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生い立ちとわたし。

2月になりました、こんにちは。

初noteは思ってる以上にたくさんの方に拡散していただき、あたたかい世界が広がっているなと感じました。
皆様、本当にありがとうございます。


本日は、生い立ちを交えながら郡 菜々佳ってこんな人だよ〜っていうただの自己満足な自己紹介をしていきたいと思います。

私は、3人兄弟の末っ子として誕生しました。

運動神経の良い兄2人には何をするにも置いていかれてばかり。でも、遊んでもらいたくていつも背中を追いかけてました。

左から、次男(2つ上)、長男(6つ上)、私
現在プロバレーボール選手の兄は、次男。
長男、次男、母、私🚴‍♀️


小さい頃から外で遊ぶ習慣があったからなのか、身体を動かすことが大好きでした。その一方で、家の中ではお絵描きをしたり、リカちゃん人形で遊んだり、1人で遊ぶことも大好きでした。

兄たちは漫画が好きで、家の中にはONE PIECEやナルト等、人生において大切な価値観を教えてくれるような漫画が沢山ありました。それなのに、私が最初に選んで読んだ漫画は浦安鉄筋家族でした。

なんで?笑

千葉県浦安市を舞台とした完全なるギャグ漫画


ONE PIECEは大きくなってから読みましたが、こういう漫画こそ小さい頃から読んでおくべきだと思いました。あと最近兄のnoteを読んで知ったのですが、兄はナルトに人生を学んだって言うんですよ。知らんかった。というか当時は知ろうともしてなかった。とにかく私が幼少期に選んだ漫画は間違い過ぎているということだけは分かります。面白くて1人でケラケラ笑ってたけど、オススメはしません。


習いごと。

3歳から10歳(小4)の7年間は水泳、
8歳(小2)〜12歳(小6)の5年間は柔道を習わせてもらいました。

水泳の写真なかったからこれで。父と私。


母の学生時代は泳げなかったらしく、体育の授業で嫌な思いをした経験から、私にはそういう思いをしてほしくないという理由で、水泳を習い始めました。

通っていたスイミングスクールの一番上の階級に合格し、スイミングスクール内では速い選手の分類になりました。
本格的に大会に出場するコースに行くかどうかという分岐点で、

母の一言「もう泳げるようになったし、肩幅すごなってきたで」

私の水泳生活は、あっさり終了しました。
水泳選手になりたいというモチベーションはなかったし、人並み以上に泳げて、水泳の授業はいつも楽しみだった。高い月謝払って通わせてくれてありがとう!って最高に感謝してます☺︎

それなのに大学の授業で泳いだ時は、そこまで速くはなく、7年間の頑張りは何処へ…と、心の中で泣きました。母よごめん。

大学のスポーツ学部にくるような人たちはレベルが高い。凄いぞ。


そして柔道は、知人の紹介でやってみるか〜くらいの気持ちで、大阪拘置所の中にあるクラブチームで習い始めました。

プライバシー保護のため、変な加工で恐れ入ります。


口下手で、基本的に大人の人たちには笑うことしか出来なかったはずなのに、熱心に指導してくれて、たくさん可愛がってもらった記憶が強く残っています。ありがとうございます(T_T)

強い選手にはなれなかったけれど、柔道のおかげで、礼儀作法や自分の身を守る力が身に付きました。
小さな小石で転ぶような少女が、自転車や一輪車、原付で転んだ時も、受け身を取れるお陰で、頭を打ったことは一度もありません。柔道をやっていなかったら今頃私の命は無かったと言っても過言ではない。

中1の4月頃は柔道にも顔を出していたけど、陸上競技部に入ったタイミングで辞める選択をしました。


陸上競技との出会い。

さーーてついに、陸上競技に出会うことになります。長文になってきたのでこの続きは次のnoteで書くことにします。

長々と話してしまったけど自分の中で要約すると、私の幼少期は大人しそうに見えて活発でどんくさかった。多分、今もそんな所です。汗
成長段階で考え方は変わるけど、性格の本質はそのままな気がするんですよね。皆様はどうでしょうか。

少しでも興味を持っていただいて、ありがとうございました。

ななを。

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