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雑記:高評価な店、だけど究極にしょんぼりした理由3つ

これは愚痴だ。紛れもなく、愚痴だ。ただのミスマッチの結果であり、特定の誰かを攻撃する意図はないことを予め言開かせていただく。

私はいわゆる食いしん坊の一人として、友人と誘い合わせながら様々な飲食店へ足を運び舌鼓を打つのを趣味としている。高級レストラン、大衆店、予約困難店、地方の鮨屋などその幅は広く、豊かな食体験を楽しんでいる。

の、だが。

先日訪れた店は、率直に言って残念だった。
友人のお勧めで訪れた店がどうしても合わなくて、言いようのない違和感がどこから来るのか考え続け、自分にフィードバックできないかもがいていた。何が自らにそう感じさせたのかを思索するうちに、以下の3点に思い至った。

1.視点の硬直化
2.お得の押し売り
3.何のためのサービス?

これらの要素は飲食店以外にも置き換えられる反省点なので、反面教師としてここに記しておく。

1.視点の硬直化

店主1名に対し、カウンター席10席。これがその店のすべてだった。

入った瞬間に、この店はやばいな、と思った。隅には乱雑にモノが積まれていた。経験上、その場所にある必然性がないモノが多くなると、掃除が雑になる。カウンターに恐る恐る触れるとじっとりとべたついていて、水を含ませた布巾で撫でただけ、という印象を受けた。

自席目の前のカウンターの上では、黒い小さな機械が白くチリを積もらせ、排気口にみっちりホコリを詰まらせていた。その排気口の横に、得意げな店主が次々に料理を置いていくのである。

私はにわかに悲しみを覚えた。恐らく、店主はカウンターの中からしか店を見ていない。椅子に座ってみて、客の目線で店を見渡すことを忘れてしまったのだろう。年配の方がやっている赤ちょうちんならそれも愛嬌だけれども…

教訓1. サービスを提供する人は、受け手側の視点で見直してみようね

2.お得の押し売り

店主のこだわりは強い。良い食材を仕入れ、それらを惜しげもなく振舞う。自慢の食材たちであるから、供する際にはプレゼンを行う。食材が登場するたびに全員に傾聴するように促し、聞き逃した客に対してフォローはしないと明言している。プレゼンは食材の仕入れ先や適切な食べ方の他、仕入れ値も披露される。「これは〇〇円もする物で、普通この値段じゃ出せませんよ」と。

そのプレゼンを受けて、客としては「なるほどそんなにいいものを頂いているのね、高級品をこんなにお得にいただけてこの店はコスパがいいなあ」と有難がって食べるのがお作法とみられる…が、率直に、品が無いなあ、とがっかりしてしまう。

食材の良さというのは、店が「これは仕入れ値がいくら」と逐一言わないと伝わらないものだろうか。
食べた客が「同じ価格帯の店ではこんなものは食べられなかった、この店はすごいな」と感じたら、それでいいのではないか。
客の経験値により、それに気づくのが供された瞬間か、頬張った時か、それとも先々別の店に足を運んだ時なのかは分かれるけれども。

さらっとすごいものを出してひけらかさず、気づいた客が「これを当たり前のように使うなんて」と感じた方が最高にカッコいいと思ってしまうので、店主が訊かれていないお金の話を自らして、目の前で客にリアクションを取らせるのは、自分のやり方が正しいと悦に入りたいのかしらん、と訝ってしまう。

高いものを頂いている、という意識で心して食べてほしいのか、高い食材を惜しげもなく使う自分を認めてほしいのか、いい食材を仕入れるルートがあることを伝えたいのか、どんな気持ちでプレゼンをしていたのか答え合わせはできないけれど、そもそも話の筋がよろしくなかったように思う。

教訓2.美学の深浅はもれなく言葉に透けるよ

3.何のためのサービス?

個人経営の飲食店は何のためにあるのか。

食を追求する。利益を上げる。自分に合ったペースで仕事をする。顧客に喜びを与える。理想の自分になる。顕在意識、無意識、数えきれないほどの要素が絡み合い、日々の絶え間ない長時間労働のモチベーションとなっている。

店主と客の関係は、基本サービスが飲食であるから、食を供する人とそれを堪能する人が基本形で、そこから派生していく。

今回の店は、ちょっとそこが変わっていた。

この店の店主は、自分が話す時間に他の人が話すのも、自分が推奨するやり方以外で食べることも好まず、時には不機嫌にすらなる。美味しく食べてもらうことに絶対の自信があるからなのか、と思ったが、どうもそうではない。

大いに私の主観が入っているので非常に穿った見方だが、結論はこれだ。

店は店主にとっての舞台、客はその舞台装置。

ほぼ、これに集約できると思う。
恐ろしいことに、客は観客ですらない。舞台装置である。店は店主が考えた最強の男料理を披露する場であって、客はそれを称賛を以って享受する役目。この店は、店主の「こんなに凄いものを惜しげもなく出す俺」の一人舞台なのだ。

店主はそのための高コスパ設定に努力は惜しまない。高級な食材を仕入れ、酒を飲み放題にする。そのおかげで、面白い食体験はできる。

何が問題なのかと言えば、店主がおそらく現状の「一人舞台」の本質に気づいていないため、客商売の基本をいつか踏み外す危険があることだ。その兆候は清潔とは言えない店内に表れている。しかし、それはそれで客足が途絶えることがないとは思う。美味しいものをお得に仲間と楽しめれば、乱雑な店内でちょっと面倒な店主でも構わないよ、という客と持ちつ持たれつで続いていくことだろう。

でもいつか、売上を良くしようと思った時、適切な対処を取れない可能性が非常に高い。コンサルが入ったところで、お客のために、とか、質を上げて、とか、店主の奥にある本質的な承認欲求から的外れなことをして足掻くことになる未来しか見えない。

教訓3.本質的な欲求に気づかないと改善のための軌道修正もできない


最後に。

ここまで辛辣に書いてしまったが、私がこだわりが強い店を殊更受付けないわけではない。
仲間たちと足しげく通うレストランの中には、客が食べ方を守らないのはおろか、進行が思い通りでないと怒鳴りちらしだすシェフがいる。それでも食べに行くのは、抜群に美味しいだけでなく、美味しく食べてほしいという気持ちが迸っているのを感じるからだ。
30席近くある店をシェフとその奥様の2人だけで回し続けているが、いつも整理整頓された清潔な店で、仕事への心構えがうかがえる。

それと今回の店を比べるのはいささか乱暴だとは思いつつ、どうしても、自分を店主の俺様劇場のダシにされたのが悔しくて、ついついこんな長文を綴ってしまった。

食いしん坊の恨み、ここに極まれり。

追記:どこの店か知りたい人はこちら。本文では自分の意見ばかりになっていますが、好みが別れるのは面白い店の証左でもあるので、興味をひかれたらぜひ足を運んでみてほしいです。

https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13168864/dtlrvwlst/

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