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悪いのは一体、誰なのだろう

先日、すごくすごく退屈な映画を観ていたときのことです。すごくすごく退屈な作品でしたが、本筋とは全く関係のない場面で気になることがありました。

こんなシーンです。


主人公は暴力的で粗野なヒーロー。人間ではなく冥界の出身で、超人的な力を持っています。公的にとある組織に匿われているのですが、その組織を目の敵にし、解体を望む権力者もいます。

ある日、ヒーローのミスで危機的状況に陥ります。ここぞとばかりに、権力者はヒーローを挑発し、罵倒します。思わず腕を振り上げて家具を破壊する主人公。もちろん権力者に身体的な危害を加えた訳ではないのですが、暴力で脅すような行為は非人道的です。ほら見ろ、やっぱりコイツは危険だ!組織は解体だ!と権力者は騒ぎます。主人公の同僚たちも、アイツまた暴走してるよ、と冷たい視線。孤立する主人公。

と、こんなふうな、ヒーローものエンタメ映画には必ずあるようなお決まりのワンシーンでした。

その後、もちろんヒーローは面目躍如。権力者の危機をヒーローが救って2人は仲良しに。組織も解体されず、めでたしめでたし。というこれまた良くある展開だったのはさておき、件のワンシーンで気になったのです。

果たして悪いのは、すぐに暴力に訴えてしまう主人公なのか、それとも主人公が暴力的になるまで囃し立て罵倒し、不快な言葉を投げつける権力者なのでしょうか?

というのも、こういう場面は実生活の中でも頻繁に目にする状況だと思ったのです。現実世界では、不快な言葉で相手を追い詰めるようなタイプの罪は見逃されがちです。そして、そんな状況を止めるでもなく冷たい目で見る大衆や、加勢して追い詰める大衆の罪はもっと見逃されます。
犯罪とまでは行かなくとも、こども同士の喧嘩だったり、職場での人間関係での揉め事などでもよくある構造だと思います。


暴力に限らず、盗みだったり詐欺だったり、犯罪はもちろん悪いことです。悪くして悪いことをやる人はたくさんいると思います。

でも中には、"それ以外に方法がないくらいまでに追い込まれてしまった"人もいるのではないかと気になります。追い込まれるのはいつだって弱い立場にある人間で、追い込むのは社会的に力のある人間だったり、自分は無垢だと疑わないその他大勢の無名の大衆なのではないかと思うのです。


やったことは注目されるけれど、どうしてそうなってしまったのかとか、その状況を生み出した環境やシステムの構造にはなかなか目が行きませんし、その環境をつくり出した人は裁かれません。そしてみんな自分だけは無実だと思って生きています。無実だと思っている大衆が安全な立場から囃し立て、さらに誰かを追い込んでいるように感じることがあります。


B級映画を観てこんなことを考えていたのは、ちょうど入管法の改正についてのニュースを読んでいたからです。

入管法の改正にあたって、改正内容に反対するひとも多かったのですが、それ以上に外国人を敵視する声も大きく響いていて、驚きました。


移民や難民を受け入れたら日本は奪取される!
日本の素晴らしいシステムを利用してやろうと貧しい外国人が日本にこぞってやってきて乗っ取られる!
みたいな意見を、誰が書いているのかは知りませんが、たくさん目にしました。


こういう意見を読むと、

世界の貧しい人たちを利用し、奪取しているのは日本にいるわたしたちの方ではないのか?

という可能性を吟味することはないのだろうか、と疑問に感じます。

日本の制度を利用して儲けてやろう!という人もいるかも知れません。
でも同じだけ、わたしたちの方も、貧しい国を利用して儲けてやろう!としているのではないでしょうか。

たとえば驚くほど安い値段の服を買うとき、百均で買い物をするとき、誰がどんな環境でつくっているものをわたしたちは手にしているのでしょう。公正な環境でつくられても果たして同じ価格で手に入れることができるのでしょうか。

そういうことを言うと、すかさず

日本のわたしたちだって貧しくて、ほかに選択肢がないからしょうがないんだ。
それにわたしたちが買わなければ貧しい外国の労働者たちから、さらに仕事を奪うことになっちゃうんだよ。

と言う人がいます。そんな返答を耳にする度、心に冷たい風が吹いていきます。
自分は貧しくてほかに選択肢がないのなら、自分以外の貧しい人にも選択肢がないと想像できないのか。わたしたちが安いという理由だけで安いものを購入し続けることは、貧しい労働者を貧しいままにする仕組みに加担していることにならないか。

悪いのは一体、誰なのでしょう?
わたしは誰かを追い詰め奪取する構造を加速させる無名の大衆になっていないでしょうか?

冒頭の映画のワンシーンが甦ります。
暴力に訴えたヒーローをここぞとばかりに揶揄する権力者に、冷たい視線で追従するその他大勢にはなりたくありません。何かが起きたとき、どうしてそうなったのか、一度立ち止まって見えていない部分へと目を凝らす想像力を持ちたいです。

いますぐシステムを変えることはできないかも知れません。どうやって世の中をよくできるのかもわかりません。それでも振り返って考えてみることには意味があってほしいです。


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