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ファンファンがいたくるり

ファンファンがくるりを離れる。

その知らせ、というか発表を知ってショックを受けた頭でそれからずっと考えている。私たち(くるりファン)にとってのファンファンとはどんな存在だったのか。

くるりファンなら覚えがあるかと思うけど、いっときのくるり、岸田繁氏は、ほんとうに危うかったと思う。彼は、自分から人が離れていくことに慣れ、受け入れることで精一杯傷つかないようにしているように見えた。
もっくん、クリストファー、達身さんが脱退し11年に田中佑司、吉田省念、ファンファンの3人が同時加入し、田中氏はわずか半年で脱退。
吉田氏が13年に抜けてしまうことになった際、自身のnoteで岸田自身、当たり前のようにファンファンも辞めるんだと思ったと言っていた。


元テキストがもう見つからないので再読できないのだけど、その時のことについて岸田は、君も辞めるんだったら辞めていいからね、のような発言をしていたように記憶している。
そんな岸田の態度に対するファンファンの言葉に、私は本当に心が打たれたし、
ファンファンが大げさじゃなく、岸田繁の心を救ったと、私は今でも思ってる。

ファンファンは泣きながら、くるりとしてやっていきたいし、くるりとして音楽をしたい、だから一緒に音楽をさせて欲しい、って言ったのだ。

誰かが自分に嫌気がさして離れていく事が繰り返されていた(実際には色んな複合要素があったにせよそう思っていた)岸田繁にとって、ファンファンは、自ら望んでくるりとしてやっていきたいと声に出して彼に伝えてくれたメンバーだったのだ。
ファンファンは、くるりを救ってくれたと、私は思っている。

そこからのくるりは、全然違っていた。バンドとして盤石な関係性の上で気持ちよく、心から、最高の音楽を鳴らしてたと思う。

ファンファンへ家族に対する思いやりのような愛を岸田からも佐藤さんからも何度も感じた。

ファンファンの産休が決まった時、私はライブ会場で岸田がうれしそーうに、ファンファンは今日は見学しています。って言った声の温かさをまだ覚えてる。

紆余曲折があったくるりが巡り合った、大事なだいじなメンバーだったのだ。

ただ、ひとりの女性として、ファンファンの気持ちと決心を考えた時、痛いほど彼女の気持ちが分かる。私はそう思った。
ファンファンと私は同い年なのだ。

私は結婚が遅かったので、子供を望むいま、専門のクリニックにというものに通っている。
こういった診療と、仕事との両立は、分かっていたけれど簡単じゃない。
でも、自分にとってなにが大切かと心の中と向き合ったとき、やらないという選択肢はなかったのだ。

ファンファンは、人生の優先順位が見えてしまったとき、それが音楽でなくなってしまったことが、
そのことが悲しくなかったはずなんてないと思う。でも、自分の選択は自分の選択として受け入れざるを得なかったし、
大好きな大事な音楽を、くるりを、優先順位が変わってしまった自分が続けることはできなったんだと思う。
その決心を、その気持ちを思うと、涙が出そうになる。

子供を持つ、ということは、時間とのたたかいで、35才を境に色んな事がまた確率的に変わってきたりする。
だから、いま36才であるひとにとって、それは私も含めて、そんなに時間が残されてないのだ。

改めてライブができる時期がきて、みんなの前でライブをしてからさよならしたかったと、ファンファンだって思ったに違いないけど、
それだとどんどん時間が過ぎていってしまう…。
だからこそきっと、お誕生日という節目もあったこの時期に、脱退が決まったのかなぁと、私は思いました。

ファンファンがいてくれたくるりが大好きでした。
くるりが大好きなファンファンのことも大好きです。

これからは、同い年の人どおし、それぞれの道でそれぞれが望むものに出会えたり、幸が多からんことを、心から祈っています。

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