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おじいちゃんの夢は孫娘との振袖女装 一世一代の家族写真

「あの、女装スタジオってここですか」

新宿で女装写真スタジオを営む私のスマホには、所在なさげな声での問合せ電話がよくかかってくる。
その日の電話がいつもと違ったのは、声の主が女性であったことだ。

「うちの父がわたしの娘と成人式の写真を振袖で撮りたいと言ってまして」

同時に、それは聞いたことがない撮影内容であった。

東北在住のマキコと名乗る女性の話を整理すると、こうだった。

マキコの父はブッキ~ナという名前の女装愛好家である。
マキコには三人の娘がいる。
マキコ、マキコの両親、マキコの娘の親子三代で東京に遊びに行く予定がある。
長女のハルカがその年めでたく成人となるにあたって、式の前撮りを振袖で行いたい。
そしてブッキ~ナも一緒に振袖で写りたい。

なるほど。
わかるが、さっぱりわからない。

いや、さすがに10年も新宿で女装撮影稼業をしていると、友人同士やカップル、夫婦での撮影は珍しくない。けれども親子三代で上京してきて、新成人の記念写真に祖父が孫娘と一緒に振袖で撮影するとは、私にも初めての案件だ。

そもそも祖父世代にとって、女装は著しくタブーなもので、大都市圏以外での偏見は相当なものだったはずだ。それを家族を巻き込んで記念写真を撮ろうというのだから、この一家、まったくただものではない。

いざ撮影の打合せに臨んでみると、期待を裏切らない、実に豊かな個性が寄り集まった家族であった。

ブッキ~ナはがっちりとした骨格で上背があり、長い白髪と穏やかな笑顔が印象的な老紳士だった。
稀有な美的センスを持ち、自身の写真をペイントソフトを活用して油絵風に加工したり、他の素材と合成した画像をブログで公開していた。自宅の和室での自撮りにバストやOLの制服を描き加たり、時には旭日旗モチーフのハチマキを付けさせたものもあった。エロティックながらも風刺の効いた、なんとも味わいぶかい作品群。そのどこまでも広がる想像力の豊かさには舌を巻いた。

孫娘のハルカはその時19歳だったと思うが、それよりもずっと大人びていた。余計なことは言わないが、意見を求められた場面ではしっかりとした言葉で話す。私が心配していた、ハレの撮影で祖父の女装に付き合うということについては特に問題ない様子で、実にさらっとしていて拍子抜けしたほどだ。

ブッキ~ナの妻、つまりハルカの祖母は始終笑みを絶やさない人だった。そこには単にしとやかなものではなく、底抜けの包容力を感じさせる朗らかさがあった。

撮影はブッキ~ナ、ハルカ、ブッキ~ナの妻の3人で行うことになり、コーディネート役を担当することになったマキコは、両親に負けずオープンマインドで、自営業をやっているということもあり段取りをスムーズに組んでくれた。

ポートレート撮影は人との出会いが全てといっても過言ではないと思っているが、その妙味を詰め込んだ人たちだった。

思えば、私が女装撮影事業を始めたときは、女装は変態趣味であるという偏見が根強かった。
もちろんけしてそんなことはない、人は性別年齢性的志向関係なく、好きな服を着ることができる(人に迷惑をかけない限りは)。
ジェンダーフリーやダイバーシティが声高に叫ばれるようになった今では当たり前のことだが、10数年前はそうではなかった。だからこそ「女装はけして後ろめたいものではないから、自由に好きな服を着ていいんだよ」と後押しするために、私は女装する人を撮り続けてきていたのだ。

そうしてようやく、自分の理想とするかたちを体現している人たちに、ようやく会えた。
形はあくまで成人式の家族写真ではあるが、私にとっては信念の集大成となる、大きな意味合いを持つものになった。

2019年の梅の花がほころぶ頃、晴天に恵まれた日に撮影は行われた。

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スタジオの中でかっちりとポーズをつけた後は、新宿の街を散歩しながらの撮影

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モデル3人の他、カメラマン、アシスタント、ヘアメイク、マネージャー役マキコの大所帯だ。
神社でお見合い写真みたい!とはやし立て、手をつないでジャンプして、たくさん笑い合って、おしゃべりして、自由と愛情が空から降り注いでくるような昼下がりだった。

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撮影は大成功だった。

あと2人の孫娘の成人写真もこんな風に撮ろう。
それまで死ねないな、そう言ってブッキ~ナは笑っていた。

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「先生に撮影してもらった写真を数枚、棺に入れる予定です。ありがとうございました」

2020年の節分前、ふぉん、と間の抜けた着信音とともにブッキ~ナの他界が知らされた。

多発性肝臓がんで余命いくばくもない状態だったのだ。

ブッキ~ナが入院した時、マキコが病状を知らせてくれていたので覚悟はできていた。

お見舞いに行きたいと申し出たが、弱っている状態を見せたくないとのことだった。私がブッキ~ナに会ったのは、撮影の日が最後になる。私の記憶には元気な彼の笑顔だけが残っているので、会わないでくれてよかったのだろう。

彼の他界から半年経ち、彼のウェブサイトのログは消えてしまった。
もう一つ残してあったブログ(http://josouonnakane.blog.fc2.com/)は、病床で描いた水彩画を最後に、時を止めたままだ。

ところで、ブッキ~ナはマキコがわたしに病状を知らせてくれていたのを知らないが、ブッキ~ナもマキコに内緒にしていたことがある。

彼は私に1枚のSDカードを送ってくれていた。

紙片にはこう書いてあった。「ブッキ~ナ♡ブログのネタ」

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死後数ヶ月した頃、気持ちを落ち着かせてデータを読み込んでみると、そこにはブログにアップする予定だったのであろう様々な画像が詰まっていた。

自撮りをペイントした画像、イラスト、動物…
それはまさしく、めくるめくブッキ~ナワールド。

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そして、
新宿で撮影していた日、
ブッキ~ナが撮った家族の横顔。

最期の時を感じながら切り取ったであろう一枚一枚の画像から、彼が言葉にできなかった家族への想いがうかがえた。

最後に、この撮影に携わった3人の言葉を紹介していく。

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マキコ(ブッキ~ナの娘、ハルカの母)

女装とは、小さい頃の<おままごと>ではないかと思います。

自分の性別さえも良くわかってない時期に、パパは女でママは男で妹は男で隣のお姉さんは男で…とか。たんにやりたい役をやった<おままごと>なんですよね。

大人になると それが出来なくなるんですよね。
男は男らしく 女は女らしくって。

女装は大人のおままごとなんじゃないかと思ってます。
人生一度なんですから、着たい服着てやりたい役所を演じるのも、また楽しいのでは?と思います。

ハルカ(ブッキ~ナの孫)

女装とは… 普通な事だとか変わっていることだとか考えたことはありません。
小さい頃から家の中でペディキュアをしている祖父を見ても何も思いませんでした。
良くも悪くも興味がなかったんだと思います。他人は他人なんです。
祖父が女装していても私はわたしに違いないんです。
だから迷惑かけなければ良いんじゃないでしょうか?

一つの趣味ですものね。

ブッキ~ナ

私の中では、女装と言う感覚は、割と希薄です。 憧れと言うか綺麗な世界がひろがっていたのです。 時には女って特別扱いされて得してるよなぁ~と言う僻みも有ったように思います。

女装って感覚じゃなく、勘違いされてもこの感じていた損得の感情が、こっちに向いた時、余計に、女装に関心が向いたような気がします。 実は、トラックドライバーをしていた時期が有り、 長距離などやっていると、頭髪が伸びていてもそのままだったりしていて、まあ… ポニーテールでしょうか… 持参したTシャツも底をつき、ピンクしか無くなりそれを着たんです。

その頃、女日照りのトラ運ちゃん稼業の方々… 親切にしてくれるでは有りませんか… 道を譲ってくれたり、手を振ってくれたり…心の中では、このスケベ野郎とか思いながら、ニッコリ笑って返すと、大喜び…

「女って得だよなぁ~」がこちらに向いた時、あれ?
複雑だったけれど、これも好いかもしれないって思っちゃったんですね。

それから、別の意味の女性研究が始まったのです。

結婚して子供も居ましたし、家族崩壊の危険性をはらんだ、難しい局面… 危ないよねぇ~
私は、長期浸透の方法を選びました。

元より親の転勤に振り回され、方向音痴の母親に付き合い、家事一般を手伝っていましたので、そんなに女性との隔たりを感じていませんでした。買い物に付き合って女性用にも、特別に抵抗は無かったような気がします。

転勤ってのが、公務員とは違い、ミシン屋の支店長… ミシン=女の世界… 女をより多く見たつもりでも、自分が女装って事と成ると勝手が違う。

都合のいい時だけ、女装ってのが始まったのです。でも、これが結構 難しい…
観察眼と柔軟性が要求される。下手すりゃ命の危険もある。…それでも止めない女装…
私自身が、女好きで、スケベなのが原因だと思うんですが…

答えは、謎です。

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折を見て、ブッキ~ナがブログに載せたかった画像も紹介していきたい。
私のどんな言葉よりも、それがきっと彼が望むことだと思うから。



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