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人生設計のモヤモヤ

「女性は結婚、出産あるから人生設計したほうがいい。」

「仕事をする上で人生の目標があるといい。そうすれば○○の実現のために仕事しようとなり、もっと頑張れるから。」

最近、友達やOB訪問で言われたこと。


長期的な目標なあ...

考えるけどさっぱり。ざっくらばんに30歳くらいで結婚したいなぁなんて思うけど。

計画した人生レールに乗って生きる人生はつまらない、とどこかで思っている。だからこんなに人生設計しようとしても全然やる気が起きない。

いまやインターネットでいろいろな情報が飛び交い、会おうと思えばすぐに誰かと出会える世の中だから、特に。きっと星の数だけ選択肢があって、それを日々私たちは選んでいる。人生何が起きるかは誰にもわからない。


そういえば、学問についても同じことを言われた。なんで学んでいるのか、それを明確にしろと。一度も考えたことなかった。今期の大学の授業はもう単純に自分の「すき」で選んだ。

宗教学を学んでいるが、一体それが将来何の役に立つかはわからなくってモヤモヤしている。単純に、宗教って私には知らない世界で、でも宗教をもとにたくさんの歴史が作られて今の世界があるってことが不思議で面白いんだもん。楽しいって理由じゃダメなんですかね。

無理にこの学びをなにか目標とするものと結びつけるとしたら、これからいろいろな訪日客やいろいろな宗教バックグラウンドを持つ人とかかわるときに常識というか前提として役に立つことかな。

でも、この学問を学んでいるのは何よりも好きという気持ちがあるから。そんなもん。


なんとなくすき、という気持ちを大事にしたい。

この先ずっと生きていくとしたら、これ以外にももっとすきって思えることがいっぱいできていくだろう。

その時々ですきなことは違うし、その優先度も違う。すきを集めていけば、このために人生賭けてみたいと思うようなことも出てくるかもしれない。

そんな期待があるから10年以上も先のことなんてわからないし決めたくない。

まずは「できること」をやる。そうやっていけば、その先に「やりたいこと」が見えてくる。やりたいことを一つに絞る必要はない。

ってどこかの本に書いてあった。

謙虚でものすごく共感できて私の背中を押してくれた言葉だ。


人生設計している人はすごい。なにか夢がある人って本当にかっこいいし素敵だし、それに向かって努力している人なんてのには応援したくなる。

どうしてもかなわない夢ってのは少なからずあると思う。人生そう甘くない。でもその夢は自分を大きく成長させるし自分の中でずっと生き続ける。と、私の親友を見てて思った。

ちょっとだけやってみたいこととか憧れることっていうのはいっぱいあるけど、何十年後のことなんて私には大きすぎていっぱいいっぱいになってしまう。だからこそ、何かに向かって努力しているのはすごく羨ましい。

何かに向かって努力するのってとても楽しいことなのだ。大学受験期を思い出した。周りの人も同じ一つの目標に向かっていた。受かるためにどうしたらいいんだろう、と日々考えたし情報集めもした。サボって塾行ったり高校の最寄りのカフェで勉強したり、午前2時くらいまでジョナサンで友達とだべったり勉強したり。自分のやっていることは正しいと謎に確信していた。なんやかんやあの時間は本当に楽しかった。あれだけまっすぐ何かに向かって努力することってまたどっかであるのかしら、人生の中で。

ま、そんな焦らずにちょっとだけやってみたいことを紙に書いてみることから始めよう。長い人生だもん







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