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毒舌「すっぽん三太夫」シリーズ 「モノづくり大国 ニッポンの矜持って??」
安かろう悪かろう、なる言われ様がある。しかし昨今では、百円ショップでさえ、アイディアだけでなく耐久性や性能にも優れた製品が多く、生活用品のほとんどがそうした百円均一製品、いわゆる「ヒャッキン」で済んでしまうご時世だ。なかには太陽電池を仕込んだガーデンライトや各種電気製品さえあるから助かる。確かに、なかにはすぐに壊れてしまうものもあり、実際、耐久性には当たり外れもあるにはあるが、しかし、それもずいぶんと品質が向上している。しかも、買ってすぐに壊れた場合には、お店はすぐに交換に応じてくれるので、百円とはいえ、泣き寝入りの不安はまずない。その顧客対応精神と外国製のものが多いとはいえ、製品管理と品質改良・監視の姿勢があってこその、今に至る「ひゃっきん」成功の礎となったのであろう。
もう、安かろう悪かろう、などと言われる時代は終わったのだ。モノ作りのみならず、日本の商売はついにわずか製品百円のものさえ、完璧な管理を施すまでになったのだ。
さすがは「お客様は神様」と長らく言い続けてきた国である。
ところが先日、思わぬかたちで我が郷土愛を裏切られる形となった。
昨夏購入した流しそうめんの機械を取り出したときのことだ。これがまた凝っている一品であった。東京郊外にある東京サマーランドなる流れるプール遊園地をモデルにした、なかなか遊び心いっぱいなのだ。そうめんがウォータースライダーを模した受け皿をくるくると周りと、見ていて楽しいのだ。
昨年は、この最新モデルは発売されるや売り切れ続出となり、ありがちながらネット通販のアマゾンでは定価よりも1万円以上も高いプレミアがついて…それさえ飛ぶように売れて…ついにメーカーは第二次生産を決定して…と、季節商品ながら一部マニアの間では話題をさらう大ヒット商品となった。
常々、この手の生活〝非〟必需品へのアンテナだけは敏感なワタシは、だが売り切れ続出、入荷待ちの昨夏の大ブーム到来直前に、すでにこの一品を買い込んでいたのだ。
縁側で近所の子供たちを招いての「そうめんスライダー」は大盛況で、これはなかなかのアイディア商品だった、お値段は高めだったが、大人の世界では常々村八分なワタシに向けられた子供たちの無邪気な笑顔に、お値段以上の満足感を得て嬉しくなっていた。気分は、かつての紙芝居屋のオヤジさんのようなものだったのかもしれない。
それに味をしめて、自ら周囲に宣伝して昨夏、二度目の催行となった折、水中ポンプが動かない事態に見舞われた。
スライダーの上部に水をくみ上げなければ、むろん、そうめんは流れない。
おかしい?その日のために電池は馬力のあるエボルタの新品にまで取り換えていた。なぜ?
電気系統にもとより弱いアナログ人の弱点が露骨に出た。やむなくやかんに水を汲み、スライダー上部から無理やり流したが、やはり雰囲気が出なかった。
その時は固く心に誓ったものだった。これはすぐに修理に出さなければ…。やっと見つけた我が生きがいを、子供たちの笑顔を一心に浴びんがために、すぐに修理しなければ…。
と、それから一年―。結局、壊れた水中ポンプは忘れられたまま今夏を迎えたのだった。
一年遅れだから、きっともう保証期間は終わってしまっているだろう。でも、有償でも修理か、水中ポンプだけでも購入しようと決意してメーカーに電話した。
おそらく日本では知らぬ者などいないであろう超大手のおもちゃメーカーである。お客様センターに一本化された電話が、まるでどこかの携帯電話会社のように自動音声と用件ごとのプッシュダイヤルを繰り返すのに、不穏なものを感じ取りながらも、ようやくつながった。
電話の向こうの女性は感じよく、こう告げた。
「保証期間は半年なので、残念ながら保証は致しかねます」
「ええ、それは承知のうえです。ですので、修理をお願いしたいのですが」
「そちらの製品は修理も受け付けておりません」
「あの、部品などの保管は?まだ去年発売の製品ですが」
「そちらはすでに販売中止となっております」
「ええ、ですから部品だけでもありませんか。いかに製品サイクルが早いとはいえ、十年や二十年前のものではなく、去年のものですが…」
「そちらは今年はすでに新製品が出ておりますので」
今年は夜間にスライダーに照明が灯る仕掛けのものが新製品として発売されていた。
「ええ、だからこそ、部品はまだあるのではないでしょうか。私が求めているのは特殊な形状の部材ではなくて、水中ポンプそのものですよね。まだ類似製品を開発して販売しているということは水中ポンプそのものは、転用しうるとか、ないのでしょうか」
いよいよ、気の短いワタシの語尾は強さと粗さが紙一重となってくる。だが、オペレーターは〝売り〟の杓子定規を崩さない。
「申し訳ございません」
「謝罪を求めているのではない。転用できるのかできないのか、あるいは新製品を買えば、その水中ポンプを旧製品でも使用できるのか、それを確かめるのがお客様センターのあなたの仕事ではないのか」
活字にすればまだ穏やかに見えてしまうが、この段階ですでに今夏の酷暑をしのぐ沸点である。これがために、自分で自分に憤り、ワタシはだいたい、電話オペレーターに電話をかけるたび(大体数か月に一度)、折り畳み式のガラパゴス携帯を地面に叩きつけるか、ヒンジの部分から真っ二つに折ってしまう。
技術部門か開発部門に確認くらいしてくれるのが、お客様相談センターの最低限の役目ではないのか、との言葉に、ついに向こうは一端保留にし、音楽を流して待機に入った。そして…。
「申し訳ございません。さきほどのお応えがお客様相談センターとしての総意でございます」
殺人的な暑さで重い空気を、ワタシの大笑いが響いた。「総意?」よかった。怒りを笑いに変え、今回は携帯は無事だった。
「あなたね、修理もしない、部品もない、保証期間はわずか半年とね、それを総意だと大仰に掲げて見せるのならばね、ならば答えよ。おもちゃ屋の本義とは何かっ。末永く楽しんでもらえる製品を開発することが私ならばおもちゃ屋の、メーカーの本義ととらえるがいかにっ」
その後の杓子定規な対応は目に見えているはずなので、ここでは割愛したい。ちなみに、この製品は定価で1万7千円ほどである。実に高額ではないか。もちろん、修理に対応する体制を維持するためのコスト、部品を保管するコストと、すべては費用対効果に照らしてのメーカーの〝判断〟なのは承知のうえだ。だが、これからはよくよく注意しなければいけない。買う側も、である。代替品が常に安く手に入る現代にあっては、もはや修理や部品取替えなどという妄想を抱いてはいけないのだ。すべてはその場限りだからこそ、の消費社会なのだ。
だが一方で、およそ三十年前にすでに廃番になったジャグジーバスの機械を修理しようと日立の子会社に連絡したことがある。すでに子会社も統廃合が進んだが、顧客対応係は半日掛かりでエンジニアに確認し、さらに驚いたことに数十年前の製品の電子基板の設計図を掘り出してくれた。修理は無理だが、電気屋さんなどであれば図面をもとに修理ができるかもしれないから、という親切さである。さすが世界の日立、であるとワタシは嬉しくなった。これぞ、日本の技術力ではないか、と。日立はメールアドレスにすぐに図面をお送りしますと、スキャンした図面を添付ファイルで送ってくれた。この企業は信頼できる、と思えた瞬間だった。
一方、前出のおもちゃ屋もまた統廃合を繰り返したが、縁あって、かつてその創業者の晩年、創業者を知っていたことがある。その後、おもちゃメーカーにも訪れた合従連衡と規模の拡大という名のもとに統合した新会社となった。組織の統廃合のなかで企業文化や風土もまた淘汰されるのはやむを得ない。
だが、ちょっとした親切心は、マニュアル対応に大きく勝る信頼を生むはずだ。それがかつての日本のモノづくりであったはずなのだが…。
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