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ガングロ ギャルに占拠された街

ガングロとは、1990年代後半から2000年初頭頃をピークに、日本の若い女子たちの間で流行したオルタナティブ・ファッションです。

1998年、突如、渋谷に登場し、様々なメディアで取り上げられたことで『ガングロ』というワードが定着したと言われています。

年齢は10代半ば~10代後半が主で、ボリュームゾーンは東京、千葉、埼玉、神奈川などに住む15歳から18歳までの女子高生とされていましたが、上記以外の地方でも、当時は日本中に一定数のガングロ女子が存在していました。

髪は茶髪あるいは白髪で、顔面は真っ黒。
原色の衣服にミニスカートをはき、厚底ブーツもしくはサンダルを履き、集団行動を基本としていました。


日焼けサロンで焼き上げた顔の黒さが異様に目立つことから、顔黒(ガングロ)と命名された説や、「肌をガンガンに黒く焼く」ことから「ガングロ」と呼ばれるようになったという説もあります。

目と口のまわりを白く隈取りしたような特殊なメイクは黒と白のコントラストを放ち、“パンダメイク”とも称され、特異性を見せつけました。

特筆すべき点は、見る者、特に男性に明らかに違和感や嫌悪感を与えるメイクであったこと、日本のメイク史には前例のないメイクが脈絡なく登場したこと、集団性が顕著であったことなどがあります。

全盛期にはさらに黒さを競うように「ゴングロ」から「バチグロ」まで登場しました。

ちなみに、コギャルとガングロ女子を一緒に考えている人も少なからずいたようですが、コギャルが誕生したのは1993年頃と言われているため、ガングロ女子はむしろ、コギャルの進化形と言えるかもしれません。



1995年頃になると、コギャルが首都圏で一般的になり、地方にも飛び火。

コギャル間での通信手段が、ポケベルからPHSへ移行していったのもこの頃でした。

ルーズソックスが一般化し、援助交際が全国区へ 波及し問題視され始めたのもこの頃です。


渋谷では日焼けサロン、カラオケに出入りする女子高生が話題に。

そして、あの『アムラー』が登場する時代へと突入していきます。



1997年になると、渋谷に「髪に花を飾るロコガール」が出現し、ロコガール・ブームが到来します。

アルバローザのワンピースやコートを身に纏ったギャルが、自信たっぷりに街を闊歩する…そんな景色がそこら中にありました。


そんな中で奇抜化していったコギャルの中から「ガングロ」という呼称が登場し始めました。

当時話題となったカリスマ店員の中にも、ガングロ女子は多く存在しましたが、1999年に美白のカリスマ『鈴木その子さん』が脚光をあび始めた頃から徐々に時代が変化していきました。

コギャルを卒業して美白化に切り替える女子が徐々に増え始めた一方で、「ヤマンバ」「マンバ 」と呼ばれる超個性はメイクのギャルが現れ始め、この頃から美白系女子とギャル系女子との二極化が進んでいきました。

2000年になると「ゴングロ3兄弟」が人気に。「egg」のカリスマ読者モデルのブリテリ、柾川めぐみ(マサメグ)がガングロのファッションリーダーになっていきました。


ところが 「egg」が休刊を発表すると、いよいよコギャル文化は終焉を迎え、ガングロ女子は焼きすぎた肌のシミ対策に勤しむようになり、ヤマンバは山奥に帰っていきましたとさ。

めでたしめでたし。

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