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人の性癖でごはんを食べ続けてきた新宿アラフォー女の不倫考

わたしのところには道ならぬ恋の相談がよく持ちかけられる。

こういう人の嗅覚というのはまこと鋭いもので、わたしを相談相手として選ぶのは実に正しい。順風満帆な安定街道を早々にドロップアウトし、新宿のすみっこでうごうごと日々を送ってきたのだから、大抵のことは想定範囲で、許容範囲。相手が人間なだけ話が早い。
無機物でも聞く分には大丈夫だけど。

婚外恋愛は人の営みとして否定しがたく、それを踏まえた上でどう社会生活と折り合いをつけていくのかという点に重きを置いている。

一見不倫推進派のようだが、これは恋愛を楽しむという類のものではない。一人の人間が担う役割には往々にして限界があるので、諦めて人の性(さが)と向き合おうではないか、そういう前向きな提言だ。

そう思うきっかけになったのは、わたしの一風変わった生業のせいである。

わたしは女装撮影を生業にして10年以上になる。スタジオを訪れるほとんどのお客様はパートナーに女装趣味を秘密にしている。背徳的で密やかな願望をそっと新宿で開花させ、ほんの1~2時間の撮影ののち、日常へしずしずと戻っていくのを見送ってきた。

女装行為は、本人の隠された女性性を愛でるという側面はあるものの、パートナーからしてみれば自分以外の女に現を抜かすという意味で、広義の浮気である。

パートナーの前で理想の夫であろうと努力し続けている男性が、妻に自分の女装姿など見せられるはずがない。一番親しい人とはなんでも分かち合いたい、隠し事などしたくない。その気持ちは痛いほどわかるけれども、近ければ近いほど難しいと感じている。

夫と妻。
男と女。
父と母。

共有してきた時間や、担う役割が多いほど、家庭という共同体の維持と安定運営が優先される。女装へのパートナーの理解が得られなかった場合、それらを根底から脅かしかねない。大切な生活があればこそ、好きな人だからこそ、分かち合えないものがある。

そのため、こうやってわたしのところに千何百人かの人たちがやってきた。
言ってみれば、人の性癖でごはんを食べさせてもらっているようなものだ。

みんな、一番大切な人に見せられない自分の姿をそっと新宿の片隅に置いていく。
好きな人に自分の好きなことを認めてほしい、そんな気持ちを押し殺して、一生懸命にバランスをとっているのだ。社会生活と、自分の本心との間で。

同じことも、不倫に言えるのではないかと考えている。

結婚生活において他の異性と性愛関係に陥ってはならないという前提条件は、家庭を運営するための契約だとわたしは捉えている。翻せば、家庭の安定運営ができていて、当事者たちが合意しているのであれば、婚外恋愛について自分の倫理観に照らして謗ることはできない。もちろん民法では責められるのだろうが。

わたしのその感覚は寛容というよりも、むしろ諦めに近い。
どんなに近しい間柄であっても、相手ではどうしても埋められないものが時としてある。
それを外に求めるのは致し方ない。

もちろん、お互いの相性がすこぶるよく全く問題ない夫婦もいるだろう。
ただ、それは離婚率に論拠を求めるまでもなく、稀有な例外だ。

家庭、親、恋人、趣味。

そのすべてにおいて、一人の人間が最上のパートナーを務めるのは難しい。
時間とともに役回りは変化し、求められる質も、量も変わっていくというのに、全てを抱えて生きるには、それらはあまりにも重すぎる。

何がなんでも夫婦関係を維持していくのだという強靭な覚悟なしには到底成り立たない。
自分のこだわり、価値観など、様々なものを犠牲にしていくのだろう。その過程で本当に大切なものを取り落とさないようにするためには、何を持ち、何を置いていくのか、常に選び取らなければならない。

選択には常に責任が付きまとうもので。
道ならぬ恋の責任を取った友人たちが頭に浮かぶ。

負債を負った人、仕事を失った人、家庭を追われた人、子供と別れざるを得なかった人、などなど。後悔に苛まれる人が多い一方で、晴れやかな気持ちで恋を楽しんでいる人もいる。相手方配偶者への慰謝料を払い、一度は想い人を失い、結婚も諦め、それでもなお不倫の恋に生きている。愛は盲目というが、その人にとってその恋の価値を見極めているように思えるほどだ。

人間関係はプライベートの極み、当人たち同士が合意しているのであれば外野が正論を振りかざして口をはさむ余地などない。愛人も隠し子も変態プレイも、関係者で合意の上で楽しんで、迷惑をかけたなら責任を粛々と取ればいい。覚悟を決めて好きにやるしかないのだ。

それだけに、自分にとっての正解を選び取るのは難しい。

本心は常識や倫理より深い階層にあるものだから、はて自分は何が大切な人間なのかと自分自身と対話を重ねなければ、正しいけどほんとうは自分がそんなに欲しくない、そんな薄い意識の上澄みだけが手元に残ることになりかねない。



と、そんなことを考えながら寝落ちして目を覚ましたら、目の前に飼い猫の尻があった。
もっふりとした毛玉に鼻を押し付けて、思った。

この子にはわたししかいないのだ。

生活のほぼ全てをわたしに委ね、揺るぎない愛情を注いでくれている。
それをどうして裏切ることができようか。

ああ、やっぱり、浮気は滅しなければなるまい。

少なくとも猫において、わたしには君たち二匹だけである。

本日のBGM
シンガーソングライター弁護士藤元達弥さん「不倫の相場」
知人からの不倫相談のとき、ここで得た知識が役に立ちました。
もちろん、弁護士に相談するように伝えましたよ!


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