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なななの自己紹介

「最初に自己紹介をしてみましょう!」と書いてあったので、私が何者なのかということも含めて自己紹介をしていきたいと思います。


生まれてから大学を卒業するまで「心理職になる」なんて一度も思ったことがありませんでした。今考えると、生きる上でいろいろな困難があって実に生きづらい人生を送って来たなと思います。

実家は裕福ではありましたが、両親は二人で仕事をしていたためほぼ不在。自宅兼オフィスだったので両親に代わって事務所の職員さんたちが私たちの面倒を見てくれました。職員の中に従兄がいたため、保育園の送り迎えから学校の保護者会まですべてその従兄がやってくれました。じゃあ愛着があるのかと言われればそんなこともなく、仲は悪かったのでできるだけかかわりたくないという感じです。

私は身体的には男性ですが、両親は女の子が欲しかったらしく保育園に行くまでは女の子の服を着させられて女の子として扱われていたようです。そんなことが影響してかどうかはわかりませんが、性自認関してはかなりあいまいです。自分的にはボーイッシュな女の子くらいの感じが自分の中でしっくりくる性なのかなという感じがしています。社会的に求められる性もありますので、そのようには振舞いませんがなるべく中性的なファッションをしたいなという気持ちはすごく強いです。


先ほども書いた通り「心理職になる」なんて一度も思ったことがないので大学は理工系の大学でコンピューターについて学んでいました。卒業論文は古いゲーム機をコンピューターで再現させるという研究でした。このように、もともと理系の出身なので統計学は実はそんなに不得手でなかったりします。

就職もコンピューターのプログラムを作る会社に入りました。幸いにして大手に入れたため、お金は結構たまりました。しかし、お金はあっても暇はない。そしてプログラムを書くよりも会議や調整のほうが多くやりがいも見失っていきました。

そんな時に、ある大学教授と出会います。その人は心理系の大学院で教えている先生で心理にまつわるいろいろな話を聞かせてくれました。よく飲みに行く関係だったので、そのあたりから心理に興味を持つようになります。幸い手元にはまとまったお金がありましたし、まだ若かったので「生活費はバイトすればいいか」くらいの気持ちでした。そんなこんなで思い付きにも似た衝動性で仕事をやめ、心理系の大学院に入りなおします。心理学なんて全くやったことがなかったので勉強はかなり苦労しました。その時に特に苦労したのが研究計画書でした。正直どこからどう手を付けていいかわからないし、研究法なんてさっぱりだったのでかなり的外れな計画書を書いていた時期もあります。

この時に、いろいろと手を貸してくれたのが前述の教授でした。わからないところを教えてくれたり、計画書の添削をしてくれたりでかなり力になってくれました。この時の経験が、いまこうして心理学予備校のようなことをやっていることにつながってきます。

無事大学院に受かると、心理士の専門性が面接・査定・地域援助・研究であることを知ります。「へー研究ってやらなきゃいけないんだ」と真に受けて研究を続けているうちに、本業よりも研究のほうが楽しくなってきたのです。

心理職はとにかく非常勤の職しかなく、就活には相当苦労しました。当初はプログラムを書く仕事をしながら、心理の非常勤を掛け持ちする生活です。プログラムの仕事は時給にすると心理の仕事の3倍ほどになりますので、何度も「心理職はやめようかな」と思いました。しかし、研究が好きだったので、「研究するためにはフィールドを持っていなければ」という気持ちで頑張ってこれたのです。

今は幸いにしてそんなに給料の悪くない常勤職も得られました。時間的余裕も出てきたので、社会人出身で右も左もわからない私に心理学を根気よく教えてくれた教授のように、私もまた誰かの力になりたいと思いこんなことを始めているのです。

心理の門戸は広く開かれています。社会人を経てからでも全然遅くありません。少しでも興味のある方はぜひ一度目指してみませんか?

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