めて、ミルクか搾乳を哺乳瓶で与えている。娘の体力では直母で必要量を飲み切ることができないからだ。色々なやり方を試したが、哺乳瓶で与えるのが一番飲みが良かった。さらに最終的にはミルク一本にする為に搾乳の頻度を減らしている。これは私自身の負担を減らす為だ。おっぱいが出続ける限り、私はまとめて眠ることができない。ミルク一本であれば、夫と授乳の負担を分け合うことができる。睡眠時間を確保できれば、起きている間しっかりと娘に向き合える。

できるだけ育児の負担を減らそうとしている私は愛情不足だろうか?根性論で盲目になってしまうのが一番怖い。だからただ真っ直ぐに、娘にとっての最適を探している。それが愛情だと思う。

夫にも同じように自分の時間を大切にしてほしいし、家族3人でうまくバランスを取っていけたらと強く思う。

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ここまでが、娘が術後ICUに入っている間に書いたもの。今現在娘は退院し、新たな生活が我が家で始まっている。

手術は無事に終わったが、胸を開いて初めて分かったこともあり、根治は先送りとなった。それでも娘の体は少し生きやすくなったようで、どんどんミルクを飲み(術後から完全にミルク育児に移行した)、どんどん体重が増え、どんどん世界を知っていっているようだった。

母という生き物になりもう戻れないと先に書いたが、母乳を止めた途端に以前の自分がひょっこりと顔を出してきたものだから、つくづく人間とは一種の動物でありホルモンに踊らされているのだなと思った。変わったのではなくアップデートが入ったような、母の私はかつての私自身とうまくやっているようだ。安心した。私は私を捨てたくなかったから。
家での生活もてんやわんやしてしまうかと思ったが、娘はとにかく手のかからない赤ん坊で、なんだか上手いことやれている。掃除も洗濯もできるし、ご飯も食べれる。だらだらとする時間は減ってしまったけれど(まだ1日のリズムが安定しないので、隙間時間にやれることはやらないと回らない)。夫が在宅勤務なことも大きい。いくら手のかからない子どもといえど、家に娘と二人きりではいつか参ってしまうだろう。息抜きにリビングに来てくれることが私の息抜きにもなっている。

「娘をコントロールしようとしないこと」は思っていたより難しい。寝かしつけひとつを取っても娘の為にしているのか、それとも私の為なのか、わからなくなってしまう。とはいえ私が潰れても仕方がないので、私が眠るために娘を寝かしつけることは見逃している。私自身も未完成な人間なのだ。ひとりの人間と母親が生まれてもうすぐ2ヶ月、トライアンドエラーを繰り返してともに成長していこうね。

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