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君の名を呼ぶオリンピックと

1998年、長野冬季五輪のことはよく覚えている。日本中が盛り上がった。ネットがまだ普及してなかった時代、我々の情報ソースはテレビでしかなく、そのテレビから流れてくる情報は、参加者を讃えるものしかなかった。

2013年、「Tokyo」とテレビから聞こえた時、私は「もう少し先でもいいのではないか」と思った。東日本大震災から間もなく、オリンピックにかける資金があるならそっちに回したほうがいいのでは。そう思った。どうせやるなら、イスラム圏の平和を祈ってイスタンブールでやったほうが革新的なものになったのではないか。(今の情勢を見ていると無理な話ではあるのだが)まあ、今さらとやかく言っても後出しジャンケンの感は否めない。

開会式は選手入場だけ見た。様々な国の代表が思い思いの衣装を着て、入場してくる。それだけでも、込み上げてくるものはあった。

ゲーム音楽の是非はそれぞれ思うところがあるだろうが、日本のメディアに触れる機会のない国にはアニメソングだろうがJ-POPだろうが関係はないので、結局何をかけても良かったのではないかと個人的には思う。ただ、オタクの文化をいいように使われているという意見には、協調半分反感半分くらいといったところか。

去年の甲子園、そのほかの学生競技、三年生は全国大会へ挑むことすらできずに卒業した。オリンピックも四年に一度だ。すぐに歳をとって出られなくなる競技も山ほどある。プロじゃないのだからいいだろうと言えば、それは違うと思う。たしかに、コミケ等五輪によって追いやられたイベントもある。しかし、それらもまた、アマチュアによる腕の競い合いだ。

私自身、体育会系の人間には嫌な思い出しかない。しかし、だからといって「人種が違うから」と文化系の人間が揶揄すれば、それは自分達が受けてきたことへの復讐でしかない。それはナンセンスなことだと思う。

話が長くなった。今の政治やIOCの態度、マスコミの報道に文句がないと言えば嘘になる。復興五輪というのも欺瞞と感じる。しかし、アマチュアスポーツがテレビで話題になるのは今しかない。どうか、これ以上の失態を晒さないように、閉幕までやってほしい。

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