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音の樂しみ

小学校の何年生だったか。
和音を知った。ドミソ シレソ ドファラ 
(コードでは C、G、F。ルートCのメジャーコード。)
メロディラインの音が入っている和音が、それぞれの小節の和音になる、という。
小節、は五線譜の、縦線で区切られた区間。

低学年の時は音樂の授業も教室だったので、教壇には教卓も兼ねてオルガンが載っていた。休み時間には、ピアノを習っているとか、弾ける子が何人かいて、入れ替わり、あれこれ弾いている。右手でメロディを、左手で和音を合わせて上手に演奏していた。
これが自分もできるわけだ。これは面白い。

小学校の教科書に載っている唱歌は、ハ長調で作られた曲が多い。
ドレミファソラシドのみ、”♯”や”♭”もなく、ピアノで言えば、白い鍵盤だけで演奏できる。つまり西洋音楽を導入して作られた、近代の、比較的新しい曲。
全部できるじゃん。ピアノあるし。すっかり嬉しくなってしまう。うろ覚えのメロディを右手でたどり、左手で和音を添える。学校で先生が弾いた音と似たような響きがする。自分としては、満足、満足。

しかし音樂の教科書は薄い。曲数も少なく物足りなくなってしまった。

歌唱集なる本が、教科書と一緒に配布されていた。ポケットサイズ。学校で使った覚えがないんだけど。他の家族のものだったのかもしれない。
その小さな本には、教科書に載っていた曲もそれ以外のも知らない曲もたくさん。地方の民謡やフォークソング、洋楽もあったかな。知らない曲…楽譜あるじゃん、メロディのみだけど。これは出来るかも、と無謀な思い付き。

知らない曲。まず右手でメロディをたどる。四分音符、八分音符。付点四分音符、付点八分音符。三連符。スラー、タイ。新しい記号が出るたび、ひとつひとつ解読していく…んだけど気ィ短いのですぐ鍵盤たたく。響きが悪ければ、まぁ間違えているのでそれから考える。

およそのメロディをつかんだら、四拍子か三拍子、リズムを数えながら右手で音を鳴らしていく。メロディが立ち上がる。色があらわれる。最初の旋律の繰り返し、次の旋律の繰り返し。終焉に向かう音と重なる残響。うん、いいじゃん。完全に自己満足。

弾ける"ような"ところは走るし詰まれば止まり同じところの繰り返し。聞けたもんじゃなかったはず。よく周りから苦情がでなかったもんだ、寛大だねぇ。感謝。

右手が”らしく”なったところで左手。三つの和音を当てはめていく。しっくりくる音をさがす。ひととおり当てはめて、左手のみ鳴らしてみる。そうか、こういう音の背景か。と、ひとり合点。

さて。
右手の第一音と、左手の和音。同時に鳴るとメロディの色の周りに、和音の世界が広がる。頭の中ではこれから鳴る音がもう響いている。そして前の音の残響を残しながら次の音を鳴らし、さらに重なり次の音、の繰り返し。

自分の手のひらの中で音の世界が広がり、メロディの音が遊ぶ。音が重なり響くことで様々な世界が同時にそこにあるかのよう。その音の中に自分を浸していく。

小説や映像と、似ているようでなにか違う、制作発表同時進行の樂しみ。



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