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祈るということ

【これまでのあらすじ】
とある新興宗教を信仰する一家に生まれ「宗教二世」として育てられた私。
その世界では誰よりも恵まれた子供だったはずが、現実社会で信仰の矛盾と生きづらさに直面し抑うつ状態になり、仕事を失い、自己破産をしてしまう。
負け組人生ロードをまっしぐらに突き進んでいく。
やがて発達障害の診断を受け、宗教に対して無知であった自分の生き様を深く反省し、信仰や家族とも距離を置いて自分の生きる道を模索し、生活保護を受けながら再起を図ることに。
そんな中、首に正体不明のしこりが出来ていることに気づき病院へ。さらに検査する為に入院・手術をすることになるのである。

祈るってなんでしょうね。

来週から3、4日ほど入院することになった。
年明けから首まわりに何やらよくわからんしこりが出来てて、近所の耳鼻咽喉科に行ったら速攻で一番近い大学病院を紹介され、あれやらこれやら検査をしたものの、どうにもハッキリとした答えが出ないので、一度切って取り出してみる、てことになった、てのが事の成り行き。

そんなに大層な手術でもないし、順調に行けば週末には退院出来ると説明は受けたものの、全身麻酔とか手術とかおっかねぇなぁ、と友人限定でつぶやいたら、石切さんの御守りを送ってきてくれた。
ありがたや。

いずれ機会があったらお話するつもりだが、親兄弟が某新興宗教を熱心に信じてやってるので、子供の頃はこういう御守りの類はもらったら罰があたるぐらいに言われていた。
私自身はもうその信仰心はないものの、積極的に寺や神社にいくことはなかったので、ちょっと新鮮な気持ちである。
というか、やはりその友人の気持ちが何よりもありがたかった。

私たちが一般的によく目にする御守り袋の他に「御護符(なでまもり)」というのも一緒に添えられていた。
御供米を毎朝一粒ずついただいて、「石切大神ー」と唱えながら御守札を患部にさするらしい。ふむふむ。

それで一週間したら、石切さんにお参りして御守札はお返しするそうである。
ということで、次の日から御供米を一粒ずついただいている。
患部をさするの忘れがち(笑)

これだけ文明や科学が発達してきた時代にこれでしこりが取れるとか病気?が治るとは思ってはいないが、まだ何も分からなかった時代の人はこうして未知のものや不安に対応しようとしてたのだろうか、なんてことを思っている。

Top image by Jordy Meow.

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