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瀬戸solan観察記

彗星の如く現れた私立小瀬戸solan。
得体の知れない学校に興味があった。
探究型を追求するスタイルだという。

そもそも、私は探究型に批判的だ。
例えば、算数は算術から来るものであり、決まりや仕組みをどれだけ身につけられるかという点が非常に重要だからだ。
越えねばならぬハードルが各学年用意されている中で探究型はあまりに非効率的だと思う。

あくまで断っておくと、「探究型」に批判的なのであって、探究に批判的なのでは無い。
思考力や意欲を高めるために探求という手法は非常に効果があると思っている。

だが、全てにそれを適用することはできないという話だ。
そもそも全てに適用できる万能な型など存在しない。それをなんでも適用させようとするから歪みが生まれてくる。
少し話がずれたが、私は探究型に批判的な立場だ。

その上で、瀬戸solanに行って探究型について非常に納得した。
一定の効果を見込めるシステムになっていると思った。
以下に見事だと思った構造をまとめる。

瀬戸solanのシステム

①技能系モジュール

solanには漢字、計算、ICT、思考ツールなどモジュールの時間がある。
45分を3つに割って、各モジュール15分ずつで技能習得を行なっている。
ここは完全にシステムができていて、15分の中でいかに練習できるか、習熟できるかに重きを置いている。
思考の必要はなく、あくまで技能。
技を身につける時間だ。

ここにまず驚いた。
探究型の基礎としてこうした土台づくりをきっちり行なっている。
教務主任にお話を伺うと、特に算数の話を教えていただけた。
算数で育む力としては3つある。意欲・思考・知識技能。
この力を育む順番は先生方それぞれあるものが、その先生の中では確実に技能→意欲→思考の順であるそうだ。
圧倒的な基礎の「できる」の積み上げによって、意欲が湧く。
意欲が湧くから考えることができる。
算数を基準にした話だが、各教科の基礎能力については、まさにこの通りでは無いかと私も思う。
算数では、小学4年生の途中まで四足計算を積み重ねる。
ここは完全に技能だ。

教務主任は19×9までを完全に身につけさせると算数力は大きく底上げされ、授業時間の短縮も見込めるという。技能により、授業時間が三分の一になるともおっしゃっていた。

実際、算数のモジュールを見せてもらうとすごい。
2分で、90問の四足計算をモリモリやり始める。
18×8などの問題は大人でも2分で終わらすのは難しい。しかし、それをどんどんやっていく。

言っていなかったが、これをやっていたのは小学2年生だ。
これはすごい。ここまで力がつけば、確かに4年生のわり算の筆算など余裕だろう。
4年生以上だとしても、計算に困らないので算数で学力低位の子の壁になる「計算に時間がかかりすぎる」が起きない。授業の質が底上げされることは経験者の先生ならば想像に難くないだろう。
目から鱗だった。
もちろん、全員同じプリントではなく、個別のレベルに合わせている。

他にも漢字では、1学期に学年の漢字を終わらせて2学期以降はひたすら習熟。

読み書き計算の徹底は並の小学校以上であると言える。
そこにICTも盛り込まれプログラミングもある。
子ども達はプログラミングが大好きだった。
空き時間にやっているのはタイピングコロシアムかscratchJr.。
scratchも基礎基本を教えていて、「scratch事例大全集」という辞書的なものを有効活用していた。この本は事例集なので真似するだけでプログラミングができる。
非常にいい。
このモジュールの時間がsolanを下支えしているのは間違いないだろう。

②プロジェクト

「プロジェクト」は教師主導で明確なゴールを目指してその過程を子ども達と組み立てていく授業だった。一般的な総合に近い。
ビオトープを作ろう、海外と交流しよう、1年生におもちゃを作って遊んでもらおうなど、生活と総合を合わせたような内容であると感じた。
ただ、その道のりはやはりすごかった。
ビオトープを作るために助成金をどうやって得るか、とか、海外の学校の児童とsolanの児童が1対1での手紙交流を行う、とか、1年生のためにscratchと Microbitでおもちゃをつくる、とか。
ただ、どれも他の学校にできないかというとそうではなく、本当に一般的な総合の延長線上にあるものだった。
「プロジェクト」の時間と別にあるのが「探究」だが、探究では子ども達が課題を自分で設定しそれぞれで研究を進める。
プロジェクトは探究の練習の場でもあるのかもしれない。

③時間割

solanの時間割は非常に特殊だ。
毎日国語や算数があるわけでは無い。
その代わり、「プロジェクト」や「探究」の時間が毎日のようにとられていて、2時間続けてとられていることもある。
モジュールの時間は先述のように、自分のレベルに合わせた技能習得だから、「分からない」は生まれにくい。
また、solanでは放課後もクラブのように、運動系やプログラミング系での活動が保障されており、放課後に学校に残る児童も多くいる。
となってくると、いわゆる一斉指導スタイルでの授業然とした授業はそもそも割合として少なくなってくる。

見学させていただいた担任の先生からは「子ども達はみんな学校が大好き」という話を聞いた。
それは仕組みとして圧倒的に「分からない」を産みにくいからではないだろうか。
solanでは入学選抜を行なっていない(現状では。今後変わる可能性はある)ということからも、かなり多種多様な児童がいる。それは学力的にも発達段階的にも。
むしろ一般的な公立よりも多様かもしれない。

私が参観したのは3学期初日である。にも関わらず、児童の様子はパワー全開。子ども達は学校が大好き。
この仕組みからこの事実が生み出されていることは見逃せないだろう。


同校で一番評価が高いと言われる「探究」の授業は見学できなかったが、こうした下支えがきっちりなされていることがわかった以上、探究が伸びていくのは自明の理だろう。
国語算数の教科教育の中で探究が研究されていくのは今後の研究の進み具合だと思うが、この状態ならば探究でも自由進度でもかなり学びは大きくなると予測できる。

その指導は何のために行われるのか

solanにはsolan独特の空気がある。
授業中に他の先生がサラッと教室に来ることになんの違和感もないようだったし、大人が常に複数いることはむしろ自然な状態だった。
始業式の日に私が入っても、なんの違和感もない様子ですらあった。
子ども達も自由で、突発的な私語や授業中のざわつきは多い(2年生を見た限りでは)。
しかし、子ども達は授業についてきている。
話を聞いていなくとも後から追いついてくる。学力的にめちゃめちゃ高いわけではないことは、入学選抜の話からもわかる。
つまり、あのざわつきはsolanでは普通であり、問題ではないということだ。

自分のクラスで考えると、ざわつきによって人の意見が聞けないと言う状況になる学級経営は良いとは思えなかった。
しかし、solanの教室を見ると、自分が「静」にこだわる点はなんだろう、自分の目指したい教室像はどうだろうとふと思う。
担任の先生がこんなことを言っていた。

「副校長から『もちろん技能習得に力はかけるけらど、それでもこぼれてくる子たち、例えば、どうしても漢字ができない子はもうそこで、別のアプローチに変えればいい。音声入力するとかタイピングにするとか。それ以上はその子の精神的にもきついし、時間対効果が悪い。』と言う話を聞いてちょっと心が楽になった。」

この担任の先生は元公立小勤務で、割とかっちりした授業をされる先生だ。この先生もsolanで大きく価値観が変わり始めているのかもしれない。

solanの先生方の話は合理的だ。
必ずしも合理的が良いわけではないと思うが、そうした考えで進む学校があり、学校全体でそこに注力した結果、子ども達が生き生きと学校に通う姿がある。
いやでも自分の教育観を見直してしまう。

なんのために、自分はその指導をするのだろうか。
なんのために、その授業方法をとるのだろうか。
自分がここは大事だと思っている"ここ"は本当に大事か。


そんな自分の価値観を大きく揺さぶられる1日だった。
探究型にも理論があり、そこにかける熱意がある。
そこを支える土台もある。
solanの先生方と話している中で出たのは、型や仕組みだけを回そうとすると歪む、ということ。

その仕組みの裏側とか思いとか、理由理屈が伴ってこそ、型や仕組みは効果を発揮する。

瀬戸solan小は探究型を小手先で進めているのではなく、基礎工事からがっつりと徹底的に進めているのだ。
そこに批判などない。
ただただsolanの先生方を尊敬する。

瀬戸solan小の熱意ある先生方の熱い教育観に触れて私の心も揺さぶられた。この学びを自分のクラスに還元していきたい。

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